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「そうでしょう! これから義理の姉妹として楽しく過ごしましょうね。素敵なお父様とお兄様ができるなんて、私すごく嬉しいです」
声を弾ませるカレンが、サヴェリオとレイモンドへ視線を流す。
伯爵夫人も、満面の笑みで頷いていた。
「ええ、本当に素敵な夢物語ですわね」
「……え」
少し遅れて、カレンがぽかんとする。アレクシアの真意を察したサヴェリオとレイモンドは、強張らせていた表情を緩めた。
「どんなに実現不可能なことでも、夢を思い描くのは誰しもが自由ですもの。幼い子どものような想像が、とても微笑ましいですわ」
「なっ」
うまく思考が回らないようで、カレンは言葉に詰まる。隣の伯爵夫人は、眉間に深い皺を刻んでいた。
「ですが、現実では礼儀をお守りください。私は名前で呼ぶことを許可しておりませんわ。コーラル伯爵令嬢。夫人も」
目を眇め、二人を注意する。当たり前のように、アレクシアたちの名前を呼んでいた。
「す、すみません。ロシェット家の方がそろっていらっしゃるので」
焦ったように、伯爵夫人が言い訳を口にする。反省の色は見えず、むしろ悔しそうだった。
すでにアレクシアの継母になることが、伯爵夫人の中では決定しているのかもしれない。
「私のことは、ロシェット公爵令嬢とお呼びください」
「俺は、ロシェット公爵令息だな」
「ああ、私は公爵と呼んでもらえれば、区別はつくな」
親しくする気はないと、明確に告げる。さすがに伝わったと思いたい。
「そもそも父はお断りした話でしたのに、強引にこの場を設けてまで夢物語を聞かされるとは思いませんでしたわ」
言葉を切り、アレクシアは軽く息を吐く。
すぐに、はっとしたような表情を浮かべた。
「アドバイスをお望みでしたか? そうですね、空想を形にしたいのでしたら、劇の脚本家を目指すのをお薦めしますわ」
陳腐すぎてどこの劇団も相手にしてくれなさそうだ、と思ったもののアレクシアは言わないでおく。
今更、コーラル家に友好的ではないと悟ったらしい。
カレンの表情が歪み、伯爵夫人の表情が険しくなった。
「この縁談は、王家からのお話ですのよ」
断るなどもってのほかだと、言外に告げている。側妃に何を言われたのかわからないが、貴族としての常識が欠けていた。
「王家ではなく、側妃様の独断ですよね?」
「たとえそうであっても、王家の方ですもの、変わりませんわ」
自信満々だ。伯爵夫人は、疑う素振りすらない。
「いいえ。違います。王命は国王陛下のみが出せますのよ?」
権力の頂点にいる王族の中にも、序列がある。特にこの国の側妃は、国政に関わることがほとんどないので、立場、発言力は弱かった。
「それに貴族家の婚姻に、王家は関与しません。伯爵夫人ですのに知りませんの? 一般常識ですら不足している方が公爵夫人を望むなど、親子そろって貴族とは思えない夢見がちな方々ですこと」
高位貴族としての立ち回りができない者が、ロシェット家を名乗れば恥になった。
すぐに足をすくわれる。転落するときはあっという間だ。
「失礼ではありませんか!」
「夢を見るのを否定していませんわよ?」
煩わしさからの解放に、祝杯を上げるかのように、サヴェリオとレイモンドがワインを飲んでいる。夜会では時折ある状況なので、二人はアレクシアに任せ呑気だ。
「夢に現実を持ち込むのは無粋かもしれませんが、正しい知識は必要かと思いますのでいくつか私から訂正させていただくと、伯爵夫人が父と婚姻を結んだとしても、コーラル嬢が公爵家の娘となれるかは当主である父の判断によりますのよ?」
高位貴族になればなるほど、血のつながりを重視する。再婚する際に、相手の連れ子を養子縁組みするかは当然慎重を期した。
「我が家の、ロシェット家の娘はアレクシア以外にはいない」
はっきりと、サヴェリオが断言する。
「ありえないだろうが、王家の名の下にこの縁談を強引に進めるのなら、家督はレイモンドに譲って私は隠居しよう。公の場にはもう顔を出すことはしない。その時点で公爵夫人の座は空席となり、アレクシアがその役を担うこととなる」
抜け道など、いくつもあるものだ。
「私、大抵のことはできますので。領地をあっさり手放す伯爵夫人が、多くの責務を抱える公爵夫人の座を狙うなど無謀ですわね。せめてどこかの王女とかでしたら、父も一考するかもしれませんのに」
能力も身分も金もない未亡人を、ロシェット家に迎える必要性はない。
「私に後妻など必要ない。アレクシアとレイモンドがいれば幸せだ」
私もです、とアレクシアはサヴェリオへ視線を送る。レイモンドも微笑み、家族で顔を見合わせた。
「このこと、側妃陛下にご報告させていただきます!」
「ええ、どうぞ」
いまだに理解できていないらしい。
こんな無知で厄介な相手との縁談を押しつけた、側妃には悪感情しかなかった。
「ご存じかと思いますが、私、王太子妃候補に名を連ねておりますのよ?」
建前上はね、とアレクシアは心の中で補足する。口止めされたのだから、堂々と利用させてもらうことにした。
「お話しする機会も当然ありまして、先日この縁談について確認しましたら、王家にそんな意向はないとはっきり否定されました」
生徒会行事の手伝いを頼まれたのは、今思えばいいタイミングだった。
ジェフリーは宰相に報告し、話し合い、この縁談に関してロシェット家が取る行動、決断を支持する――要約すると好きにやっちゃっていいからね、のお墨付きをくれた。
「両陛下は今、隣国に滞在されていますが近日中にお戻りになるそうです。このことはお耳に入るかと存じます」
さすがに現実が見えてきたらしい。
夢から醒めたような顔で、母娘共々言葉を失っていた。
「アレクシア、レイモンド、そろそろ失礼しようか」
この場にもう用はないと、サヴェリオが促す。
アレクシアとしても帰りたいのは山々だが、デザートに後ろ髪が引かれた。
「シア、デザートは持ち帰りにしよう」
「はい」
提案に、さすがお兄様とアレクシアは差し出された手を取る。すかさずサヴェリオも腕を出すから、両手にイケメンだ! と来た時とは違い浮かれた気持ちでドアへ向かった。
「待ちなさいよ!」
アレクシアを睨み付けるカレンの視線に、妬みが混ざっている。麗しい父と兄が、たっぷりの愛情を注いでくれるのを夢見ていたのかもしれない。
「コーラル伯爵令嬢、今の生活を手放したくなければ、夢よりも現実を大切にされるべきです。不敬な態度はぜひ改めください。では、ごきげんよう」
部屋を出た瞬間、ここの支払いは誰がするのだろうかとそんな疑問がアレクシアは浮かぶ。
超、がつくほどの高級レストランの個室なのだから当然良いお値段だ。
公爵の名を勝手に使うのは重罪なのは理解しているのか、単にキャンセルされないようにとロシェット家の名を使わなかったのかは知らないが、予約を入れたコーラル家か側妃がすればいいと、アレクシアは気にしないことにした。




