第35話 喪失
転倒したメアリーはマシンごとコースを滑って行き、コンクリートウォールに激突した。
(その状態ではただでは済まない・・・)
信二にはわかっていた。過去に何度もレース中の事故を目撃したり、自ら事故に遭った彼だから・・・。だが駆け寄ることもできない。今はレース中なのだ。
(メアリー、頼むから無事でいてくれ!)
信二はそう祈るしかなかった。
レースは8周に入る。メアリーのブロックのお陰でショウとマイケルに追いつくことができた。
(ここからが勝負だ!)
まずはマイケルだ。雨の中を苦労して走っている。コーナーでリーインすることも難しそうだ。そんなマイケルに信二は仕掛ける。マイケルの後にぴったりついてコーナーでハングオンする。マシンが水しぶきを上げ、不安定に揺れて今にも滑りそうだ。だが何とか踏みとどまってインを取る。そうなればマイケルは無理はできない。信二はそのまま抜いていく。
(次はショウだ!)
だがショウはすでに先に行っている。この雨の中を晴れているときと同じように飛ばしているのだ。コーナーではリーンウイズスタイルで大きく車体を倒し、マシンが滑ろうともお構いなしに走り続ける。もちろん直線は疾風のようなスピードだ。
(さすがはショウだ。タイガーと呼ばれることはある)
信二は舌を巻いた。とてもあんな真似はできないと・・・。信二はショウに追いつくことはできない。
雨はさらに激しく振っている。そんな中をショウは無謀とも見える走りで飛ばしていく。そして最終の10周目、なんとショウはイザベルに追いついたのだ。レインホバーを履いて有利なはずのイザベルはなんとか引き離そうとするが、ショウは後ろにぴったりとつく。
やがて最終コーナーを曲がった。ショウはイザベルのスリップストリームに入り、そして満を持して横に出てあっさりとゴール前で彼女を追い抜かしていく。
観客席からは大きな歓声と拍手が沸き起こっていた。地元のイザベルが負けたものの、両者の素晴らしい走りに惜しまない賞賛を贈っているのだ。
信二は3位でゴールした。そしてそのままピットに戻った。マシンを降りてすぐにボウラン監督に聞きに行った。
「メアリーは?」
「ビット病院に搬送した。かなり危ない状態だ。モリスがついている」
「行ってきます。病院に」
「シンジ。表彰式は?」
「そんなこと、どうでもいいでしょう。ホバーバイクを借りていきます!」
信二はピットに置いてあるホバーバイクにまたがって走らせた。
(頼む。メアリー。無事でいてくれ!)
信二は心の中でそう祈っていた。雨はまだ降りしきる・・・。
ビット病院に着くと信二はすぐに病室に向かって走り、そのドアを開けた。
「メアリー!」
だがそこで信二が見たのは顔に布がかけられたメアリーの姿だった。そばにいたモリスが沈痛な顔をして信二に告げた。
「即死だった。壁にぶつかって・・・」
「そ、そんな・・・」
信二は愕然とした。あのメアリーが死んだとはまだ信じられない。ベッドのそばに行って顔にかけられた布を取った。
「メアリー・・・」
その死顔はきれいで安らかだった。壁に激突したとは思えないほど・・・。
「メアリー。約束しただろ。2人で世界を席巻する伝説を作ろうと・・・。どうして・・・」
信二の目に涙があふれてきた。メアリーは今までの大人の関係を結んだ女性たちとは違う。チームの仲間であり、相棒だったのだ。それをこんなことで亡くしてしまった。
(俺のせいだ。俺が不甲斐ないばかりに・・・。メアリーは雨の中、無理をしてブロックしてくれたんだ。俺に総合1位を取らせるために・・・。こんな俺のために・・・)
信二はいつまでもメアリーの遺体にすがって泣いていた。
◇
メアリーの葬儀はマービー国に戻ってからしめやかに行われた。この日は朝から小雨が降っていた。彼女の死を悲しむように・・・。
多くの人が彼女の葬儀に参列した。その中で信二の顔色は冴えない。彼はずっと自分を責め続けていた。
そんな信二に声をかける人たちがいた。まずはミッシェルだ。彼女はチームのスポンサーであるキンガ氏の娘である。
「シンジ。元気出して。私にできることがあったら何でもする」
「ありがとう。でも今はそっとしてくれないか」
信二はそう言うしかない。ミッシェルを抱いてすべてを忘れようという気持ちにもなれない。彼女は心配しながら信二から離れていった。
その次はニコールだった。彼女はリモール国のエースライダーのウッドリアの娘だ。今は父のもとでレーシングライダーの修業している。彼女はリモール国から駆けつけてくれたのだ。
「今でも信じられない。私はメアリーさんにあこがれていたの。素敵な人だった」
「ああ。そうだった」
「きっとあの世からシンジを応援しているわ。メアリーさんに言ってあげて。『きっと次のレースで勝つ』って!」
その言葉に信二はうなずくしかない。だが今の自分にレースに勝つだけの力があるのか。メアリーを死に追いやった自分に・・・信二は自問していた。
そして開発工場のアイリーンも信二のそばに来た。
「残念だったわ。彼女はもっと素晴らしいライダーになれるはずだったのに・・・」
「俺のせいだ」
信二は吐き捨てるように言った。するとアイリーンは信二のうつむいた顔をのぞき込んだ。
「本気で言っているの?」
「ああ。俺が不甲斐ないばかりに、メアリーには無茶をさせてしまった・・・」
「シンジが責任を感じることはない。彼女はそうしたかったのだから」
「いや、あんな真似はやめさせればよかったんだ!」
だがあの状況ではできなかった。後からいくら考えても・・・それはわかっている。だからこそ悔しいのだ。
「シンジ。私は・・・」
「もう放っておいてくれ!」
信二はそう言うしかなかった。アイリーンはため息をついて彼から離れて行った。
短い期間だったがメアリーとの思い出はたくさんある。目を閉じれば彼女の笑顔が浮かんでくる。
「俺のせいだ・・・」
やるせない気持ちでいっぱいだった。葬儀が終わっても信二は雨に濡れながらずっとメアリーの墓のそばに立ち尽くしていた。




