61
校舎に入ると、立ち止まったステファノがジェフリーの背後を眺めていることに気づく。つられるように視線を流すと、女生徒三人が話しているのが見えた。
二人は知っているが、一人は初めて見る顔だ。
「あの風でも崩れねぇロシェット嬢の髪、すげよな」
「ああ」
改めて見ると、少しも崩れていない。
傍らに立つ女生徒の水色の髪は、先ほどの強い風に乱されていた。
「巻くのに時間かかりそう」
適当に相槌を打とうとして、疑問が浮かぶ。
傍らに立つステファノへと、ジェフリーは視線を向けた。
「……巻く?」
「巻いてるだろ」
「あれは巻いているのか」
「え、なに、元々くるくるってしてると思ってたのか?」
沈黙を返せば、思ってたんだな、とステファノに笑われる。女性の身支度など、時間がかかる以外ジェフリーは詳しく知らない。
記憶にあるアレクシアの髪型は幼い頃から変わらないので、疑問に思うこともなかった。
「専用の道具で巻いてるだろ、あれ」
「よく知っているな」
興味もなかったので、視覚から得る情報のまま受け止めていた。
剣術以外に興味がなさそうなステファノが詳しいことに、ジェフリーは軽い驚きを覚えた。
「妹がいるからな」
「ああ」
挨拶をしたことがある。ステファノと同じ赤みかかった茶色の、癖のない真っ直ぐな髪だった。
「たまに髪型を真似ている」
「真似て?」
「着飾ったロシェット嬢は華やかで目を引くから、憧れてる女性も多いらしいぞ」
「そうか」
「ほんと、ロシェット嬢に興味なさそうだな。婚約者筆頭候補なのに」
一瞬、ジェフリーは反応に困る。曖昧な相槌を打つと、ステファノは微苦笑を浮かべた。
婚約者候補という前提条件が崩れアレクシアに興味を持つ必要はなくなったが、まだ公にすることは許されていない。王家の意向だ。
――もう殿下を煩わせることはないと、お約束します。
薔薇園で会った際にアレクシアが口にした台詞の意味を、今は正しく理解している。過去の経験からくる先入観で、自意識過剰な対応をしたことをジェフリーは恥じていた。
――今までと趣向を変えたのか? だとしても、そう簡単に私の気持ちが動くことはない。
あの時点では把握していなかったとはいえ、思い込みで視野が狭くなっていたと反省しなければいけない。はい、と返ってきた潔い返事にもジェフリーは眉をひそめた。
不遜な態度を改めようと決意したところで今更でしかない。
アレクシアの国王への謁見は婚約者候補辞退の申し出であり、意思確認ができたと許可された。
即日受理されてもいる。王宮で見かけるサヴェリオは、機嫌が良さそうだ。
少し前から両親に、アレクシアと誠実に向き合い尊重しろと言われていた理由が、ジェフリーの想像とは真逆だったと理解した。
ロシェット家は王家よりも莫大な財を持ち、現公爵であるサヴェリオは前騎士団長で、自ら鍛えた騎士団を有するなど武力もある。正直なところ、王家は太刀打ちできないかもしれない。
だからこそロシェット家と王家を縁づけたかった国王は、アレクシアが婚約者候補から外れたと告げるときに苦い顔をしていた。
一度婚約者候補から外れてしまえば、再度名を連ねることは簡単ではない。
特に王家、ジェフリーが望んだとしてもアレクシアの同意、ロシェット家が了承しなければ成立しない。元々乗り気ではなかったサヴェリオは、今後王家が打診しようが決して頷くことはないとわかっていた。
最強の後ろ盾を持つ才女で、王太子妃の最善であるアレクシアを逃し、誰を選ぶつもりなのかと無言の圧もあった。
王族としては現状を嘆くべきだが、ジェフリーの個人的感情だけならば長年の憂いから解放され、安堵感に包まれ――とはなぜかなっていない。
急激な変化がもたらす戸惑いのせいか、すっきりしないものを抱えている。あれだけ幼い頃からアレクシアにはアピールされていたのに、あっさり辞退? 本当に? と疑う気持ちが消えなかった。
「まあロシェット嬢も、突撃してこなくなったよな」
呑気なステファノの声に、ジェフリーは我に返る。
「休暇中にあった王妃陛下主催の茶会にも、不参加だったし」
「そうだな」
隣国に滞在しているからと、茶会どころか王家主催の夜会にもアレクシアは姿を見せなかった。
父のサヴェリオと兄のレイモンドが揃って出席し、国王に謝罪の言葉を口にしているので義理は果たしている。母方の親族の元に滞在していると、ジェフリーも聞いた。
そうか、程度にしか思わなかったが、新学期になってからは徹底して避けられているのではないかと感じる。幾度か遠目に見かけたが、以前のように挨拶に来ることさえない。ジェフリーが視線を逸らせば、そのまま視界に入ることはなかった。
挨拶がなくても、不自然な距離ではない。
ただ女生徒に囲まれていたジェフリーは必然と人目を引く。
気づいていない可能性は低く、よく知るアレクシアの行動パターンならばジェフリーの周囲にいる女生徒を牽制し、女王様然として微笑むのが常だった。
手を替え品を替え、関心を引こうとするアレクシアにうんざりしていたが、助かっていた部分もあると最近実感している。
公爵と高い身分を持つアレクシアの姿がジェフリーの傍らになくなり、茶会ではいつになく令嬢たちに迫られ、学園では以前と比べものにならないほど囲まれ騒然としていた。
「俺は隣国の珍しいもん食えて良かったけどな」
思いがけない、ステファノの台詞だ。
「土産をもらったのか?」
そこまで親しかったのかと、ジェフリーは軽く驚く。
「土産っていうか、隣国産の材料使ったプリン?」
「それは土産ではないのか?」
「んー? 材料が隣国ので、ロシェット家で作ったやつ」
「それをなぜステファノがもらうんだ?」
「欲しいってねだった。イアンも食べてたけどな」
「イアンも……」
うまく想像できない。
女生徒に素っ気ないのがイアンだ。それはアレクシアに対しても変わらない――はずだというのがジェフリーの認識だった。
「相性があるから仕方ないけどさ、ロシェット嬢、話してると結構印象変わるぞ」
いつからか、ステファノはアレクシアと交流している。驚きはしたが、騎士であればロシェット公爵家に憧れるのはおかしくはなく、納得もできた。
わからないのはイアンだ。
落とし物を届けたとは言っていたが、アレクシアと親しく話しているところなど見たことがなかった。
――ロシェット嬢と向き合ったらどうだ。
なぜか、イアンから告げられた台詞をジェフリーは思い出していた。




