百合1
柔らかな髪
艶やかな唇
赤らんだ頬
柔軟剤とは違う、甘い匂い
少しの汗の匂い
私の胸に額を沈め、静かに呼吸を繰り返す
「美鈴みすずさん。ちゃんとベットで寝てくださいよ。ほら、立って。」
「ぅん~ん...詩うたちゃぁん...大好きぃ...」
「っ...まったくこの人は」
美鈴さんは時々こうだ。たまに外でお酒を飲んで帰ってくる。仕事が辛いのは分かるけど、介抱する私の身にもなってほしい。
靴を脱がせ、自分のベットに彼女を座らせる。コップ一杯の水を手渡し、無理やり飲ませた。少し口元から零れて首筋と鎖骨を伝い、彼女の豊かな胸元へと滑り込む。まったくこの人は、無防備で、危うい。
「ぅう、ありがとう~。詩ちゃん、明日も学校でしょ?早く寝なよぉ。ほらあ。」
「うわっ!」
彼女は上体をベットへ倒す。同時に私の肩を掴んだため体勢を崩される。
思わず枕の向こうへ手を着いて、彼女に覆いかぶさる。顔と顔が限りなく近づき、微笑んだ目と視線を交わす。
「美鈴さん?いい加減怒りますよ?」
「えへへ~」
「私はもう寝ます。明日は休日なので。」
「一緒に寝ようよぉ。もう、おやすみ~。」
「おやすみなさい。」
電気を消す。その直後から美鈴さんの静かな寝息が聞こえ、どこか肩透かしをくらったように感じた。
もやもやしながら押し入れから来客用の布団を取り出して寝る。今年の冬もまた寒い。
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「あれ?どうして詩ちゃんがいるの?おはよう。」
「どうして隣の部屋なのに毎回私の部屋に来るんですか。ほら、朝ごはんできますよ。」
「わーい!ありがとう!」
先週も同じやり取りをしていたのだけどこの人は何も覚えていないのだろう。
フレンチトーストを焼いて牛乳と一緒に机に並べた。テレビには今日の天気が流れている。変わらず雪だ。
「う~ん!美味しい~!」
「もう、洗い物はお願いしますよ?」
美鈴さんの方がずっと料理が得意なのにいつも私に作らせる。それでも毎回褒めてくれるから、とにかくずるい人だ。
「あー、お腹一杯。そうだ!夕方釣り行かない?」
「今日はずっと本を読みたかったんですけど...」
「いいじゃん!車の中で読みなよ。飽きたら本を竿に持ち変えればいいじゃん?」
「えぇ~。なんで寒い日にわざわざ外に出るんですか~...」
「お願い!詩ちゃんとなら何故か釣れるの!今夜はサバをごちそうするから!」
車で数十分行くところの堤防が美鈴さん行きつけで、月に何度か連行される。私は魚釣りが苦手だ。手が汚れるし、この時期は特に指先が冷えて辛い。
それでも美鈴さんの料理は絶品だった。
「...分かりました。竜田揚げでお願いしますよ?」
「よしきた!任せて!」
洗い物をしながら美鈴さんは喜んだ。私も内心で喜んだ。
互いの一週間を報告し合うと、彼女はまたベットに戻る。帰ってほしいのだけれど。
「で、それまでどうする?私、もう二度とこの布団からそっちに出たく無いんだけど?」
「美鈴さん...私本を読みたいって言いましたよね。」
「詩ちゃん...もう温かいよぉ...おいで...?」
試しに掌を毛布の中に差し込んでみると彼女の温もりで満たされていた。私は少し体が冷えやすいのに対して、彼女は体温が少し高い。だから真冬の釣りにも出掛けられるのだろう。
「ぽかぽかですね。」
「はい時間切れ~!捕まえた!」
「わぷっ」
しっとりとした肌に包まれる。服越しでないからか、昨日よりも少し匂いが濃かった。一年前からずっと変わらない、好きな匂い。
彼女は小さな声で私に問う。
「学校で好きな人できた?ちゃんと勉強できてる?」
「なんですか...順調ですよ。美鈴さんこそどうなんですか。」
「えー...ナイショ。」
「...このっ」
「あははははは!ちょ、ちょっと!やめて!ひー!もう無理ー!」
腹が立ったので脇腹の肉を揉みしだいてやる。私が唯一知る彼女の弱点だからだ。
脚を絡め、左手で彼女の細い両手首を固定する。空いた右手で凌辱の限りを尽くしてやった。
しばらくして届いた降伏宣言を受理して手を引く。
「はー...はー...詩ちゃん...すごいね...ベットの上じゃ敵わないや。」
「どんな言い回しですか。ほら、ちょっと、狭いんですけど。」
「えー!この温もりは私のなのにい!」
「その上着持って行っていいですから。また夕方に来てください!そりゃ!」
尻でベットの上から強制退場させる。
彼女はぶーぶーと文句を垂れながらそのまま玄関へ向かった。部屋が隣だからと上着一枚だけ羽織って扉を開いたのだろう、寒風にかわいい声を上げて驚くのが聞こえた。
さて、この小説を読み進めよう。
...美鈴さんの匂いで集中できない。
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美鈴さんの職業はエンジニアだ。聞けば勤め先は誰もが知る大企業。趣味は釣りと料理で、リモートワークが認められているから今の会社を選んだとのこと。
私が大学に進学してここに入居するより前から住んでいた。学部二年生の、そう丁度今みたいな寒い季節に玄関先で酔いつぶれている彼女を介抱したのが関係の始まりだった。
学部三年になるまでのこの一年間、しょっちゅう部屋に上がりこまれている。
さほど悪い気分ではなかった。
美鈴さんは誰もが認める美人だろう。黒髪のショートへア、すらりと伸びるような長身に抜群のスタイル。学生時代はかなりモテたと聞く。
女子中・女子高・女子大とエスカレーターで進学した私とは無縁の世界だ。
歳は教えてもらっていないが話す内容などから姉と同じくらいで、五歳ほど上だと推測している。
だがとても接しやすい。大学の課題もたまに助けてくれる。コミュニケーションの際の距離が近くたまに驚くが、もう慣れた。
すると玄関からインターホンが鳴り、そんな彼女の声が届く。
「詩ちゃーん!そろそろ出発しよー!」
直前になって気が引けるが、寒い中玄関先に立たせたままもよくないだろう。本を読む場所が変わるだけだ。厚着していることを確認して、外へ出る。
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美鈴さんが竿を出し始めて一時間ほど経過しただろうか。
どんどんサバを釣り上げている。もう数時間もすればクーラーボックスは一杯になるだろう。
暖気に満ちた車内でその様子と小説に交互に視線を送りながらいると彼女は車内に戻ってきた。
「ひー、流石に冷えるね!指先が真っ赤だよ。」
「キンキンですね。凄く冷たい。」
「うぅ~もっと握って!温めて~!」
氷のように冷え切った指先を握ってやる。こっちまで赤くなりそうなほどだ。
次第に動くようになったのか握っては開いてを繰り返す。
温かい飲み物を飲みながら、一緒に外を眺めた。吹雪は更に強まるだろう。
エアコンと呼吸の音だけが聞こえる車内。ふと気になることを訪ねてみた。
「またDIYしたんですか?」
「お、気付いちゃう~?私のハイエースが秘密基地として完成したんだよ!」
「凄いですね車の中にベットがある。」
「へへ。かなり頑張ったんだ。」
素人目に見てもよく出来ている。自分も大人になったらこんな楽しそうな趣味を見つけることができるだろうか。時折羨ましくなる。
「寝転がっていてもいいよ。そこら辺のカイロも使っていいからね。それじゃ、後もう一時間で帰ろっか。お腹も減ってきたでしょ?ふふふー。」
くー、と小さく鳴いた私のお腹の音を聞き逃さない彼女はからかいながらまた吹雪の中に戻った。本当に強かな人だ。
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「じゃん!完成!サバの竜田揚げ!」
冬は陽が暮れるのがとても早い。あの後一時間も経たずすぐに辺りは暗くなった。それでも釣果は十分だったようで、そのまま撤収する。
調理器具は美鈴さんの部屋に沢山あるので、こういった機会には私が彼女の部屋にお邪魔していた。めったにないことなのでとてもわくわくしていた。
予想は裏切られず、お店で食べるようなクオリティの料理が並ぶ。私は自炊をする方だが、ここまでの一品は作れないだろう。
「はい、あーん!」
美鈴さんが揚げたてのサバを一かけら、差し出してくる。遠慮なく頂こう。
「美味しいです!美味しい~!」
「ん、そりゃよかった!ほら、まだまだあるよ!食べよ食べよ!」
サクサクとした衣の中に噛み応えのあるサバの身が詰まっていて、一噛みするごとに旨味の凝縮された油を感じられた。揚げ加減も絶妙で、魚の臭みも何も感じない。いくらでも食べられる。
そう思うほどの出来上がりだった。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです!」
「でしょ~!今朝のお礼ね。次は詩ちゃんの趣味に付き合おっかな。」
「じっくり本を読むのなら歓迎しますよ。」
「あはは、私を何だと思っているの。私も読書は好きだよ。」
そんなこととうに知っている。自分の身長より大きな本棚にびっしりと本が詰め込まれている。初めてこの部屋に来たときは感動したほどだ。
半分近くは技術書や数学物理学に関係する図書だったが、それ以外にも私のよく読む分野の本も多数見られた。
「詩ちゃんさ、今夜はこっちに泊まっていきなよ。ベット広いよ?」
美鈴さんの部屋は私の部屋と比べてかなり広い。角部屋で少し作りが違うのか、広い寝室が一つ他に設けられていた。そこにクイーンサイズのベットが堂々と置かれている。
こんな贅沢な寝具がありながらどうして私の部屋に襲来するのか、訳が分からない。
「外寒いしさ、ね?」
使用した食器を片付けようと立ち上がる私の手首を掴みながら上目遣いでそう言う。
「やっぱり、ずるい人です。」
「えへへー。先にシャワー浴びなよ。洗い物はしておくから。食洗器あるから私は何もしないけど。」
「はいはい。ありがとうございます。」
突っ込むのも疲れたので軽くあしらいながら、シャワーを借りる。なんやかんやこういったことも多いので美鈴さんの部屋にも着替えを常備させていた。当然私の部屋にも彼女の着替えがある。なので夜間着の問題は特になかった。上着などは足りないので美鈴さんのものを借りよう。
がらりと私の部屋のそれと変わらない造りの風呂場の戸を開ける。
...相変わらずいいシャンプーをお使いで。
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「あ、私と同じ匂いだね。」
「この匂い好きですけどお揃いになるのもあれなので別なのを使ってるんです。」
「えー!いいじゃん、お揃い!」
ベットに転がって映画を見ていた。一本見終わって感想を交換しながらいると急に美鈴が抱き着いてきて髪の匂いを嗅ぐ。冬とはいえくっつかれると少し暑かった。ええい、離れろ鬱陶しい。
「本当に綺麗な茶色。私も昔伸ばしていたから羨ましいな。」
「邪魔なだけですよ?切るのが面倒くさいだけで。」
「でも、私は好きだな。詩ちゃんの髪。大好き。」
この人の口から零れる言葉はどれも甘い。ただ、胸焼けするような甘さではなく爽やかな果実のようなくどさのないそれで、ただただうっとりする。
だから、危うい。
「もう寝ましょう?ほら、布団です。」
「まだ十時だよ?これ見ようよ、ほら殺し屋が犬を殺されてガチギレするやつ。」
「なんでそう私の趣味ど真ん中を持ってこれるんですか...見ますよ!ほら!そっち詰めて!」
「ぃやったー!」
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目を覚ますと広いベットに私だけだった。彼女の匂いと温もりに包まれて朝日に目を細める。
キッチンから音が聞こえたのでとぼとぼと居間に向かう。
「おはよう詩ちゃん。朝ごはんできているよ。昨日の余りもあるけど、要るー?」
ただ思う。
この甘美な日々が永遠に続きますように。