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市井では定期的に大通りから広場に向けて市場が開かれている。流れの行商人も参加できるので、その時々でしか出会えない品もあるらしい。ただし店舗を構えての販売ではないので、詐欺まがいの品に注意は必要だった。
今まで足を運んでみようとも思わなかったので、漠然としたイメージしかなかったが、馬車の窓から眺めるだけでも賑わっているのがわかる。通りに広がる楽しげな雰囲気が、自然とアレクシアのテンションを上げた。
こういう場ではいらぬトラブルを招かぬように、貴族の身分を隠しておいた方が良い。それを踏まえて今日のアレクシアの装いは、縦ロールの装備を解いたお忍びスタイルだ。
緩く結んだ三つ編みにナチュラルメイク、レイモンドが妙に気合いを入れて制作させた、こだわりのワンピースを着ている。普段アレクシアが着ている服と遜色のない着心地の好さであり、市井を歩く人々に溶け込む違和感のないデザインだ。
フェルナンドには、アレクシアが見立て用意した服を着せている。髪型をおそろいにしようと提案したら却下されたので、ポニーテールにしていた。
「フェル、本当に大丈夫なの?」
「まかせておけ」
隣国から帰ってすぐに遭遇した事件のせいで、アレクシアの外出時の護衛が増えている。あの日捕まえた犯人たちは自我を失い、何も聞き出せなかったらしい。
だからこそ、サヴェリオとレイモンドのアレクシアに対する過保護ぶりは増していた。
常に傍らにいるのはエリックだけで変わらないが、視界に入らないよう姿を隠して付き添うロシェット家の騎士はあちこちにいるはずだ。
――今回、かなりの人数が護衛として付き添います。
――王族のお忍び並ではないかと。
市場に出かけるにあたって、ロシェット家の騎士団の動向をエリックに窺わせ、アレクシアは頭を抱えたくなった。多くの目がある状況で、フェルナンドを隠し通せるはずがない。間違いなくサヴェリオとレイモンドに報告がいく。
「どうするの?」
「そのくらいの魔法はもう使える」
「魔法?」
「俺に関する認識を書き換えればいい」
「認識を?」
そんなことができるのかと、アレクシアは感心する。魔法についてもざっくりと学んだけれど、属性に応じた攻守に関するものばかりだ。突き詰めて学ぶほど、以前の王太子妃を目指すアレクシアにとって重要な知識ではなかった。
「遠目に見ているだけなら俺の印象は薄く、不意に視界に入る鳥や蝶のように、意識に残らず忘れられていく。ただ話しかけられたら駄目だ」
「すごいわね。そんなことができるの」
「言っただろう? 特別な存在だって」
ふふん、とフェルナンドは得意げだ。
可愛らしさに、アレクシアは口元を緩めた。
「隠れて付き添う護衛は話しかけてこないから大丈夫よ。そばにいるのは事情を知ってるマリッサとエリックだけだし」
「なら平気だろ」
機嫌好く行こうと、フェルナンドがアレクシアを促す。
活気のある通りに足を踏み出した。
「フェル何から食べる? 好きなもの買ってあげるわよ」
興味深そうに当たりを眺めるフェルナンドの片方の手をアレクシアは攫い、繋ぐ。人が多いので、はぐれると悪い。
「子ども扱いするなって言ってるだろ」
「迷子になったフェルを探すの大変そうだもの。で、いらないの?」
「いる。あ、あれが食いたい」
フェルナンドの指し示す先を見て、アレクシアは笑いたくなる。目に付くのはやっぱり肉串だ。香ばしい香りが手招きするのだから抗うのは至難の業だった。
さっそく人数分買い求める。支払いをするマリッサを横目にアレクシアは肉串を二本先に受け取ると、フェルナンドに一本渡した。
「熱いから気をつけてね」
「わかってる」
言うが早いかがぶりと囓りつき、フェルナンドが悶絶する。熱かったらしい。だから言ったのにと、アレクシアは笑った。
「舌がひりひりする」
べぇ、と舌を出す。見た目ではわからないがフェルナンドは懲りたようで、今度は慎重に食べ始めた。
それを見て、アレクシアも齧り付く。
(うん、美味しい)
シェフの用意する繊細な味とは違った美味しさがある。最初は戸惑っていたマリッサも、すっかり慣れて同じように食べていた。
次にフェルナンドが選んだのは一口カステラだ。焼きたてを袋に詰め込んだものをアレクシアが受け取る。甘くて香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
「はい、フェルあーん」
「は?」
「ほら、早く」
勢いに押されるように開いた唇に、アレクシアは小さなカステラを放り込む。ぱた、と瞬きしたフェルナンドは、まあいいかと受け入れたらしい。食べ終えると次をねだるので、アレクシアは再度紙袋から一つ摘み食べさせた。
素直に開く口に放り込むのは、餌付けしているみたいで楽しい。素直にもぐもぐと食べるところも可愛いとアレクシアが表情を緩めていると、肩に軽い衝撃を感じた。
「あ、ごめんなさい」
フェルナンドに気を取られ、ぶつかった通行人に謝罪する。人が多いのだから、もう少し周囲に気をつけるべきだった。
「ロシェット嬢」
聞き覚えのある声に呼ばれる。ぱっと脳裏に浮かぶ顔があり、アレクシアはそろりと視線を向けた。
(嘘でしょ)
愕然とする。この人混みの中でなぜ出逢うんだと、悪役令嬢と攻略対象者との縁を恨みたくなった。
「まあ、奇遇ですね。キャフリー様」
平和に平穏に過ごしたいのに、強制力なのかなんなのか腹立たしい。
「妙に縁があるな」
「そうですね?」
嬉しくない。顔はいいので目の保養になるが、遠くから眺めているだけでアレクシアとしては充分だ。交流を持ちたいと望んでなどいない。
「アレクシア」
ちょいちょい、とフェルナンドに手招きされる。いたずらっ子のような瞳に、アレクシアはかがみ顔を寄せた。
「アイツ、プリンのやつだろ」
内緒話をするように、フェルナンドが耳打ちする。うっかり吹き出しそうになるのを、慌てて堪えた。
そういう認識なのかと、笑みが自然とこぼれる。イケメン攻略対象者も、無関係なフェルナンドから見れば、ただの美味しいプリンをくれる人だ。
「んん、失礼しました」
「ロシェット嬢、その子は?」
「遠戚の子です」
「フェルナンドだ」
名乗るんだ、とアレクシアは少し驚いたが、話しかけられたのでイアンに対してはもう、認識阻害の魔法は無効なのだと少し遅れて気づいた。
「イアン・キャフリーだ」
「……僕は、カイル・キャフリーです」
イアンの背後からひょこりと、フェルナンドと同じくらいの子どもが顔を出し名乗る。先ほどからちらちらちと黒く丸い頭が見えていたので、アレクシアは気になっていた。
「弟だ」
「弟です」
人見知りするのか、はにかんだような笑みをカイルは見せる。イアンの幼少期そのものに見えるのに、表情筋はしっかり仕事をしていた。




