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3話




 翌日。いつものように同じ時間、同じ車両に乗る。

 ガタンゴトンと規則的なリズムで電車が揺れ、各駅で停まる。私が乗った駅から二駅先で彼が、直木君が乗る。

 直木君は私を見つけ、ヒラヒラと手を振って私の隣に立った。


「おはよう、春待さん」

「おはよう、直木君」


 いつも通りにしているけど、直木君の表情は少しだけ曇ってる。昨日の告白のことを気にしているんだろう。

 私も少しだけ緊張している。昨日までとは違う。彼への想いも、自分の中の気持ちも。


「直木君」

「へ!?」

「なんだ、変な声を出して」

「いや、春待さんから話しかけてきたの初めてだったから……ちょっと驚いてる」


 そう言えばそうだったか。

 いつも私は彼の話に相槌を打っているだけだったもんな。だからってそこまで驚くことはないのに。


「君に聞いておきたいことがあって」

「俺に? なに?」

「君は、何で私のことが好きだと思ったんだ?」

「……っ、直球だね。さすがに、ここじゃ話しにくいかな?」

「駄目なのか」

「うーん……人目もあるから恥ずかしいよ」


 直木君は顔を赤くして目を反らした。

 そんな大きな声で話しているわけでもないのに恥ずかしいのか。こんな会話、誰かが聞いてる訳でもないと思うのだが。

 まぁそれでも気になるというなら無理に聞き出そうとはしない。

 私が今度でもいいと言うと、彼は安心したように微笑んだ。


 直木君の赤くなった頬。何だかこっちにも熱が伝わってくるような気がしてくる。あくまで、そんな気がしてくるだけ。それなのに、何だか私の方まで熱いような気がしてきた。

 何でだろう。ちょっとだけ心拍数も上がった気がする。そんなに緊張しているのか、私は。


 ガタン、と電車が大きく揺れて私は少しだけ足元がふらついた。バランスを崩した私の肩を直木君が支えてくれた。


「大丈夫、春待さん?」

「ああ……」


 さっきまでより距離が近くなった。ふと顔を上げると、直木君の顔がいつもよりも近くにあって心臓が跳ねあがった。こんなに近くで彼の顔を見たことはない。

 本当に、熱が伝わってきそうな距離。触りもしないで温度なんか分かるはずないのに、いま、物凄く熱い。


「……あのさ、春待さん」

「なに……?」

「俺さ、馬鹿だから自分の気持ちをどうやって言葉にしていいのか分からないんだ……」


 そう言いながら、直木君が私の頭をそっと撫でた。

 まるで硝子細工に触れるみたいに優しく、慈しむように。

 私に触れる彼の手は少し震えていて、何だか私に触れるのを躊躇っているようにも思えた。

 なんで君はいつも不用意に私に近付く癖に、触れるのを怖がるの。


「……直木君。私、分からないんだ」

「分からない、って?」

「好きって気持ちが、どんなものなのか。分からないものに、答えは出せない……だから、知りたいんだ」


 私の問いに、直木君は少し上を見上げた。

 そのまま目的の駅までずっと黙ったまま、お互いに口を開くことはなかった。


 電車から降りた後も、改札を抜けて、学校へ向かう道中も、直木君は何かを考えたまま。教室に入って友人に声を掛けられてもボーっとしたままだった。

 私の問いは、そんなに難しいものだったのか。あんなに悩ませてしまって申し訳ない。


 だけど、それでも私は知りたいんだ。君の私への想いが。



――



「みーお、ご飯食べよー」

「ああ」


 罪悪感を抱いたまま、あっという間に昼休みになった。

 いつものように真奈が購買で買った昼食を持って私の席にやってきた。私は自分で作ったお弁当をカバンから出して、机の上に置いた。


「春待さん」


 お弁当の箱を開けようとしたら、直木君が声を掛けてきた。

 真面目な顔をしているから、私まで緊張する。


「あーら、私ってばお邪魔かしら?」

「うん。だから春待さん貸して」

「仕方ないわね。高く付くわよ」

「うっせ」


 私抜きで話を進めないでくれ。

 とは言っても私も直木君と話がしたかった。真奈にゴメンと一言だけ告げて、まだ手を付けていないお弁当を持って彼の後ろを付いていった。


 直木君が向かった先は屋上。立ち入りは禁じられていないが、私は入ったことがない。

 彼は普段からよく来るのだろうか。慣れた様子で階段を上がっていき、ドアを開けた。


「……おお」

「春待さん、もしかして初めて?」

「あ、ああ。屋上に来る理由もなかったし……」


 今日は天気が良いから、空が広く見える。風もなく、日差しが心地よく暖かい。


「春待さん、こっち」


 直木君に手招きされ、私たちは塔屋を背にして腰を下ろした。

 解放されているにも関わらず、屋上には他に人がいない。こんなに天気がいいのに勿体ないと思ったが、私のように屋上が入れることを知らない生徒もいるのだろう。


 私が空を眺めていると、直木君は持っていたビニール袋からパンと紙パックの飲み物を取り出して食べ始めた。

 そう言えば食事がまだだった。初めての屋上に感動してつい忘れていた。手に持っていた小さなトートバッグからお弁当を出し、改めて昼食を取った。

 ご飯中、直木君は一言も喋らない。食事中は会話をしないタイプなのだろうか。私も喋る方ではないが、真奈は常に何かしらの話題を持ってきているから、こんな静かなお昼は珍しい。


 でも、悪い気はしない。沈黙も苦ではない。

 彼と過ごす時間。電車内でもそうだが、黙っていても嫌な感じがしない。

 今までは特に何も思わなかったが、そう思えるのは私が彼に対してプラスの感情を持っているからなのか。

 急にこんなことを意識している自分に、少しだけ違和感があるけれど。


「……あのさ、春待さん」

「なんだ?」


 先に食事を終えた直木君が、ポツリと呟くように話し始めた。

 私も残りのおかずを口に入れ、空になった弁当箱を閉じて袋にしまう。


「今朝のこと、俺なりに考えたんだけどさ」

「うん」

「俺がなんで春待さんのこと好きなのか、どうして好きだと気付いたのか……ずっーと考えていたんだけど」

「……うん」

「分からなかった」


 直木君はヘラッと笑ってそう言った。

 分からないとは、どういうことだろう。彼は私のことが好きだと言ったのに、その気持ちが分からないなんてことがあるのだろうか。


「春待さん、訳わかんないって顔してるね」

「ああ。好きだと君が言ったのに、それが分からないなんて変だろう」

「うーん。なんて言えばいいのかな。例えば可愛いとか、他の子にも言えるような理由じゃ春待さんは納得しないかなって思ったんだよ。春待さんじゃなきゃ駄目だって特別な理由はなんだろうって」

「それが、分からないと?」


 直木君は黙って頷いた。

 確かに私は、ただ可愛いから好きだと言われても納得出来なかったかもしれない。

 それなら他の子にだって当て嵌る。それだけが理由なら私じゃなくても良いはずだ。

 凄いな、直木君。私の性格をよく理解してる。


「もちろん、俺が好きなのは春待さんだから他の子じゃ駄目だ。春待さんじゃなきゃ、俺は付き合いたいと思わない」

「どうして?」

「それを言葉に表すのが難しいんだよね。でも、俺は春待さんが一番可愛いと思うし、触れたいと思えるのも、君だけなんだよ」

「……触れたい、の?」

「うん。この距離を縮めたいって思ってる」


 直木君が私たちの間にある人一人分の距離を指さした。

 この距離を埋める。つまり、肩が触れるほど近くにいたいと言うことだろうか。


「で、でも……人は好きでなくても触れることは出来る。愛していなくても、抱ける人は抱けるのだろう?」

「そういう知識はあるんだね……まぁ確かに、俺も年頃の男の子だし性欲だってそれなりにあるし……好きじゃない子で抜くこともあるというか……エロ本とかAVはまた別物っていうか……」

「それなら、触れたいと思うだけじゃ好きだということにはならないのでは?」

「そうかな。俺は自分から触れたいと思うのも、今この距離でドキドキしちゃうのも、春待さんだけだよ」


 僅かに直木君が距離を詰めた。

 肩が触れそうで触れない距離。

 ちょっと体を傾ければ、触れてしまう距離。

 どうしよう。心臓が痛いくらいドキドキしてる。なんで、どうして。こんなふうになった事がないから、分からない。


「俺、今めっちゃドキドキしてる。正直、電車で頭撫でちゃったときも震えてたし」

「……うん。知ってる」

「気付いてた? うわ、恥ずかしい……」


 直木君が真っ赤になった頬を隠すように、両手で顔を抑えた。

 でも、頬と同じように赤くなった耳は隠れてない。

 触れてみたいと思ってしまうのは何故だろう。私の手まで震えてきた。

 心臓が飛び出しそうって表現、かなりオーバーだと思っていたけど、いま正にその状態だ。胸を突き抜けてしまいそうなほど、心臓がドクドクと高鳴ってる。

 呼吸も少し荒くなってきた。

 私はどうしてしまったんだ。人のことを、人の耳を触れたいなんて変だ。


 でも、抑えられない。

 彼の熱に触れてみたくて仕方ない。


「うわぁ!」

「……ごめん」


 私が耳にちょこっと触れると、直木君が驚いて後ろに飛び退いた。

 驚かせてしまった。反射的に謝罪の言葉が出てきたけど、私の意識は指先にしか向かなかった。

 熱かった。真っ赤になった耳は、その印象通りに熱くなっていた。

 人の耳なんて初めて触ったかもしれない。ふにっと柔らかな耳たぶの感触が、指先に残ってる。


「は、春待さん……?」

「……ごめん、直木君」


 ドキドキしすぎて、何だか泣きそうになってきた。

 何だ、これ。何なんだ、この感覚。

 もっと、もっと触ってみたい。


「もう少し、君に触れたい」

「え!?」

「駄目、だろうか?」

「いや、駄目なんてことはないけど……」


 私はもう一度、彼に手を伸ばした。

 今度は、頬に触れてみた。熱くて、少しだけ顎の辺りがザラっとしてる。綺麗な肌だと思っていたけど、直木君はもうヒゲが生えているのか。意外だな。


「……何となく、分かった気がする」

「な、にが?」

「触りたくなる気持ち……もっと触りたい……」

「え、や、待って!? これ以上は……」

「駄目、なのか?」

「駄目って言うか……心の準備というか、自制心というか……とにかく、駄目!」

「……嫌だ」


 私は意地になって、彼の肩を掴んで後ろに押し倒した。

 いや、押し倒すつもりはなかったんだけど勢い余って倒してしまった。

 まぁ、いいか。そのまま私は彼の上に跨って、頬や首筋を撫でていった。直木君は両手を頭上にあげて、何かを耐えるように体に力を入れている。

 何でそんなことをしてるのか分からないけど、何も言わないってことは触ってても良いってことなんだよな。


「っ、春待さん……も、もういい?」

「もう少し……」

「せ、せめて上から退いてくれない?」

「重い?」

「いや、そういうんじゃないんだけど……」

「じゃあ、もう少し……」


 私の手は、再び彼の顔へと伸びた。

 そっと頬を撫でながら、直木君の唇に触れる。生温かくて、柔らかい感触。

 不思議な感じだ。たまに彼の息が指先に触れて、ドキッとする。


「……凄い」


 そう呟くと、直木君がビクッと震えた。

 上下する胸に触れると、彼の心臓は物凄くドキドキしていた。掌から感じる彼の鼓動。

 掌を通じて、直木君のドキドキが私に伝わってくるみたいだ。


 私、今まで何かに執着することもなかった。物事に対して淡白で、どんなことにも波を立てない性格だった。

 だけど今は違う。直木君のことが気になって仕方ない。もっと彼に触れたくて仕方ない。

 ドキドキしすぎて、私の胸の中は津波が起きたみたいにずっと波打っている。

 私の中にこんな感情があったなんて知らなかった。


「……どうしよう、直木君」

「なにが?」


 彼の声がいつもより低くて、熱っぽかった。

 その声にも触れることが出来たら良かったのに。それが出来なくて悔しいとすら思う。


「君に触れたくて仕方ないんだ……どうしてだろう?」

「……わからない」


 私にも、何が何だか分からないんだ。




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