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明日(10月2日)
「悪役令嬢なので、溺愛なんていりません!」書籍1巻が発売になります。
発売済みのコミカライズ1巻共々どうぞよろしくお願いいたします!
正論アタックでルイジをやり込めたものの、アレクシアの心のざらつきは完全に消えない。せっかくレイモンドとカフェでスイーツだと浮かれていた気持ちに水を差された。
攻略対象者の中で、近づきたくない相手ナンバーワンにルイジが躍り出る。ぶっちぎりだと、アレクシアは罪のない眼鏡にさえ嫌がらせしたくなった。
(ほんと腹立つ!)
教室が見えてきたところで、気持ちを切り替える。開いていたドアから中を覗くと、すぐさまレイモンドが気づき満面の笑みで歩み寄ってきた。
「シア、遅かったな。何かあったのか」
「いえ、雑談を少し……お兄様、お待たせしました」
告げ口しないと明言したので、適当に流しておく。
感謝しなさい陰険眼鏡! と、アレクシアは脳内で扇子を突きつける。ただし誰かが先ほどの光景を目撃していて、レイモンドに報告したとしても知ったことではなかった。
公共の場で因縁を付けてくる方が悪い。
庇う気は皆無だ。
「誰もついてきていないな」
「なんの心配ですか? お兄様」
「シアをつけ回す男がいたら大変だろう?」
真顔で言うから性質が悪い。
後を付けられている方が怖い。それこそストーカーだ。似たようなことをアレクシアはジェフリーにしていたので、黒歴史という名の胸の古傷が痛んだ。
「妙な男がいたらすぐに言いなさい。公爵家の力を以てすればいかようにもできる」
「レイモンド、過激な発言は慎んだ方がよくないか?」
「ヘルベルト、まだいたのか」
いつの間に距離を詰めていたのか、ヘルベルトがさらりと会話に入ってくる。同じクラスなのだと、アレクシアは今知った。
「シナー会長、ごきげんよう」
少し前までは生徒会室でよく顔を合わせていたが、行かなくなれば学年も違うので会う機会はない。
「ロシェット嬢が来ると聞いたからな」
「私に何かご用ですか?」
「また以前のように、生徒会の手伝いを頼めないかい? これから学園行事も目白押しで仕事が増えるんだ」
「断る!」
アレクシアが口を開く前に、レイモンドが即答する。さりげなく前に出て、ヘルベルトを牽制してもいた。
「レイモンド、おまえには訊いてない」
「シアの答えも同じだ」
「ロシェット嬢、駄目だろうか」
レイモンドを無視して、アレクシアに再度尋ねる。窺うような台詞ではあるが、人を従わせる側のニュアンスだった。
平民や下位貴族あたりで、免疫がなければきっと圧を感じる。ヘルベルトに自覚があるかは微妙なところだ。
「はい。そのご提案承れませんわ」
にっこりと、笑顔でアレクシアは即答する。顔の良さを利用して頼まれたところで、無理というか嫌だ。
一瞬虚を衝かれた表情をヘルベルトは見せるが、残念ながら今のアレクシアに生徒会の手伝いをするメリットは何ひとつない。
生徒会室にはジェフリーがいる。そんな場所に滞在していたくなかった。
「部外者に頼るのではなく、生徒会のことは生徒会で解決してください」
原因は副会長のゲイリーだろうと想像できるが、能力のない者を任命した方が悪い。例えアレクシアが積極的に手伝いに行っていたとしても、手を抜くことを当たり前とする態度を諫めなかった周囲にも責任があった。
「駄目か」
「ヘルベルト、シアが嫌だと言っているだろう」
アレクシアが答えるより先に、背に庇うように立ち位置を変えたレイモンドが割って入る。心強い援護射撃だ。うんざりするほどに諦めが悪いようなら、交渉は丸投げしようと決めた。
「レイモンド、友人の苦労を慮ってくれてもいいだろう」
「シアの意思の方が大切だ」
レイモンドからは、一切の迷いが感じられない。さすが筋金入りのシスコンだ。
ここでアレクシアに対して失言があれば、友人関係にヒビが入りそうだった。
「シナー会長。仮に、現在の生徒会で仕事が回らず手伝いが必要だとして、それが私である必要はありませんよね?」
同級生から選んでもいい。
なんなら、まずはアレクシアではなくレイモンドに声をかけてもいいはずだ。
「そうだが……君の手腕を買っての申し出だ。他の者に頼むよりも円滑に業務が回るなら、最善の相手に頼むべきだろう?」
ジェフリーのそばにいたい、そんな不純な動機が目に付きやすいのに、今までアレクシアが請け負った仕事に対して認めてもらえたのは嬉しい。
「評価していただけるのは嬉しいのですが、何分多忙なもので」
友達と遊んだり、おやつを食べたり、事業に関することしたり、何のメリットもない無関係な生徒会の仕事など、アレクシアにとって重要度は底辺だ。
「何かしら、対価を用意したらどうだろうか」
「シアの望むものがあるなら、俺が用意する」
贈り物などさせないとばかりに、レイモンドが声を上げた。
「心が狭いぞ」
(ほんと、兄が大人げないんですけど)
呆れはするが、断るための助力は嬉しい。
はっきりと提案を受けられない旨の意思表示をしているにも関わらず、考えておいてほしいなどと、返事を保留にされることはないはずだ。レイモンドが決して許さない。
「兄もこう申しておりますし、自ら手に入れられない物はそうありませんので」
金銭以外で得られる対価も、ヘルベルト相手では魅力のあるものはない。
シナー公爵家はどちらかといえば、食よりも美術品関係だ。
「来年度の役員としての推薦はどうだろうか」
うわ、とアレクシアは顔を歪めそうになる。かろうじて堪えたが、一番いらないものだ。
仕事をプレゼントすると同義でしかない。迷惑だ。
「いりませんわ」
将来を見据えての、生徒会役員の肩書きもアレクシアには必要ない。欲しいと望む人が手にするべきだ。
「ストック様にはすでにお伝えしましたが、生徒会役員として指名されてもお断りいたします」
意思表示はしっかりはっきりとすべきだ。
思いがけず与えられた機会なので、現生徒会運営のトップに伝えておく。
「それに、私が日々手伝いに行くことで、他の生徒会役員の方々の心労に繋がるのはよろしくないかと存じますが?」
王太子殿下とか、ジェフリーとか、とアレクシアは言外に含める。今までアレクシアが自主的に――押しかけるともいうが手伝いに行き、快く迎えてもらったことはない。
むしろジェフリーの眼差し表情からは、また来たのか、そんな心情が窺えた。
思い当たることがあるのか、ヘルベルトは言葉に詰まる。理解できたようで何よりだと、アレクシアは笑んだ。
アレクシアは打たれ強くはあったが、まったく傷ついていなかったわけではない。評価していましたと言われれば嬉しくはあるが、その言葉に報われました、で終わりだ。
「シナー会長の残りの任期、つつがなく終えられるのを一生徒として祈っておりますわ」
今後生徒会に関わる気はないと、アレクシアは言外に含める。落胆したような、諦めが滲んだ笑みがヘルベルトに浮かんだ。
「わかった。時間を取らせて悪かった」
「ご理解いただけて何よりですわ」
率先してアレクシアが手伝っていたことに端を発するのかもしれないが、ゲイリーの手綱をしっかり握っていなかったヘルベルトにも責任はある。与えられた仕事に真摯に向き合う気がなく、手を抜くことばかりを覚えたゲイリーに早々に見切りを付け、アレクシアを当てにしていたのかもしれないが、不確定要素の存在を当たり前のように運営計画に入れるなど愚かだ。
それだけ以前のアレクシアが揺るがない意思を見せていたのかもしれないが、人の心など移り変わる。先を正しく読めなかったヘルベルトの負けだ――と考え、思考が逸れていると気づく。
「シア、行こうか。ここに長居して、不届きな想いを抱く者が出てくると悪い。まあ、俺が立ちはだかる壁になるが」
レイモンドはいつ何時も変わらない。けれど愛してくれる家族がいるからこそ、アレクシアは思うままに動けているのだと今は理解していた。
「はい、お兄様」
差し出された手を取る。血縁とはいえ極上の男にエスコートされ、大好きなスイーツを堪能するのは最高で、以前のようにジェフリーにアレクシアの時間のすべてを捧げ、世界の中心とでもいう生活には絶対に戻れなかった。




