56
更新遅くなりました!
スペンサー家でも、ロシェット家を出立するときと同じような大げさすぎる別れの挨拶をかわし、引き気味のフィリップは無視して祖父たちと再会を誓い合いアレクシアは帰国の途につく。
もちろん、移動にかかる時間はお金の力で短縮する。おかげであっという間に帰り着いた、久しぶりの我が家だ。けれど休む間もなく、今度は感動の再会の時間となった。
二人揃って、わざわざ出迎えてくれたのはありがたい。家族に会えて嬉しいが、父よ仕事はいいのか――と真顔で突っ込みたくなるし、別れの挨拶をしてきたばかりなので気持ちも忙しない。父と兄に解放され部屋に戻った時にはもう、アレクシアはぐったりしていた。
ソファの背に身体を預け、燃え尽きたように動けなくなる。しばらく放心状態で虚空を見つめていたが、マリッサが淹れてくれた紅茶を飲み一息つくと、やっぱり自宅は落ち着くと実感した。
「アレクシアの身内は誰もがああなのか」
ブレスレットに姿を変え、間近で一連のやりとりを眺めていたフェルナンドが理解できない顔をしている。見慣れなければ困惑するだろうなと、見上げてくる黒い猫にアレクシアは肯定した。
「なるほど?」
「ねえ、二人に猫としてフェルを紹介する?」
サヴェリオもレイモンドも動物は嫌いではない。聖剣を隣国から持ち出したとは言えないが、拾った猫をアレクシアが飼いたいと言えば反対しないはずだ。周知されれば、フェルナンドは堂々と屋敷の中を出歩ける。
「……今はいい。無駄に構われたくない」
「そう?」
「見つかったときにまた考える」
猫の姿で出歩きはするのかと、アレクシアは察した。
「フェルがいいならいいんだけど」
「いい」
尻尾をぱたんと大きく揺らして、フェルナンドはソファで寛ぐ。
あっさり馴染む姿に頬を緩めたアレクシアは、当分はごろごろ自堕落な生活を楽しもうと決める。予定より早めに帰国したので、休暇はまだ残っていた。
そんな目論見は外れる。翌々日には、レイモンドに街へと連れ出された。
いいんだ。いいんだけどねぇと受け入れながらも、アレクシアは目の前で繰り広げられるやりとりに既視感を覚える。今二人が居るのは、超がつく高級ドレスショップの特別室だ。
まだ店頭ではお披露目さていない新作の高級ドレスがトルソーに着せられ並び、傍らにはハンガーに掛けられたドレスたちもある。高級感あるテーブルの上には所狭しとデザイン画が広げられていて、レイモンドが真剣な表情であれもいい、これもいいとデザイナーと話していた。
(私のものばっかり!)
男性物のデザイン画を手に、アレクシアは軽くむくれる。せっかく一緒に訪れたのだからレイモンドに色々着てもらい目の保養をしようと楽しみにしていたのに、先ほどからドレスしか見ていない。男性物はドレスの影だ。
世の男性は女性の買い物に付き合うのを嫌がるものなのに、レイモンドは嬉々として選んでいる。祖父たちに色々買ってもらったと報告したせいで、対抗心が芽生えたらしい。サヴェリオからの指示もあるようだ。
(またドレスが増えちゃうんだけど)
値段を見ずに欲しい物を思うまま買うのは最高だけれど、限度というものはある。財布が痛むわけではないが、高級ドレスをタンスの肥やしにするのはもったいなかった。
「もう充分です。お兄様のものをもっと買ってください」
せめて試着をしてほしい。
素敵な服はたくさんある。その美しい容姿は着飾るためにあるものだ。
「それこそもういいよ。シアがたくさん選んでくれただろう」
「まだ選び足りないです」
レイモンドの服や小物を見立て、サヴェリオの分も似合いそうなものを購入していたので似たもの同士ではある。後日、家に大量の品物が届くはずだ。
おかげでアレクシアたちが店を後にするときには、従業員総出で満面の笑みを浮かべて見送られた。
「少し休憩してから、普段使いのものを買いに行こうか?」
普段使いといっても、行くのは貴族御用達の店だ。先日着ていた、市井に紛れるようなワンピースなどは扱っていない。
店に並ぶのは、今アレクシアが着ている刺繍が美しい濃紺のワンピースドレスのような、ぱっと見ただけで貴族女性だとわかるものだけだ。
「アレクシアは何を着ても似合うから、選び甲斐がある」
「お兄様の分は私が選びますね!」
本当に買い物三昧だ。当初から買い物を主な目的としているので、アレクシアは公爵家の子女に相応しい装いをしている。髪型は二つに分けて両サイド肩の辺りまで編み込みリボンを結び、くるくると巻いた毛先を多く残して遊ばせていた。
前世で長かったときもあったが、こんな風にアレンジしたことはない。可愛らしさが似合う若さと容姿、髪型を整えてくれる侍女がいることにアレクシアは感謝した。
そのマリッサには、帰宅するまで休んでいるように指示してある。いつも傍らにいる護衛のエリックには、今日はレイモンドと出かけるので休暇を与えていた。
優秀な者は大切にすべきだ。酷使するようなブラックな職場はよろしくない。代わりの護衛は、ロシェット家の騎士が請け負っている。隠れているのでアレクシアは人数を把握していないが、かなり多くいるはずだ。
「さっき、最後に見たデザインのドレスやっぱり頼めばよかったな」
貴族街にあるカフェに入り、オーダーを終えるとレイモンドがこぼす。
この後違う店でも買い物をする予定なのに、未練たっぷりだ。
「いらないわよ、お兄様」
「そうか?」
「ええ。欲しくなったら買うわ」
申し分なく素敵なデザインではあったが、隣国で注文した分も仕立てが終わればドレスが届く。夜会への出席も必須なものだけにしようと考えているので、数は充分あると言えた。
「お兄様、これ美味しいですよ」
話を変えようと、アレクシアは店員が運んできてくれたケーキをレイモンドに勧める。桃を使っているので、見た目もピンクで可愛らしく、チーズの酸味が爽やかだった。
「……そうだな」
促されるまま一口食べたレイモンドも、表情を緩める。今まであまり持てなかった兄妹で過ごす他愛のない時間を、アレクシアはスイーツと共に楽しんだ。
「そろそろ移動しよう」
促されてカフェを出たところで、アレクシアは声をかけられる。傍らにいるレイモンドに気づき挨拶をしているのは、交流会で顔を合わせていたディアナ・レーマン伯爵令嬢だった。
「ロシェット公爵令嬢は隣国へ行かれているとお聞きしましたが、お戻りでしたのね」
しまったと言わざるを得ない。まさかの王太子妃候補の知り合いに遭遇だ。
けれど自然と女性の目を引くレイモンドの傍らに、これまた目立つアレクシアがいるのだから仕方がないことでもあった。
「戻ったばかりですの」
「そうなのですね。休暇に入ってから、王妃殿下主催のお茶会でお会いできなくて残念でしたわ」
やはり、アレクシアはいるのが当然だと思われている。王太子妃候補辞退を知らせないままで不参加は不自然で、無理があった。
隣国に逃げて良かったとげんなりしていると、自然と茶会の席での話になる。予想通りに、令嬢たちのアピール合戦は激化したようだった。
「シア、俺は少し外すよ」
「お兄様?」
先ほど迷っていたドレスを注文してくると耳打ちして、ディアナに挨拶をした後さっとレイモンドは立ち去る。そつがなさすぎて、アレクシアが引き留める間もなかった。
(不覚! ドレスなんてもういらないのに)
嘆いたところでもう遅い。諦め、アレクシアはディアナの話を聞く。
茶会で大きなトラブルはなかったけど、相変わらずジェフリーの態度は誰に対しても変わらなかったので――と、いらない報告を受ける。ああそう、としか思えずにいると、ラウル・ファール伯爵令息が姿を見せた。
「もう、行った方がよろしいのではなくて?」
デートの邪魔をしては悪いと、アレクシアはディアナを促す。
「あ、はい。呼び止めてしまってすみませんでした」
「いいえ、ファール様と楽しい時間をお過ごしくださいね」
微笑ましいなと、二人並んで歩く姿をアレクシアは見送る。ほっと一息ついて、ここでレイモンドを待つか先ほどの店に行くかで悩み、ふと下げた視線の先にハンカチが落ちているのに気付いた。
アレクシアの物ではない。拾い確かめると名前の刺繍があり、ぱっと顔を上げると遠ざかるディアナの後ろ姿が見えた。
慌てて後を追う。ディアナたちの進行方向にある建物から左に曲がると、道は複雑に入り組んでいる。左右に分かれカーブしているので、姿を見失う可能性が高かった。
「レーマン様」
曲がり角の手前で声をかけると、ディアナは足を止め振り向く。
アレクシアの姿に、ぱちくりと瞳を瞬いた。
「ロシェット様、どうかされましたか?」
「こちら、落としましたわ」
拾ったハンカチをアレクシアが差し出すと、表情をはっとさせる。すぐにディアナは柔らかく笑んだ。
「拾っていただきありがとうございます」
渡せて良かったとアレクシアは頷き、建物を左に曲がる二人を今度こそ見送る。周囲の景色から、ここからブランシュが歩いて行けるくらい近いことに気付いた。
(お土産に買えるかしら)
レイモンドに提案してみるのも悪くない。
踵を返した途端、すうっと空気が動くのを感じる。何と思う間もなく、首元にナイフを突きつけられていた。
「声を上げるな」
視界の端に映った刃の煌めきに、アレクシアは息が詰まる。肌に触れそうで触れない微妙な位置にあり、動けなかった。
低い声に促され数歩後退るだけで、建物に遮られ先ほどいたカフェからは姿が見えなくなる。護衛は今の状況に気付いていても、迂闊に近づけない。むしろ護衛がいると知られない方が、後々有利になる可能性もあった。
「おとなしく付いてこい」
これくらいアレクシア自身で対処できると、頭ではわかっている。身体さえいつものように動かせるなら、制圧するなどとても簡単だ。
けれどナイフが向けられている場所が悪い。ぶわっと前世の記憶が甦り、思考はうまく働かず、アレクシアはあの日のように動けずにいた。
あの日は、派遣社員のミスが発覚し、残業を余儀なくされた日だった。
結婚相手を探しに来ているのを隠さないような人で、己のミスも利用し、甘えるような態度で男性社員に手伝ってもらおうとしていたので、上司から優花に仕事が振られた。
正直なんでこれをミスする? と首を傾げたくなるもので、入社二年目でも簡単に修正できるものだった。心の中で悪態をつき、そろそろ帰ろうかと考えているところに、ミスで迷惑を被った営業の成田が姿を見せた。
独身の同期で、社内では結婚相手として人気があったが、優花は話しやすい友人というポジションだった。
お疲れ、と労いの言葉を掛け合い、仕事から他愛のない話になったところで優花の髪が随分伸びたという話になった。妹の髪をアレンジさせられ続け、色々できるからしようか? なんて冗談混じりの話をしていると、先に帰ったはずのミスをした張本人が現れた。
声をかけても返事をしない。成田と顔を見合わせていると、唐突に優花の背後から鋏を突き出し、しゃきんと刃を鳴らして髪を切った。
茫然としている間に我に返った成田が鋏を持った腕を掴み取り押さえ、怪我はなかったけれど後から追いついた、刃物を首元へ突きつけられた恐怖心は消えなかった。
彼女曰く、自分を先に帰して成田と親しくなる機会を奪い、代わりにすり寄る根性が気に入らなかったらしい。ミスも成田と親しくなるためにわざとしたものだった。
それ以来、恋愛関係のゴタゴタには関わらないと心に誓っている。必死の恋愛は恐ろしく、自分には向かないと悟らせてくれた。首元に刃物を突きつけられると、恐怖で身体が固まるトラウマ付きで。
(大丈夫、あの時とは違う)
言い聞かせて、反撃するタイミングを窺うつもりでいると、不意に背後でうめき声が響く。
首筋に突きつけられていた刃物が消える。それでもアレクシアが動けずにいると、隠れていた護衛が姿を表した。
鈍い音と、くぐもった声。
アレクシアの元へと駆け寄る護衛の前に、知らない男が放り出され地面に蹲った。
「確保しろ!」
すぐに護衛たちに取り押さえられる。その様子を目に映し、アレクシアは気が抜けた。
くずおれそうになる身体を、力強い腕が支える。顔を上げると、いたわるようなイアンの眼差しがあった。
「大丈夫か?」
「え、ええ」
頷いてみるものの、まだ手の震えが止まらない。
意識して、アレクシアは深く呼吸をする。ぐっと足に力を入れて、支えてくれていたイアンから離れた。
「助けていただき、ありがとうございました」
「ああ、偶然見かけたんだ」
会話が途切れる。周囲では護衛たちが慌ただしくしているのに、アレクシアの耳には遠く感じた。
「あー……と」
「はい」
目を合わせ、アレクシアは頷く。気丈に振る舞っているが、立っているのが精一杯でうまく会話ができない。正直なところ、イアンがいなければ地面に座り込んでいた。
「プリン食べるか?」
思いがけない提案だ。
きょとんとしたアレクシアは、どことなくバツが悪い顔をするイアンに自然と笑みがこぼれる。うまく慰めの言葉がかけられない、不器用な優しさが嬉しかった。