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帰国した国王が、不在時に積み上がった書類には手をつけず、最優先にしたのは側妃を呼び出すことだった。
国王の執務室に入室した途端、媚を売る様子を見せるのに怒鳴りつけたくなるのを必死に堪える。わずかも理解していないだろう側妃を、今すぐにでも幽閉してしまいたくなった。
「私が居ぬ間に、随分勝手なことをしてくれたな」
ガルタファル皇国で国務会議に参加し、帰国した途端ロシェット公爵から面会を求められた。すぐに執務室に迎え入れ、静かな怒りを湛えたサヴェリオと対面し、報告を受けてはいたが直接話を聞き頭が痛くなった。
――二度目はありませんゆえ、お心にお留め置きください。
帰り際、向けられた眼差しには明確な意思がこもっていて心臓が冷えた。
溺愛している娘のアレクシアがジェフリーを見限り執着を捨てた時点で、サヴェリオをこの国へ留める足かせはなくなっている。今はもう、ロシェット家を国に繋ぎ止める術などない。
王国騎士団から引退しているとはいえ、怪我は表向きの理由だ。
当時どうにか引き留めようとする国王たちに、昔からのよしみで有事の際には協力する妥協案を提示し、文官ではあるが王宮の職務から離れずにいてくれたというのに、サヴェリオを怒らせる行動を王家が取るなど愚の骨頂だ。
「ロシェット公爵に再婚を強要するなど、なんてことをしてくれたんだ!」
自然と、荒らげた声が出ていた。
さすがに怒りが伝わったらしく、呑気な側妃の顔が強張った。
「私は王家のためを思って――」
「黙れ。私は決してロシェット家には手を出すなと言ったはずだ。それなのによくも、最悪な形で公爵を煩わせおってからに」
「公爵家といえども臣下、王家からの話を無下にする方が不敬ですわ!」
厚顔無恥な側妃を、張り倒したい衝動に駆られる。歴史的背景も知らず、情勢すら読めない者が王家の一員であることに失望した。
ジェフリーと宰相が根回ししてくれていたことに、心の底から感謝する。顔合わせを強要する以上に迂闊なことをしていれば、ロシェット家は間違いなく王家との敵対を選んでいた。
大義名分を掲げるだけ、身の丈に合わない野心ばかりを抱く女にうんざりする。王妃の強かで、先を見据え動くところとは比べものにならなかった。
当時の政治的な思惑がなければ、娶る検討すらしない。
「王家のためを思うなら何もするな。着飾って似たような者たちとおとなしく茶でも飲んでいろ。それが最善だ」
「なぜ私ではなくあんな不敬な家の肩を持つのですか!」
むしろ王命を出し、後押しをしろと側妃は主張してくる。人の神経を逆なですることに関しては、天才的だ。
せめて表向きは反省の色を見せ、素直に引く謙虚さを持ち合わせていてほしかったと、国王はため息をついた。
「一から説明しなければ理解できないようだな。したところで理解できるかはわからないが、現実を突きつけないよりはましだと思いたい」
愚鈍だと言われ、側妃が悔しそうに唇を噛みしめる。重要な国務を任せられないくらいには、能力がないのは事実だ。
「ロシェット家は国の英雄でもある公爵が鍛えた精鋭揃いの騎士団を有し、この国の武力を支えている。王国騎士団の中にも、前騎士団長である公爵を慕っている者は多い」
誘いを受ければきっと、ロシェット公爵家に所属を移す。
「王家など足下にも及ばない財力もある。爵位など、あれば便利くらいにしか考えていない男だ」
権力に興味がないなど信じられないという側妃の顔だ。
自分の物差しでしか測れないから、愚かな行動を取る。今の生活を手放したくないのなら、何もすべきではなかった。
「公爵が亡くした最愛の奥方の生家は、ガルタファル皇国の武を担う筆頭公爵家だ。そんな奥方と比べることすらおこがましい、領地経営すらできず手放す益もない寡婦が後妻として入れるわけがないだろうが! そんなことにすら思い至らないのか!」
ロシェット公爵は魅力的ではあるが、良識のある婦人は成功率の低すぎるくだらない謀りになど乗らない。印象を悪くするだけだ。
唯一側妃からの提案を受けたのが、コーラル伯爵夫人だけだったのだろう。
「隣国で催された夜会で皇太子殿下と話したが、休暇中に母の生家を訪れていたアレクシア嬢と交流を深め、友人となったようだ」
心の底から、ジェフリーの婚約者候補からの辞退が悔やまれる。王妃としての資質をすべて、アレクシアは兼ね備えていた。
「でしたら王命で王家に嫁がせればいいのでは? ジェフリーにその気はないのだからダニエルに――」
「馬鹿を言うな!」
ダニエルがアレクシアに接触したと報告するサヴェリオの目が、冷え冷えとしていたのが思い出される。婚約の打診など、悪手以外のなにものでもなかった。
「ロシェット家が望まない縁談を押しつけ、一家揃って隣国に移住でもされたらどうしてくれるのだ!」
「まさか、そんなこと……」
「ありえないと思うのか? これだから着飾るしか脳のない女は」
苛つきが限界を超え、国王は侮蔑をぶつける。側妃は羞恥に顔色を変えた。
「皇太子殿下は、アレクシア嬢に叱咤激励され、背を正すことができた。あまりにも素晴らしい女性で求婚したが、断られたと笑っていた。それで帰国時には良い友人関係に落ち着いたとのことだ」
何かあればいつでもガルタファル皇国は受け入れる、と仄めかされた。
冗談めかしていたが、目は本気だった。
「ロシェット家はアレクシア嬢の意思が最優先で絆が深い。彼女がこの国を見限れば、即座に騎士団を引き連れ隣国に移住する。国の最大の損失だ。それをおまえが補填できるのか? できないだろう」
事細かく説明してやっと、側妃も理解したらしい。
悔しさの中に怯えも見て取れた。
「正しく実力を発揮し、王位継承権争いをするのは止めない。だが、国に害を及ぼし不利益を与えるな」
学園であったジェフリーへの襲撃に、側妃が関与していた疑惑も完全には晴れていない。腕利きではない襲撃者を雇うところが、いかにもと思えた。
けれどアレクシア嬢の誘拐で、側妃が何の益を得られるのかがわからない。ダニエルと既成事実でも作ろうとしたのかと考えてみたが、確証は持てなかった。
「二度とロシェット家に関わろうとするな。最悪な状況にでもなればそなたもタダではすまない」
「……承知いたしました」
執務室から側妃の姿が消えると、国王の唇からは深い息がこぼれる。ジェフリーへとアレクシアが好意を示してくれていたときの、国の行く末に対しての安心感が懐かしく、恋しかった。




