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君と見た花園  作者: 蒼雲ふい
桜色の春
6/9

ネモフィラの花冠④

 

 それからしばらくの間、僕たちはそれぞれ何の意図もなくただ無心に僕はネモフィラの、涼ちゃんは菜の花の花冠を作っていた。

 その場に聴こえるのは、お互いの吐息と、花と花の掠れる音。たまに吹く夕暮れ時の涼しい風。


 「__莉紅!!」

 穏やかな沈黙を破るその声に反応して、僕たちは声のした方に振り返った。

 

 そこに立っていたのは、母さんだった。

 いつも優しく、儚げな母さんがあんな大声を出すなんて考えたこともなかった。額の汗でせっかくのさらさらな髪の毛も張りついて固まってしまっている。

 そこから感じた母さんの怒りに、僕の足は鉄製の棒のようにその場から動かなかった。

 涼ちゃんを顔を見る余裕すらもなかった。


 「莉紅、こんなに何時間も子供だけでいるなんて、危ないじゃない!帰るよ」

 そう言って僕の腕をいつもより乱暴に引っ張る母さんが少し怖かった。

 そんなことよりも。

 まだ、花冠を涼ちゃんに渡していない。渡さないと。渡したいのに。

 花冠はまだ僕の手の中にあった。少しずつ涼ちゃんとの距離が開いていく。

 やめろ、と抗うように僕は母さんの手を力いっぱいに振り解いて立ち尽くす涼ちゃんの方に走る。

 母さんは僕の気持ちを知ってか知らずか、僕を連れ戻すようなことはせず、少し離れたところのベンチに僕たちに背を向けてひとり腰掛けていた。

 ごめんなさいと、後で謝らないといけない。


 「涼ちゃん!!」

 こんな大声を出したのは、人生で初めてだったと思う。でも、そんなことは僕にとって今大切なことではなかった。

 今日、初めて出会ったこの子に。僕はどうしようもない程に強く惹かれた。

 別れるのが辛くて、そこから逃げたくなる。でも。

 

 「莉紅くん、ありがとう。」

 僕が言うより先に、涼ちゃんは僕の頭の上にそっと花冠を乗せた。綺麗で、何処か涼ちゃんを彷彿とさせる菜の花の花冠を。

 僕の瞳に映る涼ちゃんは、一筋の涙を流してその笑顔を僕に見せた。

 それがトリガーになって、僕までこらえられないこの気持ちに火がついて、涙として変換されていく。

 涼ちゃんに倣って、僕もゆっくりとネモフィラの花冠を涼ちゃんの頭の上に乗せた。

 「こちらこそありがとう、涼ちゃん。」

 止まらない涙。ぼやけていく涼ちゃんの笑顔。忘れたくないのに、僕の今の瞳に映せない。この溢れる涙は、止まることを知らない。

 「莉紅くん、泣かないで?」

 そう言って僕の涙を親指の腹で拭う。そしてようやく彼女を僕の視界に映すことができた時。

 そこでもやっぱり涼しい風が吹いて、僕たちの髪を靡かせる。

 

 「20年後の今日、またここで会おうよ。」

 驚きを隠せなかった。そう言ったのは涼ちゃんだったから。正直僕が言ったのならば、まだわかる。

 「これでお別れなんて、私は絶対に嫌。だから、私たちが大人になって、お互いに成長した姿で会って、また好きなだけ誰も邪魔しない所で、たくさん話そう?」

 

 「うん、約束」

 嬉しかった。また会えるということが。


 「また会おうね!」

 そう言って僕たちはしばらくの別れを告げた。

 絶対にまた会えると信じていた。

 なのに。



          ***


 「__着きましたよ」

 「わぁ……」

 

 目の前に広がるネモフィラと菜の花が一緒に群生する傾斜の緩やかな丘。そこに吹く涼しい風。不思議とどこか懐かしさすら感じられる。

 ふと見た莉紅さんの横顔はどこか哀しそうだった。どうして、そんな顔をしているの。何が貴方をそんな顔にさせているの。

 「……涼さん、憶えていますか?」

 突然、私にそう訊いた莉紅さん。莉紅さんが何を言いたいのかよくわからなくて、え?としか言うことがなかった。

 そうですか、と寂しそうに言う莉紅さんの声色に、とても申し訳ない気持ちになった。

 すると莉紅さんは何やら思いついたかのようにちょっと待ってと言って少し走ってネモフィラの咲いている方に駆け寄っていった。


 しばらくして、莉紅さんは綺麗な青のネモフィラの花冠を両手で抱えるように大事そうに持って戻ってきた。

 その花冠を私の頭の上にそっと乗せる。

 その時、私の中の記憶の欠片がパズルのピースのように嵌まっていった。そして極めつけは__。


          

 「やっと会えたね、涼ちゃん」


 どうして。

 「涼ちゃん」と呼ぶその声は、どうしてもあの子に見えた。

 りくくん。私の初恋の人。この27年の人生のなかで私が愛したたったひとりの男の子。

 頬を暖かい何かが伝う。

 ずっと会いたかった。でも会えなかった。あと1年で会えるはずだった。ずっとそのために生きて、努力してきた。

 「……莉紅さんは、りくくんなの?」

 こくり、と肯定する莉紅さん。

 そう思うと、莉紅さんにはりくくんの面影が確かにあって、やっと会えたのだと実感する。

 ネモフィラの花冠が、何よりの証拠だった。

 涙が、止まることなく頬を伝い、静かに地面に落ちる。

 莉紅さんは私の涙を拭うでもなく、何か言葉を発するでもなく、ただ抱きしめてくれる。ただ私の名前を呼んでくれる。その声に、どれだけの愛がこもっているのか痛いほど伝わってくる。

 

 再会はこの場所で。私たちは1年早く、約束を果たした。

 再会したら、好きとあの時言えなかったこの気持ちを伝えたかった。なのに今は気持ちの整理に一杯一杯で、言葉が喉元でつっかえて出てこない。でも、言いたい。言わなくちゃ。

 

 『好き』


 言ったのは、2人同時。

 お互いに少し目を見開いたけど、不思議と驚きはすぐに消えた。私たちを取り巻いたのは、小さく大きな歓喜。



 私たちはまた、あの頃のように。彼が菜の花の、私がネモフィラの花冠を被って笑いあった。

 私の一生分の願いとしあわせが、実った気がした。

 ありがとう。

 今はただ、それだけ。

 私たちを、またあの頃のように、再び涼しい風が包んだ。



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