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自室に戻った途端、アレクシアはどっと疲れを感じる。今でもまだ、神殿であったできごとに対して実感がわかない。
聖女? なにそれ状態だ。
(あーもう!)
なんでこうなった? が頭から離れない。
悪役令嬢が聖女にジョブチェンジなど、予想できるわけがなかった。
事実は小説より奇なり、とはいうけれどまったく嬉しくない役割だ。
「フェルはまだ寝ているの?」
ブレスレットを外し、アレクシアはソファのウサギの腕にかける。じっと見つめて、つんつんと指先でつついてみた。
「フェルー?」
呼びかけても返事はない。
少し思案して、アレクシアはベルを鳴らしマリッサを呼ぶとお茶の用意を頼んだ。
一度ソファに腰を落ち着けるともう動く気力はなく、身体を預けぼんやりしていると、ティートローリーを押したマリッサが戻ってくる。手際よく綺麗な所作で紅茶を淹れ、フェルナンドが気に入っていたクッキーとチョコレートをテーブルに並べた。
礼を言って、アレクシアはさっそく手を伸ばす。
「んー、美味しい」
口に放り込んだチョコレートの甘さが、疲れた心と身体に染み入る。最高だ。
もうひとつ、と指で摘まむ。
「おい! 俺も食べる」
ぱっと、ブレスレットが人の姿に変わる。それを見てぎょっとしたアレクシアは、チョコレートを口に運ぶ手を止めた。
「――誰?」
わずかな間の後、疑問が唇からこぼれる。
「俺だよ」
「オレオレ詐欺?」
「なんだそれ、フェルナンドだっつーの」
「え、だって、え?」
「言っただろう? 本来の姿は格好いい大人の男だって」
ふふん、と得意げな顔をフェルナンドがする。声のトーンも知っているものとは違った。
「ええぇ!」
さらさらの長い髪は変わらず、身長がぐんと伸びて顔から幼さが消えている。年齢はアレクシアよりも少し上にも見え、とにかく、顔が見事なくらいに整っていた。
「そのチョコ、今日は食べさせてくれないのか?」
「無理」
そんな絵面は、今までと違い甘ったるい恋人同士にも見える。知っているフェルナンドであり、外見が子どもから大人に変わっただけなのに、同じような可愛がり方はできそうになかった。
軽く笑って、フェルナンドが自らチョコレートを唇へ運ぶ。
妙な色気があった。
「その姿は、水晶の力を得たから?」
気を取り直して、アレクシアは疑問をぶつける。以前も魔力を得る度、姿を変えられるようになっていた。
「そうだよ。魔力が完全に馴染んだら、封じられた他の魔力も自力で取り返してくる」
どこぞに封じられていると言っていたのを思い出す。
それは隣国であり、簡単には行けそうにない場所だった。
「しばらく留守にするってこと?」
「いや、今回取り戻した力は俺の根幹であり、奪われていた記憶も取り戻した」
「記憶?」
「そうだ。どうした? 聞きたくないって言ってた聖剣にまつわる話聞きたくなったか?」
ニヤリ、と笑うフェルナンドは、アレクシアの表情を読んだらしい。
どうしよう、でも、心の中で葛藤して、結局は好奇心に負ける。知っていいことはないだろうが、驚きすぎて事情に興味がわいてしまった。
「……聞きたい」
なんでもないことのように菓子を口に運びながら語られたのは、フェルナンドは精霊であるということだった。
当時は今よりも混沌とした世界で、人外も多くいたらしい。
平和な世を求めた当時の権力者が力をつけ始めた魔を消滅させようと、フェルナンドに協力を仰いだまでは良かった。
勇者と呼ばれる者と行動を共にし、やがて魔を倒しその残滓を封じた。
そこにフェルナンドが浄化のための聖樹を芽吹かせた。
協力関係はここで終わるはずだったのだが、権力者はフェルナンドの力を手放すのが惜しくなる。勇者もまた圧倒的な力を留めておきたくなり結託。
当時の宮廷魔道士が浄化を早めるためとフェルナンドに水晶へ力を込めてほしいと頼み、仕掛けられていた魔法陣で精霊である記憶と力を奪った。
勇者は奪った力を水晶から恋人へ渡し、聖女の肩書きを与えたようだ。
それからフェルナンドの存在を隠し、自分たちに都合の良い話を作り上げて民に広げていった。
「歴代の聖女の力は、フェルから奪った力ってことなの?」
「そうだろうな。その時代の聖女が死を迎えると、力が水晶に戻るような術式になっていた」
「奪った力で勇者は偉そうにしていたってこと?」
「みたいだな」
「うわ、勇者控えめに言ってクズじゃない?」
この世界の権力者も大概だ。
はは、とフェルナンドが笑い声を上げる。真面目に言ったのにと、アレクシアは眉間にシワを刻んだ。
「すげぇな、勇者ってだけで崇められてんのに、その勇者をクズって」
「きっと世渡りに長けていて、肩書きは立派な方だったのですね」
表向きの表情と口調で、アレクシアは勇者に対する評価を口にする。どう繕ったところで、ろくでなしとしか言えなかった。
「ほんと、アレクシアは最高だな」
「ふふ、そうでしょう? もっと褒めてもいいのよ」
某童話の木の人形のように、脳内イメージで鼻をぐーんと伸ばす。裏のない賞賛は心地好い。
「俺のために怒ってくれてありがとな」
くるくる巻かれた髪を、フェルナンドが指に絡ませ口づける。そのまま上目遣いで、アレクシアを見つめた。
間近で見る整った顔の破壊力に、息を詰める。ときめきを通り越して、無になった。
「こういうのにときめくんじゃないのか?」
「……どこ情報よ、それ」
「アレクシアの部屋にあった本」
ほん、と頭の中で繰り返して、大人買いして積んでいる本たちを思い出す。
「あ!」
「一生懸命読んでるから、面白いのかと思ったんだ」
「フェル」
「なんだよ」
「文字、読めたの」
「読めるっての!」
妙な空気は霧散する。ふん、と鼻を鳴らしてソファに背を預けるフェルナンドに、アレクシアはやっと楽に呼吸ができた気がした。
「フェル、とりあえず猫か子どもの姿になって」
「この姿は好みじゃないのか?」
好みではある。だが顔面が良すぎるのもまた良くない。
部屋に連れ込んでいるようでもあり、年頃の貴族の子女としてはなんとなく後ろめたく感じる。見た目が変わるだけで中身は同じなのだが、アレクシアの心の問題だ。
「まあいいけどな。こっちの方が寛げるし」
ぽんっと一瞬で猫の姿に変わる。さっとアレクシアから距離を取り、最近の定位置であるウサギのぬいぐるみにもたれかかった。
「私もその姿の方が心臓に優しいわ」
「だから言っただろ、大人のいい男だって」
「……認めるわよ!」
「まあ、まだ魔力が安定していないから、長時間は元の姿ではいられないんだけどな」
正直なところ、今のままでいい。むしろ大人の姿でいられると、可愛い癒やしのフェルナンドがいなくなってしまった気がしてアレクシアはショックだ。
「アレクシアがいる間は人の世にいることにする」
「私がいる間?」
「面白いからな。力はいくらでも貸すぞ」
力、特別、そんなものには面倒事が付随している。な、と同意を求められても、素直に喜んでいいのか、アレクシアはわからなかった。




