夢の中まで掃除してたら、神様にスカウトされた件。〜異世界でメシもうまいし、床もピカピカです〜
「うわあああああ!?」
俺、佐倉凪は、気づいたら知らない場所に立っていた。
というか、寝てたはずなんだけど。
ブラック企業の三日連続徹夜から開放されて、ようやくベッドに倒れ込んだのが最後の記憶だ。そこから先は……ああ、そうだ。夢を見ていた。
夢の中で、俺は掃除をしていた。
汚れた床を磨き、埃まみれの棚を拭き、散らかった書類を整理していた。
それはまるで会社のオフィスのようで、でも違っていて。
白い大理石の床、天井まで伸びる美しい柱、荘厳な雰囲気の神殿のような場所だった。
――で、今。
「よくぞ来てくれた、佐倉凪よ」
目の前には、掃除用具を持った小柄な神様らしき存在がいた。
身長は俺の腰くらい。モップを杖代わりに持ち、雑巾を腰に巻き、バケツを頭に被っている。どう見ても掃除屋さんのコスプレだ。
「私は掃除神ポリス。神界の清掃を司る神である」
「……はい?」
「そなた、我が神殿を見事に浄化してくれたな! あの汚れは三千年分の穢れだったのだ。
他の神々が誰も掃除しようとせず、私一人では手が回らず困っておったのだが……」
ポリス神は感動したように両手を組んだ。
「そなたは夢の中で、わずか三十分で全てを綺麗にしてくれた! この才能、この技術、この熱意! そなたこそ、私が求めていた清掃の使徒だ!君には掃除の才能がある!」
「いや、あの、俺ただの社畜で……」
「もう社畜ではない! そなたの肉体は過労で限界を迎えておる。このまま戻れば、余命は三ヶ月だ」
ぎくり、と俺の心臓が跳ねた。
「だが安心せよ。私はそなたに新たな人生を与えよう。異世界アストリアの地で、そなたの掃除の才能を存分に発揮してほしい」
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に転生させないでください!」
「転生ではない、転移だ。そなたの身体はこちらで治療しておく。
異世界での任務が終われば、元の世界に戻ることもできるぞ」
ポリス神はにっこりと笑った。
「報酬は、健康な身体と異世界での自由な生活。それと……」
神様はぱちんと指を鳴らした。
「特別なスキルを二つ授けよう。【夢掃除】と【夢料理】だ。
これらは夢と現実を繋ぐ力。掃除で世界を浄化し、料理で心を癒やす。そなたにこそ相応しい力だ」
「え、あの、それって――」
「では、行ってらっしゃい! アストリアは今、魔瘴に苦しんでおる。そなたの力が必要だ!」
「待っ――」
俺の言葉を最後まで聞かず、ポリス神は俺を光の中へ放り込んだ。
気がつくと、俺は石畳の上に倒れていた。
「うう……神様って勝手だな……」
身体を起こすと、周囲の景色が目に入った。
中世ヨーロッパ風の街並み。石造りの建物、石畳の道、遠くには城が見える。
見てわかる、完全に異世界だ。
だが、何かがおかしい。
街全体が、薄暗いのだ。太陽は出ているのに、空気に黒いもやのようなものが混じっている。それが街全体を覆い、建物も人々も、どこか淀んで見える。
「これが……魔瘴?」
立ち上がろうとした瞬間、目の前に人影が現れた。
「あなた、もしかして……神の使い、ですか?」
声の主は、白い僧服を着た少女だった。金髪碧眼、透き通るような肌。
だが、その顔には疲労の色が濃く、瞳には絶望が宿っていた。
「えっと、俺は佐倉凪といいます。神の使いかどうかはわかりませんが……」
「神殿の予言に! 光の中から現れる浄化の使い、と!」
少女――いや、巫女らしき彼女は、俺の手を掴んだ。
「お願いします。この街を、この国を救ってください! 魔瘴が蔓延して、もう何年も……
人々は苦しみ、作物は育たず、心は荒んでいくばかりなんです!」
その切実な訴えに、俺は思わず頷いていた。
「わかった。できる限りのことはする」
「本当ですか!? ああ、ありがとうございます!
私はミレナ。この街の神殿に仕える巫女です」
ミレナは涙を浮かべながら、俺を神殿へと案内した。
神殿の中は、外よりもひどい状態だった。
床は埃まみれ、壁には黒いシミ、祭壇には蜘蛛の巣。魔瘴の影響で、聖域であるはずの神殿すら汚れきっている。
「これは……」
「ごめんなさい。魔瘴のせいで魔法も効かなくて。掃除をしても、すぐに汚れてしまうんです」
ミレナは申し訳なさそうに俯いた。
だが、俺の中で何かが燃え上がった。
これは、俺の領域だ。
「ミレナさん、掃除道具を貸してもらえますか?」
「え? でも、普通の掃除では――」
「大丈夫です。俺には、特別なスキルがありますから」
俺は【夢掃除】のスキルを発動した。
瞬間、世界が変わった。
現実と夢の境界が曖昧になり、俺の意識は二つの世界に同時に存在するようになった。一つは目の前の神殿。
もう一つは、夢の中の――神界と繋がった、清浄な空間。
俺は夢の中で掃除を始めた。
モップで床を磨くと、現実の床も輝き始める。
雑巾で壁を拭くと、黒いシミが消えていく。箒で掃くと、魔瘴が光の粒子となって消えていく。
「な、何これ……!?」
ミレナが驚愕の声を上げた。
俺の周囲から、黄金色の光が溢れ出していた。それは掃除をする度に強くなり、神殿全体を包み込んでいく。
汚れは消え、魔瘴は浄化され、床は鏡のように輝き始めた。
「これが、浄化の魔法……!?」
「いえ、ただの掃除です」
俺は笑顔で答えた。
三十分後、神殿は完全に生まれ変わっていた。
白い大理石の床は光を反射し、ステンドグラスから差し込む陽光が美しい模様を描く。空気は澄み切り、ほのかに石鹸の香りが漂っていた。
「すごい……こんなに綺麗な神殿、初めて見ました……」
ミレナは呆然と呟いた。
「さて、次は何をしましょうか?」
「え? まだ何かするんですか?」
「もちろん。掃除が終わったら、次はおいしい食事でしょう?」
俺は【夢料理】のスキルを発動した。
神殿の台所は、幸いにも最低限の調理器具が揃っていた。
「この世界の食材って、どんな感じですか?」
「魔瘴の影響で、ほとんどが汚染されています。食べられるものは限られていて……」
ミレナが案内してくれた食材庫には、確かに黒ずんだ野菜や、異臭を放つ肉が並んでいた。だが、俺には見えた。
夢の中で、これらの食材が本来持っていた純粋な姿が。
「大丈夫。任せてください」
俺は【夢料理】で食材を浄化しながら、調理を始めた。
黒ずんだジャガイモは、夢の中で黄金色に輝く芋になった。
それを丁寧に洗い、皮を剥き、薄切りにする。汚染された玉ねぎは、夢の中で透明な涙を流す真っ白な玉ねぎに。
それを飴色になるまで炒める。
異臭を放っていた肉は、夢の中で新鮮な香りを取り戻した。
塊肉を適度な大きさに切り分け、塩胡椒で下味をつける。
鍋に油を引き、肉を焼く。ジュウジュウという音と共に、香ばしい匂いが広がる。
玉ねぎ、ジャガイモ、人参を加え、水とトマトを投入。コトコト煮込んでいく。
その間に、パンも焼いた。汚染された小麦粉は、夢の中で真っ白な粉雪のように純粋になった。水と塩を加えて捏ね、発酵させ、オーブンで焼き上げる。
一時間後。
「できました。異世界特製シチューとパンです」
湯気の立つ皿を、俺はミレナの前に置いた。
「い、いただきます……」
ミレナがスプーンを口に運んだ瞬間、彼女の目から涙が溢れた。
「おいし……こんな、こんな味、何年ぶり……」
彼女は声を詰まらせながら、夢中でシチューを食べた。
野菜の甘み、肉の旨み、トマトの酸味が調和した、シンプルだが心に染みる味。
「魔瘴に汚染されてから、まともな食事なんて……みんな、毎日を生き延びるだけで精一杯で……」
「大丈夫。これから、ちゃんと美味しいものを食べられますよ」
俺もシチューを口にした。確かに、素材の味が生きている。
夢の中で食材の本質を引き出し、現実で調理する。これが【夢料理】の力か。
「ねえ、凪さん」
「はい?」
「この料理を、街の人々にも振る舞ってもらえませんか? みんな、疲れきっているんです。心も身体も……」
ミレナの懇願に、俺は即答した。
「もちろんです。そのために来たんですから」
翌日、俺たちは街の広場で炊き出しを始めた。
大鍋でシチューを煮込み、パンを焼き、綺麗な水を用意する。
魔瘴で淀んだ広場も、事前に【夢掃除】で浄化しておいた。
最初は警戒していた人々も、香りに誘われて集まってきた。
「これ、本当にタダなのか?」
「ああ、みんなで食べてくれ」
一人、また一人と、人々が列を作り始めた。
そして、料理を口にした瞬間――
「う、うまい! こんな味、忘れてた!」
「温かい……心が、温かくなる……」
「お母さん、これすごく美味しいよ!」
広場に笑顔が広がった。
魔瘴に苦しめられ、希望を失いかけていた人々の顔に、生気が戻ってくる。
それは料理の美味しさだけではない。【夢料理】の力が、人々の心の穢れを浄化していたのだ。
「すごい……みんな、笑ってる……」
ミレナが感動の涙を流した。
だが、その時だった。
「何をしている!」
鋭い声が響いた。
見ると、黒い鎧を纏った騎士が、こちらに向かって歩いてきた。
その鎧には、まるで生き物のように魔瘴が纏わりついている。
「貴様、勝手に魔瘴を浄化するとは……我らの支配を邪魔する気か」
「支配?」
「そうだ。この国は魔瘴によって統治されている。穢れた世界でこそ、真の力が手に入る。貴様のような浄化者は、邪魔なのだ」
黒騎士が剣を抜いた。
だが、俺は動じなかった。
「ミレナさん、下がっていてください」
「で、でも!」
「大丈夫です。夢の中なら、勝てますから」
俺は【夢掃除】を発動した。
現実と夢の境界が曖昧になる。
俺の意識は二つの世界を同時に認識し始めた。現実では黒騎士が剣を振り下ろしてくる。だが夢の中では、その騎士は――泣いている子供だった。
「これは……」
夢の中の少年は、魔瘴に囚われて泣いていた。本当は優しい心を持っているのに、穢れに支配されて悪事を働かされている。
「わかった」
俺は夢の中で、少年の周りを掃除し始めた。
モップで魔瘴を払い、雑巾で心の汚れを拭き取り、箒で絶望を掃き出す。すると、少年の姿が輝き始めた。
現実世界では、黒騎士の鎧が光に包まれていた。
「な、何だこれは! 身体が……軽くなる……?」
鎧から魔瘴が剥がれ落ち、中から現れたのは普通の青年騎士だった。彼は呆然と自分の手を見つめ、やがて膝をついた。
「俺は……一体何を……」
「大丈夫。もう魔瘴の支配からは解放されましたよ」
俺は青年に手を差し伸べた。
「これから一緒に、この国を綺麗にしましょう」
青年は俺の手を取り、涙を流しながら頷いた。
それから一週間。
俺は街中を掃除して回った。道路、建物、市場、民家。そして魔瘴に侵された人々。
【夢掃除】の力で、魔瘴を次々と浄化していく。
同時に、【夢料理】で人々に食事を振る舞った。温かいスープ、焼きたてのパン、新鮮な野菜のサラダ。料理を通じて、人々の心が癒やされていく。
街は日に日に明るくなった。
魔瘴が晴れ、太陽の光が本来の輝きを取り戻す。
人々の顔に笑顔が戻り、子供たちが元気に駆け回る。市場には新鮮な食材が並び、街には活気が溢れ始めた。
だが、問題の根源はまだ残っていた。
「凪さん、お願いがあります」
ある日、ミレナが深刻な顔で言った。
「城の奥に、穢れの王がいるんです。魔瘴の大元……あの存在を浄化しない限り、この国は完全には救われません」
「穢れの王……」
「とても危険です。でも、凪さんならきっと……」
俺は頷いた。
「わかりました。行ってきます」
城の最深部。
そこには、巨大な玉座があった。そして、その上に座る影。
「よくぞ来た、浄化の使いよ」
影――穢れの王は、低い声で語りかけてきた。
「お前の力、見せてもらったぞ。街を綺麗にし、人々の心を癒やす。素晴らしい力だ」
「なら、どうして魔瘴を広めるんですか?」
「広めている? 違うな」
穢れの王は立ち上がった。
「我は、この世界の絶望が具現化した存在。人々の心の穢れが、我を生み出したのだ。戦争、憎しみ、嫉妬、絶望……それらが積み重なり、魔瘴となった」
「だったら――」
「そう。我を倒しても、人々の心が荒んでいれば、また新たな穢れの王が生まれる。永遠にだ」
絶望的な言葉だった。
だが、俺は笑った。
「なら、簡単じゃないですか」
「何?」
「心の汚れなら、掃除すればいい。夢の中で」
俺は【夢掃除】を最大出力で発動した。
世界が光に包まれる。現実と夢の境界が完全に消え、俺の意識は国全体に広がった。
夢の中で、俺は見た。
人々の心の奥底に溜まった、何百年分もの穢れを。戦争の傷跡、貧困の絶望、病の苦しみ、喪失の悲しみ。それらが積み重なり、この国を覆っていた。
「なら、全部綺麗にします」
俺は夢の中で、国全体を掃除し始めた。
モップで過去の傷を癒やし、雑巾で心の痛みを拭き取り、箒で負の感情を掃き出す。
一人ひとりの心に光が灯り、それが繋がり、やがて国全体を包む大きな光になった。
「馬鹿な……これほどの浄化の力……」
穢れの王の身体が光に溶けていく。
「我が消える……だが、これで良い。我もまた、苦しかったのだ……」
王は最後に微笑んだ。
「ありがとう、掃除の使いよ。お前のおかげで、我もようやく……眠れる……」
光が弾けた。
穢れの王は消え、城全体が輝き始めた。その光は街へ、国へと広がり、アストリア王国全土から魔瘴が消えていった。
「凪さん!」
気がつくと、俺は城の前に立っていた。ミレナが駆け寄ってくる。
「やりましたね! 魔瘴が、完全に消えました!」
見上げると、澄み切った青空が広がっていた。雲一つない、美しい空。
「これで、この国も大丈夫ですね」
「はい! みんな、凪さんに感謝しています!」
だが、その時だった。
空から光が降り注ぎ、ポリス神が現れた。
「よくやったな、佐倉凪!」
「ポリス神……」
「そなたの働き、見事だった! 任務完了だ。さあ、元の世界に戻ろう」
「え……」
俺は思わずミレナを見た。彼女は寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「凪さん、元の世界に帰るんですね」
「ミレナさん……」
「大丈夫です。私たちは、もう大丈夫ですから」
彼女は涙を堪えて笑った。
「凪さんのおかげで、この国は救われました。本当に、ありがとうございました」
俺は悩んだ。
元の世界に戻れる。健康な身体で、新しい人生を始められる。それは確かに魅力的だった。
だが――
「ポリス神、お願いがあります」
「なんだ?」
「もう少しだけ、この世界にいさせてください」
「ほう?」
「まだ掃除し足りない場所があるんです。それに、料理もまだまだ振る舞いたい。この国が完全に元気になるまで、俺はここにいたい」
ポリス神は嬉しそうに笑った。
「そうか。では、そなたの望み通りにしよう。ただし、定期的に夢で報告するのだぞ」
「はい、もちろん!」
「凪さん……」
ミレナが驚いた顔で俺を見た。
「まだまだやることがありますからね。この国全体を、ピカピカにするまでは帰れません」
それから数ヶ月。
俺はアストリア王国で、掃除と料理の日々を送っている。
朝起きたら、街の掃除。【夢掃除】で道路を磨き、建物を綺麗にし、公園を整備する。
昼は市場で買い物をして、料理の準備。
夜は広場で炊き出し。【夢料理】で温かい食事を振る舞い、人々の笑顔を見る。
そして夜、眠りにつくと、夢の中でポリス神に報告する。
神様は毎回、嬉しそうに俺の話を聞いてくれる。
「今日も良い仕事をしたな、凪よ」
「はい。でも、まだまだです。この国には、まだ綺麗にしたい場所がたくさんあります」
「そうか。では、引き続き頑張ってくれ」
ある日、ミレナが言った。
「凪さん、あなたのおかげで、この国は本当に変わりました」
「そんな、俺は掃除と料理をしているだけですよ」
「いいえ。あなたは、私たちに希望をくれました。綺麗な街、美味しい食事、そして何より――穏やかな日常を」
彼女は微笑んだ。
「これからも、ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろん。この国が世界一綺麗になるまで、俺は掃除を続けますから」
そう答えると、ミレナは嬉しそうに笑った。
今日も俺は、夢の中で掃除をしている。
現実ではアストリア王国の街を綺麗にし、夢の中では神界の神殿を磨く。
料理を作り、人々と笑い、穏やかな日々を過ごす。
社畜だった頃の俺には想像もできなかった生活。
でも、これが俺の天職なのかもしれない。
掃除と料理で世界を救う。地味だけど、最高にカッコいい仕事だと、俺は思っている。
「さて、今日も頑張りますか」
モップを持ち、エプロンを締め直す。
今日もまた、異世界の床をピカピカにして、美味しいメシを作る。
そんな日常が、俺は何よりも好きだった。
~完~




