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これにて一件落着、と宣言したくなる感じにすべてが丸く収まって、アレクシアの気持ちもすっきりしている。ディアナに操られていたナタリーも、魔の力が消えて完全に正気に戻っていた。
ディアナによれば、ナタリーには王家とロシェット家の対立を促すつもりでジェフリーと周囲の籠絡、アレクシアへ敵対心を持つよう洗脳していたらしい。下位貴族にとってある意味重い記憶だが、リサの時と同じくすべて消えていた。
罪に問う気はないので、おしまい。
帰ったら久しぶりにゆっくり読書でも、なんて考えながらアレクシアが歩いていると、思いがけない人と顔を合わせる。当たり障りなく挨拶し、通り過ぎることにした。
「ロシェット公爵令嬢、少し時間をもらえないだろうか」
残念ながら、思い通りにはいかないらしい。正直またか、とアレクシアは言いたかった。
私には用はありませんわぁと笑顔でこの場を去りたいが、声をかけてきたのが最高権力を持つ王族なので許されない。
「なんでしょうか」
「ここではなんだから、サロンでいいだろうか」
嫌です面倒くさいが本音だ。
けれど先日王家に無理を言った自覚がアレクシアにはあるので――元はといえば原因も王家なのだけれど、借りは返しておくことにした。
ぐ、とため息を呑み込み、先を歩くジェフリーの少し後を歩いていると、イアンとステファノが遠目に見える。なぜこうも攻略対象者たちと縁があるのかと、アレクシアは不思議だった。
促されて王族専用のサロンに入っても、感慨はまったくない。
望んでいたときは立ち入ることができなかったのに、どうでもよくなった今になって招待され、ジェフリーと向き合っているのだからおかしなものだ。
そんなものかもしれない。望んでいるときには手に入らないものだ。
「ディアナ嬢の件、ロシェット嬢のおかげで解決に至った。改めて礼を言う」
「王太子殿下自ら足を運んでくださったからです。おかげでディアナ様も、心の整理がつけられたようですわ」
詳しい報告はサヴェリオがしているはずだ。
そんな話をするためにわざわざ? アレクシアの怪訝な気持ちが伝わったのか、ジェフリーが意を決したように口を開いた。
「聖女のお披露目の場にイアンと一緒にいたのは、ロシェット公爵令嬢なのか?」
あの日ジェフリーと目が合ったと思ったのは、気のせいではなかったらしい。ただわざわざ尋ねられる理由がわからなかった。
(まさか側近候補たちを懐柔していると思われてる?)
野菜スイーツに釣られてステファノが懐いている。加えて今度はイアンか、と不信感を持ったのだろうかと想像してみた。
色々面倒くさいので、私ではありません違います! と言いたい。言えたらどんなにいいかと、アレクシアは嘆く。けれど相手は王族で、偽りを口にするのは許されない。
(ほんとしがらみが多い身分社会め!)
表情には一切出さず、アレクシアは心の中で呪詛を吐く。
ため息は、ぐっと呑み込んだ。
「ええ、おりました。弟のカイル様とガラッシ様も一緒でした」
それが何か? とアレクシアは視線で尋ねる。後ろめたいことなど何ひとつなかった。
「ならばどうして、容姿を変えているんだ」
「はい?」
「あの日は今と、髪型が違っただろう?」
「そうですね」
「なぜ、普段はその髪型なんだ」
問い詰めるような口調に、アレクシアは軽く苛つく。
(幼い頃に、あなたが好みだって言ったからですが!?)
クッションがあればきっと八つ当たりをしていただろうが、涼やかな表情を保つ。
「今はもう持ち得ない、過去になった恋心のためでしょうか」
積み重ねた努力は無駄にはなっていないので、時間を無駄にしたと後悔はしていない。黒歴史に時折胸が痛むけれど、若気の至りであり、前をむいていこうとアレクシアは決めていた。
わざわざ言わせるのかと憤りを覚えるが、なぜか、ジェフリーの方が傷ついたような顔をする。どんな感情? と、アレクシアは想像もできなかった。
「先日会った王宮の薔薇園で、私たちは幼い頃にも会っただろうか」
消え入りそうな声だ。
脳裏に浮かぶ出逢いと決別、すべてがもう遠い昔のようだった。
「ええ。私が迷子になったときに」
愕然とした表情を、ジェフリーが見せる。何その反応と驚き、アレクシアは眉をひそめたくなった。
(もしかして)
あれがアレクシアだと、知らなかったのかもしれないと思い至る。名乗ってはいなかった。
珍しく揺らいだジェフリーの眼差しが、アレクシアを映す。
こんな表情も見せるのかとは思うが、心は動かない。
むしろ、ゲームのスチルを眺めている感覚だった。
あの日庭園で終わらせた、アレクシアの恋心はもう残っていない。
感情は動かなくても、余計な言葉は聞きたくなかった。
「殿下が何をおっしゃりたいのかは存じませんが、縦ロールであろうとなかろうと、化粧の濃い薄い含めて、見た目が多少変わるだけであり、私の性格も考え方も何一つ変わりませんが?」
前世の記憶が甦る前とは、若干の変化はあるのかもしれないが誤差の範囲だ。
アレクシアの指摘に、ぐ、とジェフリーが息を呑む。
好みの容姿、というものは誰しもある。アレクシアだって、見目のいい人は大好きだ。
だからといって、見た目だけを重視しない。交流する中で、性格が合う合わない、その人の人となりを知り惹かれるものだ。
(見た目は美形ドストライクの容姿でも、俺様自己中ナルシストなんて即座に縁を切る!)
「そうだな」
ぽつりと呟かれたジェフリーの声は、すぐにでも風に攫われそうな弱々しさがあった。
※
サロンを退室するアレクシアを見送り一人になると、ジェフリーは深く息を吐き出す。心境は複雑だった。
――見た目が多少変わるだけであり、私の性格も考え方も何一つ変わりませんが?
正論だった。
見た目しか見ていなかったのでしょうと、突きつけられた気がした。
奥底に沈んでいた記憶が浮かび上がり、幼い頃の光景が脳裏に浮かぶ。婚約者候補の令嬢たちとのお茶会を控え、弟のダニエルに理想の相手を訊かれた。
ぱっと浮かんだのは、薔薇園で会った子だった。
けれどそれを伝えれば、常にジェフリーの物を奪おうとするダニエルが興味を持つ可能性が浮かんだ。とっさに、髪がくるくるっとしていて、薔薇が咲いたような華やかな子が好みだと、薔薇園で会った子と真逆な印象を理想として話した。
それを、聞いたのかもしれない。
奪われたくなくて隠したつもりが、ジェフリー自身からも隠してしまった。
「視野が狭いのは血筋か……」
望み、探していた相手はずっとそばにいた。
それも溺れそうなほどの想いをジェフリーへと注ぎ、将来王妃となる覚悟を持ち、努力もしていた人だった。
悔しさ、もどかしさ、取り返しの付かない絶望感がジェフリーの胸の中でない交ぜになる。先ほど向けられたアレクシアの眼差しには、以前のような温度はなかった。
むしろ冷ややかにも感じられた。以前生徒会室の窓から見えたアレクシアの自然な笑顔を、ジェフリーは向けられた記憶がなかった。
記憶にあるのは、薔薇園での幼い笑顔だけだ。
――一度向き合ってみたらどうだ。
イアンに言われた台詞が脳裏に甦る。聖女のお披露目の場で、アレクシアの隣に並び立つ光景も浮かんだ。
普段寡黙な男の忠告を真剣に受け止め、アレクシアに向き合っていたら何か変わっていたのだろうかとジェフリーは空想する。たらればに意味はないとわかっていても、後悔の念が胸に苦く広がった。
本人の申し出によりアレクシアはすでに婚約者候補から外れていて、選ぶ選択肢はない。真摯に向き合い本人及び家族の了承を得られれば、伴侶へと望むこともできるが可能性はないに等しかった。
ソファの背にもたれ、ジェフリーはまた深く息を吐いた。




