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課題を終わらせてから帰ろう。そんな名目を掲げて、アレクシアは放課後にジェイニー、アリアーナとお茶を楽しんでいる。場所は誰に気兼ねすることもない学園の公爵家用サロンだ。今日もしっかり、おやつの用意があった。
「アレクシア様! 私もご一緒させてくださいっ」
唐突に、今まで挨拶すらしたことのない女生徒に声をかけられて、アレクシアは形の良い眉をひそめる。同じクラスではない。温度のない眼差しを向けても、赤みの強い茶の瞳を輝かせていた。
知り合いですか? とジェイニーに目で確認される。同じように目で否定を返すと、静かに一歩アレクシアの前にでた。
「どなたか存じ上げませんが、礼儀作法を学び直した方がよろしいですわ」
代わりに苦言を呈してくれたジェイニーに、アレクシアは感謝の念を送る。既視感を覚え、げんなりする不躾な態度の令嬢とは、極力関わり合いたくなかった。
「あ、失礼いたしました。コーラル伯爵家のカレンと申します。皆様と親交を深めたいと、気が急いてしまいました」
コーラル、と最近認識したばかりの家名を頭の中で反芻する。夫の死後伯爵家の領地を返上した寡婦が爵位とわずかな財産を継いでいて、アレクシアと同じ年の娘が一人いる家だ。
そのコーラル伯爵夫人が、サヴェリオが押しつけられた縁談相手だ。
側妃の甘言に惑わされる人の娘だと思えばこの態度も頷ける。カレンと名乗った女生徒を、アレクシアはまじまじと見つめた。
緩くウェーブのかかった赤茶色の髪で、貴族女性にしてはふっくらした体躯ではあるが平均値から大幅には出ていない。特筆すべき点がなく、視界から消えた途端記憶からこぼれ落ちそうだった。
「気軽にカレンと呼び、仲良くしてください」
冷ややかな空気をものともせず、カレンが笑顔を浮かべる。ちらりと窺い見たジェイニーは、意志の強い瞳に静かな怒りを湛えていた。
「コーラル伯爵令嬢は、はっきりしていらっしゃいますのね。わたくしたちとは学んだ礼儀に差異があるようですので、お互いのため同席はできかねますわ」
「でしたら、あなたが遠慮したらいいのでは?」
間髪を容れず、優先されて当然とばかりに、カレンがジェイニーに反論する。その自信はどこからくるのかと、アレクシアは驚くばかりだ。
対峙するジェイニーの笑みも深まった。
「わたくしたちがお名前を存じ上げない初対面の方が、なぜ同席を許されると思うのですか?」
話が通じないとジェイニーは察し、ストレートな問いを投げる。成り行きを見守るアリアーナも、さりげなく頷いていた。
「だって、いずれ――」
「そこまでになさい」
急ぎ、アレクシアは継ぐ言葉を遮った。この世界は貴族社会よね? と確認したくなるほど、カレンは身分を軽視していた。
アレクシアが声を上げたことで、ジェイニーはさりげなく場を譲る。さすがの気遣いだ。
「学園内とはいえ、言動のすべてが見逃されるわけではありませんのよ。コーラル伯爵令嬢」
成立してもいない縁談話を、事実のように広めるなど許されない。
特に高位の爵位になればなるほど、関する話題は軽率にすべきではなかった。怒りを買えば、家が没落することも珍しくはない。
カレンの礼儀も考えも甘いとはいえ、仕組んだのは側妃だ。
今後の学園生活で、肩身の狭い思いをしながら卒業まで過ごすのはさすがに不憫に思え、現実を突きつけるのなら人の目がない場所にすべきだった。
「どうぞ礼儀作法を学び直し、ご自身の友人方と親交を深めてくださいね」
淡々と進言してすぐに、アレクシアはジェイニーとアリアーナを促し立ち去る。引き留める声がないことには安堵した。
今後もう突撃してこないことを願うしかないが、根本的な問題――縁談を即座に消滅させたくなった。
転生したアレクシアが礼儀を守って行動しているのに、この世界で生まれ育った貴族家の娘の方が勝手気ままにしていた。それでいいの? とつきそうになったため息を、イアンと目が合い我に返って呑み込んだ。
「アレクシア嬢?」
怪訝さを滲ませる紫の瞳が、アレクシアを映している。
うっかり見つめ返し、綺麗だな、と思ってしまった。
「アレクシア様、どうかされましたか?」
きょとんとしたカイルにまで、声をかけられる。
我に返って、アレクシアは謝罪を口にした。
今アレクシアがいるのは、カイルに誘われ訪れたキャフリー家だ。
ぜひ一緒にと添えられていたフェルナンドは、子どもの面倒を見るのはパスと宣言し、ブレスレット姿で呑気にしている。二人と向き合っているのは、アレクシアだけだった。
(何この状況)
自宅なのだからイアンがいるのはおかしくはなく、招待状の配達もしてくれたので出迎えもありえることだが、ティータイムにまで同席するのは完全に想定外だ。
「少々、気を逸らしてしまいました」
お茶が運ばれてくるのを見て、入り込んでいたネズミは駆除されたのかと気になったことに端を発する。連想ゲームのようにイアンに絡み話が通じなかった令嬢を思い出し、カレンのことにまでアレクシアの思考は流れていった。
「昨日の個性的な令嬢のことを考えていたのか?」
「……お見苦しいところをお見せしましたね」
ほらぁという気分だ。学園内で誰の目があるかわからないところで、あのやりとりはよろしくない。伯爵家の娘とは思えない無作法だ。
「見るつもりはなかったんだが、ロシェット嬢には自然と目がいく」
普通ならときめく台詞でも、発言の主はイアンだ。
間違いなくそのままの意味で、ああ、派手だから目を引くものねと納得して、我がことながらアレクシアは微妙な気持ちになった。
「兄上、何があったのですか?」
了承を得る視線を向けられアレクシアが頷くと、カイルの疑問にイアンが答える。それを聞き、すべてを目撃していたのだと知った。
あーあ、という気分になる。きっと、他にも見ていた人たちがいるはずだ。
「その方は、貴族としての教育を受けていないのですか?」
ストレートなカイルの駄目出しだ。
さすが幼くても公爵家の子息だと、年下に敵わないカレンを思うとアレクシアは苦い気持ちが広がる。曖昧に濁して、不快な話題は早々に変えてしまうことにした。




