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先日はステファノとイアンのせいで、目に見えない何かがゴリゴリ削られたけれど、ここ数日は平和だ。
お友だちと胸を張って呼べるようになった二人と、楽しく過ごしている。ただ謎な呼び出しを教師から受け行ってみれば、やっぱり用はなかったと帰されたのは少し解せない。このまま何事もなく、平穏な日々が続いてほしかった。
「ロシェット公爵令嬢」
呼び止められて、アレクシアは足を止める。振り返って声の主の姿を視界に映した途端、うわぁと心の中で声を上げた。
(なんで学園にいるの?)
長めのアッシュブロンドを一つに束ね、勝ち気な印象を受ける金の瞳がアレクシアを真っ直ぐに見ている。学園の制服を着ていないので、一目で来賓だとわかった。
「第二王子殿下に――」
「挨拶はいい」
ああそう、と投げやりに返したくなる声は呑み込む。
不敬に問われたくはない。
なぜか目の前にいるのは、この国の第二王子であり、王太子であるジェフリーの異母弟ダニエルだ。母親が王妃と側妃で違うからか、二人はあまり似ていない。
ジェフリーは甘さのある正統派王子様という容姿だが、ダニエルは腹黒さが顔に出ている。正直なところ、アレクシアに言わせれば胡散臭い。
野心、権力欲がバリバリに高く、王太子の座を狙っているのは周知の事実だ。側妃である母親に、ダニエルは受ける印象含めよく似ていた。
関わり合いになりたくない人物リストに名を連ねていて、アレクシアは今まで最低限の挨拶以外したことがない。年齢はアレクシアたちよりも下で、入学は来年度だ。学園で会うなど完全に想定外だった。
用件は手短に、と淑やかな笑みを浮かべながら念を送った。
「今日は学園の見学に来ただけだ」
「さようでございますか」
あえて尋ねなかったのに、ダニエルの方からこの場にいる理由を教えられる。けれどアレクシアは返した台詞がすべてであり、会話は続かない。
今まで接点もなければ興味もない相手に、最低限マナーを守って接しているだけで充分だ。好印象を与える必要もなかった。
「最近、兄上のそばにいないそうだな」
だから何? でしかないのだが、言葉をオブラートに包んで包んで包みまくったとしても、さすがに王族に対して言えなかった。
アレクシアがジェフリーの婚約者候補から辞退したのを知っているのかわからないので、迂闊なことも言えない。箝口令が敷かれていたとしても、ダニエルは王族だ。
アレクシアがジェフリーにつきまとうのをやめたと知っているように、独自の情報網を持っていてもおかしくなかった。
「身分関係なく交流できる学生生活は限られておりますので、今は友人づきあいを優先させていただいております」
「休暇中の王家主催の茶会にも参加していなかっただろう?」
王妃主催の大規模な婚活の場だ。当然、ダニエルも出席している。目立つアレクシアがいないことに疑問を抱いたのかもしれない。
以前は、ジェフリーのいるところにアレクシアの姿あり! だったので訝しまれるのも自業自得だ。
「母の親族に会うため、隣国に行っていました」
「ああ、ロシェット公爵がそう言っていたな」
「出席できず心苦しかったのですが、随分長く顔を見せておりませんでしたので」
「親族を大切にするのはいいことだな」
「ご理解いただきありがとう存じます」
なんだろうこの会話、とアレクシアは不毛に感じる。早く切り上げて、立ち去りたかった。
「ただ、ロシェット嬢と交流会で話せなかったのが残念だ。今度王宮に招待するから、私とお茶でもどうだろうか」
そうくるのか! と、表情が引きつりそうになる。あれだけジェフリーにべったりだったアレクシアが態度を変えたので、もしかしたら第二王子陣営に引き入れられるかもしれないと誰かしらが目論んだのかもしれない。
最悪だ、と嘆いたところで状況は打破できない。ぐるぐると急ぎ思考を回し、よし、とアレクシアは決意を固めた。
「まあ、光栄ですわ」
「では――」
「私をお茶にお誘いくださるということは、第二王子殿下が直々にジェフリー様の近況を詳しく教えてくださるのですか?」
「――は?」
ぎゅ、と不快そうにダニエルの眉根が寄せられる。気にせず、アレクシアは言葉を継いだ。
「どんなにジェフリー様が完璧で素敵な存在であるかを私と語りたいと仰せでしたら、このアレクシア! 王宮であろうと馳せ参じますわ! ジェフリー様の身内から聞く貴重なお話、最高ですわね」
大げさな身振り手振りを添えて、アレクシアは大げさに喜びを表現する。以前はどうしようもなくジェフリーに熱を上げていたのだから、ピンチの今その黒歴史を利用すべきだ。
羞恥心はとりあえず引っ込んでいてもらう。
「ロシェット嬢は、兄上から離れたのではなかったのか?」
唖然としすぎたせいか、ダニエルからストレートな疑問を投げられる。ここで素直に『はい』などと答えるアレクシアではない。
「押して駄目なら引いてみる作戦ですわ!」
芝居がかった仕草で手を合わせる。恋する乙女を演出するため、うっとりとした表情も添えた。
「会わない間に育つ愛があると市井の本で読み学びまして、断腸の思いでジェフリー様と距離を取っていますの」
今度は少し、悲しさをアピールする。ちらりと視線を流したダニエルは、ドン引きした表情を浮かべていた。
「そうか」
「はい!」
「では、ロシェット公爵令嬢の気持ちは変わらないのか?」
「ええ、休暇中に訪れたガルタファル皇国で皇太子殿下に思いがけずされた求婚を断るくらいには、私の気持ちが揺らぐことはございませんわ」
嘘は言っていない。王家に嫁ぐなんでありえない! 絶対に嫌! 回避! の気持ちは今も変わっていなかった。あえて省略した言葉をどう受け止めるかは、アレクシアの与り知らぬ所だ。
口止めもされていないので、利用させていただく。
「……気が変わったらいつでも訪ねてくれ」
苦々しいダニエルの表情に、緩い笑みを返すことで答えにする。用はもうないとばかりに素っ気なく立ち去る背を見送り、アレクシアはそっと息を吐いた。
なんとか無事に乗り切ったと、安堵に胸を撫で下ろす。王位継承権争いがしたいのならば、志を同じくする者たちだけで勝手にしていてほしい。絶対に巻き込まれたくなかった。
(そういえば、第二王子も攻略対象者だった)
もしかすると今日学園に足を運んだことで、ヒロインとの出逢いがあるのだろうかとアレクシアは想像してみる。その光景を見たい、とダニエルを追うほどの熱意はなかった。
そんなことよりも――だ。
(誰にも聞かれてないわよね?!)
急ぎ周囲を見回す。先ほどの会話を聞かれていたら、羞恥に転げ回りたくなる。ダニエルの誘いを回避するためとはいえ、記憶の奥底に押し込んだ黒歴史を利用するはめになった。
この世界の常識は、煩わしくもある。独身を謳歌する気満々のアレクシアだが、こういった面倒事が付随するのは確実だ。
一緒にいて苦にならない相手と契約婚とかができたら楽なのかもしれないと考えてみる。なぜか、ぱっと浮かんだ顔があった。
「アレクシア様」
惰性で動かしていた足で教室にたどり着いていたらしく、ジェイニーに声をかけられアレクシアの意識は瞬時に切り替わる。笑顔で迎えてくれた友だちに、ささくれた気持ちが癒されるのを感じた。




