レインの花 1
「ぎゃあああああっ!?」
夕食後の穏やかな時間に、その悲鳴は轟いた。
「!?」
談話室で話に興じていたもの、自室で寛いでいたもの、廊下を歩いていたもの、果ては風呂に入っていたものまで。
皆、その悲鳴を聞きつけるなり行動を起こした。自らの愛剣を手に、現場へと急行したのである。
「どうした!? エスト!!」
真っ先に駆けつけて悲鳴の主に声をかけたのは、鴉の濡れ羽色の髪に、白い肌。そしてヴァイオレットの瞳を持つ、端正な顔立ちの青年であった。
「ヴェ、ヴェルク……っ」
窓際に立っていた、褪せた金髪に青い瞳の青年エストが、絶望の表情でヴェルク――ヴェルクルッドを、振り返った。
「どうした、エスト!」
「何があった!?」
「敵襲か!?」
他の男たちがそれぞれの得物を手に、エストの部屋の戸口に続々と到着する。
「エスト?」
皆より一足先に到着していたヴェルクルッドは、剣は必要なさそうだと判断しつつ、部屋を見回した。
エストの部屋は雑然と散らかってはいるが、荒らされた感じはしない。広くはないが、人が隠れられるような場所もない。
「ヴェルク……は、花が……」
「花?」
エストが震える指先で示しているのは、窓際にある一輪挿し――に、生けられた花だった。
「……枯れているな」
ヴェルクルッドは見たままを告げた。
全体的に茶ばんでいるし、花びらは、既に一枚、机に落ちていた。
「そうなんだよおおおおっ!」
「うわ!?」
がっしと両肩を掴んで揺さぶられ、ヴェルクルッドは面食らった。
「ちょ、エスト、やめ」
「……それって、レインの花か?」
「そうなんですよおおおおおっ」
エストは、ヴェルクルッドの両肩を強く揺さぶりながら、戸口に集まっていた先輩の言葉に答えた。
途端に、戸口に集まった人々の口から溜息が漏れた。心底呆れ果てた、という感じで。
「ったく、人騒がせなんだよ」
「おい、ヴェルク! エストを一発ぶん殴っとけ!」
「残念だったなあ、エスト。こりゃ今年は諦めるしかないぞ」
「はくしゅん! あー、寒ぃ。もっかい温まるかー」
「は! いい気味だぜ! 振られちまえ!」
「な!? 縁起でもねえこというな! こら待て!」
それぞれ散っていく仲間たちのうち、聞き捨てならない台詞を吐いた同僚を追って、エストが部屋を飛び出した。
「…………」
エストの揺さぶり攻撃から解放されたヴェルクルッドは、一息つくと、枯れている花を見下ろした。
元は綺麗な青で咲き誇っていたであろうレインの花が、今は見る影もなく萎れている。
このレインの花は、雨の日にしか花開かない、特殊な花だ。
そして、レイン祭りの当日に恋人に贈れば、永遠に結ばれるという言い伝えを持つ花でもある。
故に、恋人たちの花として愛され――祭りの頃には絶賛品薄となる花。
そのレインの花が、祭りの二日前の今夜、枯れていた。
「ヴェルク――!」
「っエスト」
背中からタックルの勢いで抱きつかれたヴェルクルッドは、身を捩って、半泣き状態のエストの頭を軽く叩いた。
「放せ。男に抱きつかれて喜ぶ趣味はない」
「いいや、放さねえ! 俺の頼みを聞いてくれるまで放さねえー!」
「…………」
ヴェルクルッドは深い深い溜息をついた。エストの言う頼みに、予想がついてしまったからだ。
「諦めろ。もう今年は無理だ。どこの花屋も、レインの花が品切れなのは、思い知っただろう」
今年、ついに念願の彼女が出来たエストは、レインの祭りで花を贈るつもりで花屋に予約に行った。が、どこの花屋にも予約を断られてしまった。既に予約分の確保で精一杯なのだという。そんな事情を、手分けさせられたヴェルクルッドは身に沁みて知っていた。
「知ってるさ! 知っているからこそ! 俺はマイハニーのために摘みに行ったんじゃねえか!」
花屋で手に入れられないにしても、街の外で自生しているものは見つけられるかもしれない。そう望みを繋いだエストは近くの群生地に自ら摘みに行き――何とか一輪を確保してきたのであるが。
「……で、これか」
それが――今ここで枯れているレインの花だ。
摘むのが早すぎたのだろうかと、ヴェルクルッドは小首を傾げた。
「うおおお、なんでだ!? なんでなんだー!?」
エストが天を仰いで嘆いたので、ヴェルクルッドの拘束が解かれた。これ幸いと、ヴェルクルッドは、エストからそっと距離を取るが――
「ヴェルク、俺たち、友達だよな?」
がっしと腕をつかまれ、ずずいと顔を寄せられ、据わった目で問われた。
「…………」
ヴェルクルッドは、思わず視線を逸らした。
普段ならば「ああ、そうだな」とでも返したのだろうが、今そう返してしまっては、厄介ごとを頼まれるのが目に見えていた。
「友達だよなあああ!?」
「…………近い」
更に詰め寄られ――ヴェルクルッドは、諦めの溜息とともに、エストの顔を押し返した。
明日の休日が、望みの薄い花探しで潰れることが決定した瞬間であった。