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逃げるもの、追いかけるもの 3


 香水を使いなおしたのか、着替えを終えたシルディアからは、芳しい薔薇の香りがした。

 シルディアをエスコートするためにヴェルクルッドが恭しく手を取り、二人はトレフィナの待つ部屋に入った。

 

 「――ごめんなさい、トレフィナ。待たせてしまいましたね」

 

 立ち上がって迎えたトレフィナに、シルディアが謝罪した。

 

 「お姉様。――ヴェルクルッドも。いいえ、私が勝手に押しかけたのですもの。お気になさらないで。……ですがまあ、いつもお部屋にいらっしゃるから、今日に限ってお出かけになっていたとは、思いもしなかったのだけれど」

 「あら、私だって、散歩くらいします」

 「そのようですわね。それで、どちらまでいっていらしたの? 随分とかかっていたようですけれど」

 「奥の中庭までです――有難う御座います、ヴェルクルッド様」

 

 椅子までたどり着いたところでシルディアは手振りでトレフィナに着席を促し、自身も、椅子を引いてくれたヴェルクルッドに礼を言って腰掛けた。

 

 「まあ、あちらまで。――ああ、ごきげんよう、ヴェルクルッド」

 

 トレフィナがヴェルクルッドに手を差し出した。

 

 「ご機嫌麗しく……トレフィナ姫」

 

 ヴェルクルッドは、差し出しされた手に唇を寄せ、そして身を引いた。

 

 「…………」

 

 トレフィナから不満そうな気配は伝わってきたが、言葉で訴えられないのを幸い、無言と無表情を保つ。

 

 「さあ、ヴェルクルッド様もおかけください」

 「――失礼致します」

 

 シルディアに椅子を勧められて、ヴェルクルッドは座った。

 ヴェルクルッドが座るなり、トレフィナが微笑みかける。

 

 「どう? 昨夜はよく休めたかしら?」

 「――はい。体調は万全であります」

 「まあ、それは良かった。私のほうは、気が昂って眠れなかったのだけれど」

 「……」

 

 よく考えずとも、嫌味だ。だが、それに対する上手い返しを、ヴェルクルッドは咄嗟に思いつけなかった。

 無作法な沈黙に陥りかけたところを、横手からのおっとりとした声が救った。

 

 「でしたら、トレフィナ。ラベンダーをあげましょうか? 枕元に散らせば、今夜はゆっくり休めるでしょう」

 「――いいえ、お姉様。お心遣いは嬉しいけれど、それぐらいでは駄目ですわね。紫は良いでしょうけれど、私に安眠をもたらすには、艶やかな黒に、雪の白もなくては」

 

 そういってトレフィナは、ヴェルクルッドに流し目をくれた。

 黒い髪に、白い肌。そして青紫の瞳。ヴェルクルッドの持つ色だ。

 

 「まあ、そうなのですか? でしたら、いいものがあります。白と黒のキルトです。ついこの間完成したのですよ」

 「……結構ですわ。お姉様のキルトなんて頂いて帰ったら、かえって気が昂ると思いますもの」

 「そうなのですか? それは残念です」

 「っ」

 

 嫌味も婉曲な催促も受け流すシルディアに、トレフィナは苛立った。

 シルディアにペースを掴まれたくなくて、トレフィナは強引に話題を変えに掛かる。

 

 「――ねえ、お姉様。お姉様は、他に親衛隊にどなたか加える予定はございませんの?」

 「? 今のところは考えていませんけれど……どうしてです?」

 「あら、だって、それではヴェルクルッドは、たった一人でお姉様の護衛をしなければならないではありませんか。それでは身が持たないでしょう?」

 「……まあ……」

 

 シルディアは目を丸くした。

 ヴェルクルッドを親衛隊に誘ったのは成り行きだったから深く考えていなかったが、ヴェルクルッドはしばらくシルディアの護衛任務につくのだ。その間にシルディアの身に何かあれば、ヴェルクルッドの責任になる。

 

 「ねえヴェルクルッド。王族の警護にはとても神経を使うこと、私は十分知っているわ。一人で背負うにはあまりに重く、また、気詰まりなものよね」

 「そうですね……トレフィナの言う通りです」

 

 トレフィナの語り掛けに理解を示したのは、ヴェルクルッドではなくシルディアであったが、それに勢いを得たトレフィナは、ヴェルクルッドの方へ身を乗り出した。

 

 「お姉様はどうやら貴方の同僚を増やすおつもりはないようだし……私のところに移ってはどう? 協力し合える仲間はたくさんいるわ」

 「――お気遣い、痛み入ります。トレフィナ姫」

 「では、私のところへ来るわね?」

 

 丁重に礼を述べたヴェルクルッドに、トレフィナは喜色を見せた。

 しかしヴェルクルッドは、緩やかに頭を振った。

 

 「申し訳御座いません、トレフィナ姫。それでも私は、シルディア姫の騎士となることを希望いたします」

 「っなんでよ!?」

 「私は、敬愛する主の傍近くに控えることを、負担だとは思いません。むしろ、公然とお傍にあれるのです。それ以上に幸福なことはございません」

 

 そういうとヴェルクルッドは、シルディアを見つめて柔らかく微笑んだ。

 

 「っ」

 

 シルディアは息を呑んだ。ヴェルクルッドの優しい――どこか甘いものを秘めたような青紫の眼差しが、シルディアの胸をざわつかせた。

 

 「っで、では、報酬はどう!? 私なら、貴方に十分以上の対価で優遇するわよ!?」

 

 思いがけないヴェルクルッドの反撃に、トレフィナは焦った。失敗を挽回しようと、とりあえず金を提示してみる。

 

 「――トレフィナ。貴方はなんてことをいうのです」

 

 が、そのトレフィナの言葉が、シルディアの心を冷やした。

 シルディアは眉を顰め、トレフィナを咎める。

 

 「え……お姉様?」

 「剣を捧げる相手を見出した騎士を、お金で引き抜こうだなんて……」

 「……!」

 

 トレフィナは自分の失敗を悟った。

 主を探している騎士に高額な報酬を示すことは、悪いことではない。それだけその騎士を高く評価しているということだからだ。だが、既に主を見出している騎士に対しては、してはいけないことだ。それは、騎士が捧げた忠誠を、金銭で裏切らせること。騎士の忠誠は金で裏切る程度のものだと、侮ることになる。

 それは、騎士にたいする酷い侮辱だった。

 

 「大体、トレフィナ。何度かいったことがありますけれど、貴方はお金を使いすぎです。私たち王族の生活は、市民の税金によって賄われているのですよ? 確かに、経済の安定と発展のために、私たちがお金を使う必要もあります。けれど貴方のそれは度を越して……」

 「っそ、そろそろお暇いたしますわ、お姉様! 私、お茶会の予定がありますの!」

 

 シルディアの説教の途中で、旗色悪しと見たトレフィナは慌しく席を立った。

 

 「それではヴェルクルッド、貴方の気が変わったら、いつでも声をかけるといいわ」

 「トレフィナ! ……ふう」

 

 逃げるように去りながらも、ヴェルクルッドへの勧誘の一言を忘れない困った妹に対して、シルディアは肩を落として溜息をついた。

 


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