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バルコニーで昼食を 2


 歌う子馬亭を後にしてシンディが向かったのは、入江へ続く小道であった。

 入江は、誰もが知る景勝地だ。そこで食事をするのは確かに気持ちがいいだろう。

 そう思いながらついていくヴェルクルッドであったが、不意にシンディは、入江へ向かう道から逸れた。

 

 「こちらです」

 「え? ですが、そちらは……お待ちください、シンディ嬢。そちらは危険です」

 

 西の海に面するほうへ向かおうとするシンディを、ヴェルクルッドは呼び止めた。

 確かに海は綺麗だろうが、道らしい道はなく、木々の隙間を通り抜けていくことになる。そして行きつく先は、切り立った崖だ。勿論、ヴェルクルッドが崖を恐れるわけではない。ヴェルクルッドは、シンディの身を案じたのだ。

 しかし、そんなヴェルクルッドの心配を、シンディは微笑みで払った。

 

 「大丈夫です。今日はそれほど風も強くありませんし、足元には十分な幅があります。私、何度も来ていますから」

 

 シンディの迷いのない足取りが、確かにそれを証明していた。

 

 「――わかりました。でしたら、どうか、お手を」

 

 大丈夫そうだと判断したヴェルクルッドは、昼食のバスケットを左手に持って、右手をシンディに差し出した。

 

 「え……?」

 

 きょとんと、差し出された手を見るシンディに微笑みかけながら、ヴェルクルッドはシンディとの距離を詰めた。

 

 「万が一ということも考えられます。どうか、エスコートさせてください」

 

 そして、すっと手を取る。

 

 「あ、あの」

 「こちらでよろしいですか?」

 「あ、はい」

 「はい。では、足元にお気をつけください。……もっとも、私のほうが危なっかしそうですが」

 「まあ……」

 

 ヴェルクルッドが少しおどけていえば、シンディは目を瞬いた後、微笑んだ。手を取られたことも忘れたようだ。

 二人は、順調に崖の――道、と言えそうなところを進んでいく。

 シンディが大丈夫と請け負ったとおり、見た目以上に、足元は安定していた。時折、道幅が狭くなっているところもあったが、シンディは身軽に通過したので、彼女が足を滑らせたときのための心構えは不要に終わった。

 

 さして危ないこともなく、二人は、海側にバルコニーのように突き出した、ちょっとしたスペースにたどり着いた。

 眼下に広がる、きらめく青の海。寄せる波の飛沫。遮るもののないその広い眺望は、海を見慣れていたはずのヴェルクルッドの目をも奪った。

 潮風が、やや強く吹き抜けていくのを感じる。

 

 「これは……見事なものですね」

 「ふふ、気に入っていただけました?」

 

 目の前の景色に魅入るヴェルクルッドに、シンディが嬉しげに尋ねた。

 

 「はい」

 

 素直に頷き、ヴェルクルッドは、シンディを見た。

 微笑むシンディの栗色の髪は潮風に遊び、その拍子に、海の匂いではない――いつか嗅いだ、爽やかな甘さがした。

 柔らかに弧を描く、シンディの薔薇色の唇に目がひきつけられる。

 

 「……」

 

 ヴェルクルッドは、その唇に触れてみたい、と思った

 きっと柔らかいだろう。

 

 「……ヴェルクルッド様?」

 「――……いえ、失礼しました」

 

 危うく手が伸びそうになったが、その前にシンディの訝しげな声がかかって、ヴェルクルッドはほっとした。

 何故、あのような衝動に駆られたのか――己の気持ちに困惑しながらも、ヴェルクルッドは、シンディから気を逸らすべく、再び海を見渡す。

 青く澄んだ海と空を見、寄せる波音に耳を傾ければ、ヴェルクルッドの心は落ち着いてきた。

 

 「――本当に、素晴らしい眺めです。このような場所があるとは、知りませんでした。……長く街の警邏をしていましたが、面目ない話です」

 

 美しさを褒めたその後に付け加えてしまった言葉に、ヴェルクルッドは苦笑した。

 この場所は、城と入江の間に位置することになる。人目もない。身を隠すのに使われる可能性もあるのだ。

 このような景観を前にしてそのような感想を持つのは実に無粋だと、ヴェルクルッド自身も思ったが、口をついて出てしまったのはもう仕方がない。

 

 「まあ、そんな……」

 「すいません、無粋なことをいいましたね。お気になさらないでください。――さあ、食べましょうか」

 

 気遣いを見せるシンディに、詫びるとともに微笑みかけて、ヴェルクルッドはバスケットを軽く掲げた。

 

 「あ、はい。あちらに、椅子に丁度いい岩があるんです」

 

 シンディが奥に転がる岩を示した。確かに、幅広く表面は平らで、汚れも見受けられない。椅子兼テーブルに丁度良さそうな岩だった。

 早速二人はその岩に腰掛け、バスケットを開けた。美味しそうな匂いが広がる。

 

 「これは……女将さんはブイヤベースを入れてくれたようです」

 

 真っ先にバスケットから取り出されたのは、蓋が付いた筒状の陶器だった。その中身を確認したヴェルクルッドの言葉に、シンディは首を傾げた。

 

 「まあ、そうなのですか? でも……確か、お持ち帰りメニューにはなかったような……この容器も初めて見ます」

 「ああ、熱いですから、まだ触らないほうがいいでしょう。――こちらの蓋も深さがありますし、半分に分けられますね」

 

 そういってヴェルクルッドは器用に半分ほどを蓋に移し、胴部分の方をシンディの前に置いた。

 熱いといわれたので、シンディは手を触れないままで容器を観察した。近づけた顔に、熱い湯気がかかる。

 

 「スープの持ち帰りは容器の問題で難しそうですが、これなら良さそうですね。もっとも、コストの問題があるのでしょうが……」

 「恐らく試作品でしょう。私やエストは良く注文する品なのですが、以前、エストはテイクアウトもしたいとリクエストしていましたので」

 

 シンディが観察に満足した頃には、ヴェルクルッドはセッティングを終えていた。

 仕上げに、バスケットに入っていたスプーンをシンディに差し出す。

 

 「さあ、どうぞ。まだ熱いですから、お気をつけて」

 「あ、はい、すいません、全部お任せしてしまって……有難う御座います」

 

 セッティングを全てヴェルクルッドに任せてしまったことを謝罪しながら、シンディはスプーンを受け取った。

 そしてヴェルクルッドの視線を感じながらも、まずは一口。

 

 「っ」

 

 口に入れたブイヤベースの、予想以上の熱さに驚いて、シンディは口元を押さえた。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 ヴェルクルッドが急いで差し出した、冷えたワインの杯を手振りで押し留め、熱さに慣れたあたりで咀嚼する。

 

 「……美味しいですっ!」

 「気に入っていただけてよかった。サフランとにんにくがポイントなんだそうですよ」

 

 一口食べたシンディの一言に、ヴェルクルッドは我がことのように喜んだ。

 

 「これは……お店に通いつめたくなる味ですね」

 「ええ、エストなどは、行くたびに必ず注文しています」

 「お気持ち、わかります。……そういえば、ヴェルクルッド様、エスト様はその後、どうなさいました?」

 

 セイニーにレインの花を届けてもらったが、その後、上手くいっているのだろうかと少し気になっていたのだ。

 シンディの質問に、ヴェルクルッドは食事の手を止めた。そして、申し訳なさそうに告げる。

 

 「ああ……実は……上手く行かなかったのです」

 「え?」

 「エストの彼女には、他に本命がいたようで……」

 「まあ……」

 

 レインの祭りにレインの花を贈ると幸せになる、という言い伝え通りにはならなかったのだ。

 誰もが言い伝え通り幸せになるのではないとわかってはいても、シンディは残念に思った。

 

 「申し訳ありません。せっかく譲っていただいたのに」

 「いいえ、そんな。私のほうこそ……かえってお気の毒なことをしたのではないかと……あの、それでエスト様は、今……?」

 「しばらく前までは自棄酒していましたが、今は大分落ち着いたようです」

 「そうですか……立ち直られたのでしたら、良かったです……」

 

 ヴェルクルッドの言葉に、シンディは胸を撫で下ろした。

 

 「……」

 

 一度話をしただけなのに、エストを気遣ってくれるシンディの優しさが嬉しくて、ヴェルクルッドは知らず、微笑んでいた。

 


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