剣か、恋か 1
会場中が熱狂に包まれていた。
皆が注目するコロシアムの中央で、騎士二人が、馬を駆って激突する。
互いが構えた槍と盾が強く打ち合い――結果、片方の槍が折れ飛んだ。
槍を折られた騎士は、盾で受け止めた勢いを受け流すことも出来ず、もんどりうって落馬した。乗り手をなくした馬は、構わずコロシアム内を駆け巡った。
「――勝者、ヴェルクルッド!」
落馬した騎士が身を起こさなかったので、審判が、馬に乗ったままの騎士――ヴェルクルッドの勝利を宣言した。
一際強い歓声が巻き起こる。
ヴェルクルッドは馬から降りると、まずは貴賓席にいる王と王妃、そして第二王女のトレフィナ――遠目からは、青いドレスと豊かな金髪ぐらいしか視認できない――へ向けてお辞儀をした。続けて、周囲の観客たちにも一礼。
それでもなお止まぬ拍手に、時折手を上げて応じながら、ヴェルクルッドは愛馬ノエルを引き連れて、対戦相手の騎士に歩み寄った。三番隊所属のその騎士は、まだ意識を取り戻していなかった。
「……彼は大丈夫か?」
ヴェルクルッドは、落馬した騎士の容態をみていた審判に訊ねた。
「ええ。背中から綺麗に落ちましたからね。骨も変な風に折れ曲がっていませんし、じきに目を覚ますでしょう――おおい、担架―!」
審判が声を張り上げたときには、担架はすぐ近くまで来ていた。審判の指示を待つまでもなく、衛生兵が動いていたのだ。衛生兵たちは騎士を丁寧に担架に移すと、迅速に救護室へと運んでいく。
「さあてヴェルクルッド殿、次は準決勝ですね。相手は優勝候補筆頭、グラント殿ですよ、頑張ってください!」
「ああ、有難う」
審判の応援に礼を言って離れ、ヴェルクルッドは、コロシアムの片隅に臨時設置された厩舎にノエルを預けた。
そして控え室に続く通路に向かう。
「ヴェルク! やったな!」
「エスト」
その通路の入り口で、エストが待ち構えていた。エストは、ヴェルクルッドの肩をばんばんと叩いて賞賛する。
「流石はヴェルク! 親友の俺も鼻が高いぜ!」
「わかったから。痛い」
思い切り肩を叩かれて、ヴェルクルッドは顔を顰めながらエストを押し返した。あまり強い衝撃を与えられると、中に着込んだチェインメイルが食い込んで痛いのだ。大事な試合の前に、そんなことで不利な要素を作りたくなかった。
「お、悪ぃ。――なあなあ、気付いてたか?」
「何をだ?」
控え室に入って椅子に座り、水の杯を手にとって、ヴェルクルッドは聞き返した。
「お姫様だよ。第二王女のトレフィナ姫。お前のこと、じーっと見てたんだぜ?」
「……試合をしていたんだから当然だろう」
水を飲んで喉を潤したヴェルクルッドは、若干呆れた視線をエストに向けた。
闘技大会は、安全なスペースを確保するため、一組ずつしか試合をしない。試合をしているペアしか見るものがないのだから、姫だろうが市民だろうが、見るものは同じだ。
「いやいや、試合中もだけど、それだけじゃなくて! お前がコロシアムから退場するまでずーっとってことだよ!」
「…………」
「目ぇ、つけられたんじゃねえ? どうするよ、今夜の祝宴でお誘いがあったら!」
にやにやと、エストがヴェルクルッドに詰め寄る。
闘技大会が終了した後は、参加騎士や貴族たちが出席する、王族主催の大規模な祝宴がある。そしてそこで王族は、これはと見込んだ騎士を、自らの親衛隊にスカウトするのだ。
――その祝宴の場で、トレフィナ姫に、親衛隊に誘われたら。
「…………」
ヴェルクルッドは、思わず溜息をついていた。
「お、なんだよ。乗り気じゃねえのな?」
エストは目を丸くした。
どうするとは聞いたものの、親衛隊へのスカウトを断ることは、普通、有り得ない。
有り得ない、のだが――
「……けどまあ、気持ちはわかる。なんたって、わがまま姫だからな」
エストはしみじみ頷いてしまった。
「……お前でもそう思うか」
「おう、俺でも……って、そりゃどういう意味だ?」
「――美人が好きな、お前でも」
「う、そりゃ、俺は美女が大好きだ! 美少女だって大好きだ!」
トレフィナは、わがままではあるが、美人としても評判だ。今年十六歳なので、美少女と言うほうがまだ相応しいかもしれない。大陸から嫁いで来た王妃に良く似ていて、父王からの愛情も強いという噂である。もっとも、そのせいで、トレフィナのわがままに歯止めが掛からなかったともいえそうだ。
「美しい女性は大好きだが! しかし俺は、性格の良い子のほうが好きだ! 何故なら、美しい女性は俺を騙すから……!」
熱弁していたエストが、不意に涙ぐんだ。
エストは、ヴェルクルッドとシンディとセイニーの手を煩わせて手に入れたレインの花を貢いだ彼女に、騙されていたのだ。
エストの彼女には他に本命がいた。そして、エストからレインの花をもらえるかどうかで賭けをしていたことが判明した――判明、してしまったのだ。
「……そうか」
失恋の痛手からは立ち直ったように見えていたが、心の傷はまだ塞がっていなかったようだ。ヴェルクルッドは、エストの傷口に塩をぬりこんでしまったことに動揺し、相槌一つ打つのが精一杯であった。
「ううう。いいんだ、いいんだ、俺なんて……っ! 今はお前のことだ、ヴェルク! ああ、なんて友達思いなんだ俺! こんないい男を振るなんて、ハニーは見る目がねえぜ!」
「……そう、だな」
エストが友達思いだというのに、異論はない。確かにその「ハニー」は見る目が無いと思う。
「こんな俺を放っておくなんて、世の中の女性たちは見る目がねえぜ! そうだろ、ヴェルク!」
「そうだな」
ヴェルクルッドとしては、真面目に頷いたのだが。
「…………なんだ?」
エストにじぃっと見つめられて、首を傾げた。
「…………そうだよ、お前のせいじゃねえか」
「……は?」
「お前みたいな! 顔良し、性格良し、腕っ節良し、な奴がいるから! みーんなお前にいっちまうんじゃねえかああああ!」
「……っだから、痛いといっているだろうが!」
先ほどの比ではないほどに、強く激しく肩を揺さぶられたヴェルクルッドは、エストの頭を叩いた。
「痛っ!」
叩かれた頭を抱えて、エストが恨みがましくヴェルクルッドを見る。
しかし、ヴェルクルッドもいい加減腹に据えかねていた。
「大体。お前が思うほどもててはいないぞ」
確かに、警邏中に女性たちからの視線を感じるし、手を振られることもあるが、それだけだ。それくらい、一番隊に所属する騎士ならば、多かれ少なかれ経験することである。
他の隊員と比較して多くないとはいわないが、それは自分が独身で、年若いせいだろうと、ヴェルクルッドは自己分析していた。
「――お前、誘われないからもてない、なんて思ってねえだろうな?」
しかし、そんなヴェルクルッドに向けられたのは、エストのジト目だった。
態度と気配で「馬鹿?」と言わんばかりのエストに、ヴェルクルッドは俄かに自信をなくして問い返した。
「……違うのか?」
「……馬っ鹿! 女性から、お付き合いしてください! なんて言葉にするわけねえだろ!? 女性ってのは、目と態度で誘うんだよ! 男を引きずりこんで、絡めとるんだよおおお!」
「……」
実際絡めとられたエストの叫びには、実感が篭っていた。
しかし、そうはいわれても、ヴェルクルッドはいまいち納得しきれなかった。
何しろ、ヴェルクルッドの身近な女性――母親だ――は、奥手な父親に逆プロポーズした逸話の持ち主だからだ。流石に母親の例が稀なのは理解しているが、しかし、そんな母親に育てられたヴェルクルッドは、例え奥ゆかしい女性でも、本気になればストレートに行動に移すだろうと考えていた。
そして、ヴェルクルッドにストレートな言動をしない女性たちは、つまりはヴェルクルッドに本気で恋しているのではなく、人気役者に熱を上げているようなものなのだろうと――そう、解釈していたのだ。
「くっそう、この鈍感! どうして女性たちは、こんな鈍感野郎をもてはやすんだ!? 顔がいいからか!? 強いからか!? 将来有望だからか!? それとも、給料日前の俺に奢ってくれる優しさか!?」
「……」
ヴェルクルッドは、一人喚くエストを放置することにした。
とりあえず、こちらに矛先が向かないのならば、少し五月蝿いが止めるほどではないと思ったからだが――
「は!? もしかして母性か!? ほっとけないの~、か!? くううっ! なんにせよ、この女の敵、男の敵、寂しい全独身者の敵め~!!」
「っそうやって詰られるのも、いい加減業腹だぞ!」
矛先が向けられ、尚且つ、今までさんざんいわれてきたことに、ヴェルクルッドは相手がエストと言うこともあって、ついにぶち切れた。




