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 走り去る背に、マリッサが泥棒だと声を上げる。即座に反応したエリックが、犯人を追いかけ駆けて行った。


 茫然としているアレクシアとは違い、二人はさすがだ。

 我に返ったアレクシアは、焦ることなく成り行きを見守る。馬鹿だなぁと、盗人を哀れにも思った。


 本日の装いに合わせたバッグの中身は、残念ながら空に近い。普段からアレクシアが支払いをすることはなく、家に請求を回すか、侍女であるマリッサが支払うからだ。


 今日に限っては、買い食いを止められた時用にこっそりいくらか忍ばせていたのだが、すでにそのほとんどを使ってしまっていた。


 公爵家の騎士に追いかけられ、捕まるリスクを負ってまで盗むような価値はない。バッグを売って金に換えるにしても、一点ものなので足が付く可能性を加味すると、無駄骨としか言いようがなかった。


「あ」


 エリックが追いつくよりも早く、盗人の前に立ち塞がった人の手によって男は地面に伏せられる。あっという間の出来事、思わぬ展開に、アレクシアは瞳を瞬いた。


 押さえつけられている男は、罵詈雑言を並べている。追いついたエリックが協力者に頭を下げ、盗人を引き受けようとすると、タイミング良く警邏隊が姿を見せた。


 いつの間にか姿を消しているズール男爵が起こした騒ぎに、誰かが一縷の望みをかけ呼んだらしい。これ幸いとエリックが呼び寄せ、ひったくり犯を引き渡している。事情を説明するエリックの横で、今にも立ち去ろうとする男の後ろ姿に、アレクシアは慌てて足を急がせた。


 途中ちらりと男の横顔が見え、アレクシアの足が止まる。知った顔だ。


(……なんでここに)


 この時間は、学園にいるはずだ。

 けれど他人のそら似とは思えない。自然と目を奪われる美貌の持ち主が、どこにでもごろごろと存在していたら大変だ。


(うわぁ、なんて嬉しくない偶然)


 まさかこんなところで、同じ公爵家の嫡男、イアン・キャフリーに遭遇するとは思わなかった。


 さらりとした短い黒髪に、深い藍色の切れ長の瞳、すらりとした体躯で美しく整った容姿をしている。剣の腕もさることながら魔法にも長け、ハイスペックで麗しいがゆえのヒロインのカモさんだ。


(横顔もかっこいいな!?)


 見た目はアレクシアの好みではあるけれど、他は微妙だ。


 仏頂面がデフォルトで、誰に対しても淡々としている。冷たい性格なのか、周囲への興味が薄いのか、無口なために何を考えているのかわからない。


 仏頂面、無愛想を愛しく思えるのは二次元だからだ。

 現実になった途端、評価はとっつきにくい人に変わる。そんなイアンに自ら突撃し、アレクシアは交流を深める気はなかった。


 だから今まで、挨拶程度しかしたことがない。

 ジェフリー以外の男は、眼中になかったとも言うが。


(何が正解なのこれー!)


 成り行きを見守る目は、まだアレクシアを見ていない。


(逃げる!?)


 不審者だと、言わんばかりの行動だ。

 駄目な選択肢だとわかっていても、空想の逃げ出すボタンを連打したい気持ちに襲われる。ふ、と視線が流され目が合った途端、普段あまり表情を変えない人が、わずかに目を見張った。


「……このバッグは、あなたの物で間違いないですか?」


 わずかな間の後、盗人から奪い返したバッグを、イアンが差し出す。アレクシアだと気付かれたのか、まったく判断がつかない。


(これだから顔に出ない男は!)


 貴族ならば誰もが皆似たようなものなのだが、動揺で何にでも文句をつけたくなる。心の中では悲鳴を上げ、右往左往しながらも、今のアレクシアは見た目が違うのだからわからないはずだと信じ、清楚に見える笑みを浮かべた。


「ええ、ありがとうございました」


 差し出されたバッグを受け取る。動揺を悟らせない表情を保ってはいても、どどど、と鼓動が騒ぎ出した。


(さあ、逃げよう! いやでも、何かお礼が必要!?)


 脳内でアレクシアは頭を抱える。ちらりとマリッサに視線を流すと、心得たものでイアンとの間に入った。


「バッグを取り返していただき、ありがとうございました。何か、お礼をさせてください」


 すすす、と音を立てないように、アレクシアは後退る。さあ、世間知らずのお嬢様を演じ、あとはマリッサに任せよう。


 今までも、没交流だ。

 アレクシアがジェフリーにつきまとっているのを見ても、イアンは眉間にシワを寄せる程度で、何を言うこともなかった。


 仮にアレクシアだと気付いたとしても、興味がないのだから気にもとめないはずだ。


「いや、礼などいらない」

「ですが」

「本当に必要ない。それより、ロシェット家の者だろう?」


 ぴぎゃ、と心で悲鳴を上げる。あっさり、見抜かれた。

 うそでしょ、とアレクシアは愕然とする。わざわざ指摘してくる意図も、まったく見えなかった。


「ロシェット公爵令嬢、でいいのか?」


 軽く首を傾げ、知らない振りをする。大丈夫、今日はいつもの姿ではない。知らぬ存ぜぬで、通せばいけるはずだ。

 たぶん、とアレクシアは付け加える。だんだんと、自信がなくなってきた。


「侍女と護衛に見覚えがある」


(よく見ているな!?)


 さすが王太子と人気を二分する、ハイスペックな攻略対象者だ。女性の顔など見分けられるはずがないと思っていたが、従者の方を覚えているのだからお手上げだ。


 はあ、とアレクシアは息を吐く。

 面倒くさいが、ごまかされてくれないのだから仕方がない。助けても、もらった。


「ごきげんよう、キャフリー様。バッグを取り返していただき、ありがとうございました」

「やはり、ロシェット公爵令嬢なのか」


 軽く驚き見せるのに、くそう、と笑顔の裏でアレクシアは悪態をつく。


 やられた。

 確信がないのなら、親戚の者だと適当にかわせばよかった。


「今日は随分と、印象が違うな。驚いた。護衛の彼がいなければわからなかった」


(バレた原因、エリックだった)


 名の知れた護衛を連れ歩くのは、名札をつけているのと変わらない。

 今更そのことに、アレクシアは気付いた。


 だいたいなぜ、イアンが市井になんている。今はまだ授業がある時間で、学生は勉学に勤しむべきだ。学園をサボるなど、言語道断。


「こんなところで、ロシェット嬢は何をしているんだ」


 軽く責めるような口調に、アレクシアはカチンとくる。療養という名のサボりではあるけれど、イアンもこうして市井にいるのだから同類だ。


 何かしら事情があるのかもしれないが、それはお互い様だ。一方的に責められるいわれはない。


「それを、特に親しくもない、キャフリー様に説明しなければいけないのですか?」


 ぴくり、とイアンの眉が跳ね上がる。家の爵位は同格なので、対等だ。

 顔色を窺う必要などなかった。


「元々私が誰であろうとも、なんらかの理由でこの場にいようとも、あなたには関係のないことでは? 確かに、バッグを奪い返していただきました。それに関してはすでに感謝の言葉を伝えています。私の侍女がお礼をするとも、申し出ました。それを断った時点で、この件については終わりです。終わったことに対して恩を着せ、話せ、などとおっしゃいませんわよね?」


 一気に、たたみかけるようにアレクシアは話す。


 本を買いに来たついでにカフェに行こうとしていただけなので、本来隠す必要はない。けれど何かしらの疑いをかけ、咎めるようなイアンの態度が気に入らないので、素直に言う気にはなれなかった。


「悪かった。そんなつもりはなかったんだ」


 思いがけない素直な謝罪に、アレクシアは驚く。

 軽く視線を伏せるイアンは、バツの悪い顔だ。


「いや、多少疑う気持ちはあった。だが、知らぬ姿で市井にいる理由は、ただ気になって知りたかっただけだ」

「素直ですね」

「俺が全面的に悪いからな」


 本当に、潔い。

 少しだけ、イアンに対する認識が、いい方に上書きされた。


「謝っていただいたので、疑問に答えますね。本を買いに来ました。これからカフェに行くつもりでいたのですが、知っての通りです。疑問は解消されました?」


 にっこりと笑う。


「ああ、むりやり聞き出したようで、すまない」

「いいえ、こちらこそ、バッグありがとうございました。それでは」


 さっと背を向ける。逃げるが勝ちだ。


 こんな女性人気の高い男と、一緒に居るところ目撃されても困る。気ままに楽しく暮らしたいだけなのに、不本意にもすでに波瀾万丈だ。


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