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なぜに外出するたび何事かあるのだろうと、アレクシアはげんなりする。平穏が、食べ損ねたプリンが、とても恋しかった。
(お兄様が一緒でなければ!)
イアンの不器用な慰めであったとしてもせっかくの提案だ。転んでもただでは起きない精神で食べます! とアレクシアは飛びつきたかったのだが、駆けつけた過保護なレイモンドが許すはずはない。
公爵家嫡男として丁寧にイアンに対して礼を述べ、後日家の方からも正式に礼をすると伝え、アレクシアはあれよあれよという間に馬車に放り込まれて即行帰宅させられた。
(仕方ないんだけどね)
わかっている。ナイフを突きつけられ、攫われそうになれば家族の反応としては当然だ。直後に警戒心もなく、呑気にプリンなど食べている場合ではない。頭では理解していても感情の方は別で、アレクシアはプリンを惜しむ気持ちでいっぱいだった。
今回の騒動で今後外出禁止令など出されようものなら、呪術を学び犯人を呪ってやりたくなる。せっかく自由に使えるお金がたっぷりあるのに遊べないなど、冗談じゃない。宝の持ち腐れだ。
拘束した犯人は、公爵家に連れ帰っている。尋問は現在進行形で行われているはずだ。詳細はまだわからない。
(あーもう! こんなときはもふもふで癒やされよう)
気持ちがささくれ立つのを自覚し、アレクシアがフェルナンドの方を見れば警戒する。黒い猫は今にも逃げ出しそうに見えた。そんな仕草も可愛い。
「フェル」
おいで、と手を伸ばすと寄ってくるどころか後退る。失礼なやつと、アレクシアは奥の手を使うことにした。
「いいものあげるわよ」
隣国で手に入れたマタタビを取り出し、フェルナンドに差し出す。
猫といったらマタタビだ。ご機嫌な態度を見せてくれるのをアレクシアは期待した。
「なんだそれ」
警戒しつつ近づいてくる。マタタビを載せた手のひらを差し出せば、表面がでこぼこしている実に鼻先を近づけ、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
期待値が、ぐんと上がる。軽く見上げてくる赤い瞳が、怪訝そうだった。
「うまそうには見えないけど、食べられるのか?」
フェルナンドの態度に変化はない。あれぇ? という気分だ。
「猫の好きなマタタビなんだけど」
「俺は猫じゃねぇ」
ぷいっと横を向いて、少しアレクシアと距離を取る。姿は猫でも、好きな物は同じではないようだ。
「え、ほんとに興味なし?」
「ない。これがアレクシアの言ってたいいものか?」
まったく興味を示さないフェルナンドに、アレクシアは肩を落とす。
めろめろになる話を聞いたことはあっても、実際猫がどうなるのかを見たことはない。今回初めて見られると、アレクシアはひそかに楽しみにしていたが諦めるしかない。非常に残念だ。
「マタタビはおまけのつもりだったの」
本命はこちらだ。
ドレッサーの引き出しから、特別製の宝石箱を取り出す。
アレクシアの魔力が鍵になっていて、他の者では絶対に開けられない。壊すこともできない頑丈な宝石箱を開け、中のものを指先でつまみ取り出すと、ソファの上にいるフェルナンドの前に置く。
「魔石か?」
「そう」
「かなり純度が高いな。含む魔力も多い」
「今までためていた私の魔力よ。フェルにあげるわ」
「……は?」
ぽかんとした顔で、フェルナンドはアレクシアを見上げる。驚かせるのに成功したらしい。自然と、口元が緩んだ。
「はい、もう一つあるわよ」
「は?」
「サプライズ成功ね!」
本来のアレクシアは、豊富な魔力を持っている。属性についても強弱はあるが、ほとんどを使える。さすが悪役令嬢スペックだと、感心するほどだ。
それなのに魔力が少ないと囁かれているのは、守護の魔石に見せかけ、アレクシアの魔力をため込む効果のある魔石を大抵身に着けているからだ。
理由は、これもまたジェフリーだった。
ただでさえ家は財力武力のある公爵位、魔力も豊富に持つ娘となれば、条件だけで王太子妃に選ばれる。それが、いやだった。
好きな人には条件ではなく、アレクシアは自身を選んで欲しい。その一心で、豊富な魔力を魔石に移し、魔法に関しては無能を装っていた。
(まあ、か弱い方が気にかけてもらえると思ってたんだけど)
今ならわかる。無駄でしかない努力だ。
「うわ、なんだこの魔力量!」
「すごいでしょ?」
(だって私、悪役令嬢と書いてハイスペックチートと読む存在ですもの)
ふふ、とアレクシアは笑う。
魔力が増えてきた頃からずっと、魔石にためている。有事の際にも使えるだろうと、厳重に保管していた。
「ああ、すごい。かなり補完できる。けど、なんで初めからくれないんだよ」
「だって、得体の知れない霊に魔力なんて与えて、怨霊にでもなったら大変じゃない」
「聖剣だって言っただろう!」
「自称かもしれないじゃない。でももうフェルを信用していいかなって思ったから、あげることにしたの」
「ああ、そう……じゃあ、もらっていいのか?」
「いいわよ」
使いどころがない魔力だ。
「なら、もらう。ありがとな」
フェルナンドは前足を伸ばし、ふに、と肉球で魔石に触れる。淡く光り輝くのがわかった。
続いてもう一つの魔石にも触れる。
「どう?」
「ああ、かなり補給できた」
機嫌のいい声だ。
アレクシアを見上げ、にい、と笑ったような気がした。
「ほら、人型が取れるようになった」
ぱっと、唐突に猫が人の姿へと変わる。驚きに、ぱちくりとアレクシアは瞳を瞬いた。
「どうだ?」
アーモンドの形をした、ルビーのような赤い瞳が見上げてくる。ストレートのさらりとした艶のある漆黒の髪は長い。
顔面偏差値の高さは窺えるが、まだあどけなさが残る子どもの姿だった。少し生意気な印象なのが、アレクシアには余計可愛く見えた。
「フェル?」
「そうだ」
うわ、と心の中で感嘆の声を上げる。やばい、とアレクシアのテンションが一気に上がった。
「可愛い!」
飛びつくように、アレクシアはフェルナンドを抱きしめる。子どもの姿とはいえ、猫の姿よりも当然しっかりした体躯だ。
けれどやっぱり素直に抱きしめられてはくれない。腕の中から逃げ出そうと、フェルナンドはジタバタと暴れ出した。
「おい、胸が顔に当たってる!」
ぐいぐいと、肩を押される。軽やかに、アレクシアは吐息で笑った。
「子どもがそんなこと気にしないの」
おませで微笑ましいだけだ。
「気にする! 本当は子どもじゃないからな」
ぺしぺしと背をたたかれるので仕方なく身体を離し、腕の中のフェルナンドを眺める。じとりと睨み付けてくる幼い子どもはやっぱり愛らしく、我慢できずアレクシアは腕の中に閉じ込めぎゅっと抱きしめた。
これにて二章終わりです。
三章開始までお時間いただきます。すみません。




