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【書籍化&コミカライズ】悪役令嬢なので、溺愛なんていりません!  作者: 美依
第二章

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「あら、私のことをご存じですか?」


 閉じたままの扇子を口元へ添え、美しく見える角度でアレクシアは首を傾げる。興味本位でマルグリットに声をかけに来たが、想定外に愉快で、不愉快でもある人物かもしれない。


「し、失礼しました!」


 慌てたように、マルグリットが謝罪の言葉を口にする。正直なところ気にもしないのだが、せっかくなので教育的指導はするかとアレクシアは唇を開いた。


「無知でお恥ずかしい限りですが私は存じ上げませんの。失礼を承知でお尋ね致します。どちらかの国の皇族、王族の方でしたでしょうか?」


 気付くかはわからないが、嫌味だ。

 初対面で挨拶もなく公爵令嬢を呼び捨てにできるのはそのくらいの身分だと、言外に告げている。実際はその身分にいる人たちのほとんどは礼儀正しいので、親しくもないのに呼び捨てなどしないが。


 どういう反応を見せるかと思えば、大げさな身振り手振りでマルグリットは否定する。本当に、貴族女性らしくない。


「私は子爵家の者です」


 知っているんだけどね、と思いながらも顔には出さずアレクシアは微笑む。

 すぐに無邪気な笑顔を返されて、自ら取った行動にわずかな危機感も持てないのだとわかった。


「でしたら、本当に失礼な方ですこと」

「え」


 さらりと告げると、なぜかマルグリットがぽかんとする。この少ないやりとりの中で、なんとなくだが人となりが窺い知れた。


 貴族社会の常識が大幅に欠けている。礼儀も身についていない。

 先ほどの謝罪は間違いなく口先だけだ。パフォーマンスでしかない。


 珍獣を愛でるように、身分の高い男たちが物珍しさから無駄にちやほやしてつけあがらせ、こうした失態も傍らでフォローしてきたのだろう。正式な社交の場で公爵令嬢本人に対し、名を呼び捨てるくらいなんてことはないと高をくくっていた。


(こんなのが側妃としてでも皇族に嫁ぐ気でいるとか)


 愚の骨頂と言わざるを得ないことを目論み、実行しようとした二人を正座させ、アレクシアは説教したい気分になる。大丈夫なのか皇族、大丈夫なのか側近候補だった公爵令息。再教育を担う者の手腕に期待したい。大切に思う人たちが暮らす国だ。


「私を知っているのなら、公爵家の者であるとも知っていますね。初対面の名も知らぬ子爵令嬢に、呼び捨てられる謂われはありませんが?」


 王族、高位貴族の令息に気にかけてもらっただけで、子爵令嬢が同等の権力を持った気になるなど勘違いも甚だしい。例え寵愛を受けていたとしても、婚姻を結ばない限り爵位はそのままだ。


 あ、と唇を開く。


 やっと理解できたようで、マルグリットは焦ったように深く頭を下げる。けれどちらりと見えた瞳は、不本意さを滲ませていた。


「申し訳ありません! ダリガード子爵家次女、マルグリットと申します。ご無礼をどうぞお許しください。本物だ、と驚きのあまりお名前を口にしてしまいました」


 顔を上げたときにはもう、しっかりしょげたような表情を作っている。けれどすぐに表情を明るくし、アレクシアを慕うような印象を演出した。


 その様子は、一言で言えば胡散臭い。


「あの! 私のこと、お聞きになりましたか?」


 期待に、瞳が輝いている。そわそわどきどき、そんな心情が全身から透けて見えて、どう答えようかとアレクシアは少しだけ悩む。


 今夜にでも顛末を伝えると聞いているので、マルグリットはまだアレクシアが二人を正論でぼこぼこにしたことを知らない。とりあえず、頷いておいた。


「わあ、良かった!」


 実感がこもった声だ。

 思い通りに事が運んでいると喜び、王族の一員として名を連ねる夢に思いを馳せている。アレクシアが提案を受け入れると信じて疑わないその思考が、まったく理解できない。


「私フィリップに話を聞いてから、アレクシアさんと仲良くしたかったんです」

「仲良く、ねえ」


 主導権は握っていると言わんばかりだ。


「セルジュは皇太子で私は後ろ盾の弱い子爵家だから、お互いを好きな気持ちだけでは認めてもらえないのは仕方ないんです。私は至らないところも多いし……」


 軽くうつむき、弱々しい声音でマルグリットは言葉を綴る。わずかな間を置いて、ぱっと顔を上げた。


「だから公爵令嬢で後ろ盾もしっかりある、優秀なアレクシアさんを正妃に迎えるんですよね。あ、私はセルジュと一緒にいられれば側妃でもいいんです。ただ皇后の地位のための結婚とか申し訳なくて、せめて私はいい関係が築けたらって思ったんです」


 にこっと、マルグリットが朗らかに笑う。

 一人芝居の、妄想劇場を見ているようだった。


 止めることも口を挟むこともなく、一方的に話すのをアレクシアが放っておいたら、さすがにしらけた空気を感じたようだ。


「あの、何か気分を害しましたか?」


 殊勝な態度を取っていても、口角が上がっている。先手必勝で愛されている私をアピールし、身分は下でも立場は上だと言いたいのは察した。


 アレクシアは扇子を開き口元を隠すと、ふふ、と吐息で笑う。


「いいえ。夜の庭園に響く虫の音を気にする人はいないでしょう?」


 マルグリットが、目を見開く。

 予想した反応と違ったのか、あしらわれたことが悔しかったのか、すぐに顔を歪めた。


「……ひどい。フィリップが言っていた通りだわ。セルジュの気持ちが私にあるのは仕方ないことなのに」


 演じているのは悲劇のヒロインだろうかと、冷めた気持ちでアレクシアは眺める。勝手に、悪役令嬢役を押しつけられている気分だ。


「ダリガード子爵令嬢」


 冷淡なアレクシアの声に、わざとらしくマルグリットは肩を揺らす。

 そろりと、うつむけていた顔を上げた。


「ここは皇族が主催した正式な社交の場だと、わかっていますか?」

「わ、わかってます」

「でしたら、馴れ馴れしく名を呼ぶのもどうかと思いますが、せめて殿下、一応公爵令息のフィリップには様をおつけになったら?」


 最低限のマナーだ。

 私的な場ではお好きにどうぞ、とは思うけれど。


「私相手に親しくしているアピールなど必要ありませんが、それでも自己満足でしたいのでしたら、貴族の子女としてもう少し上品にさりげなくされた方がよろしいかと」


 苦言を呈せば、マルグリットがかあっと頬に血を上らせる。アレクシアは扇子で口元を隠すと、ため息をついた。


「あと私のことはロシェット公爵令嬢と、家名でお呼びください」


 親しくする気などないと告げる。つい、流れるように駄目出しをしてしまった。

 突っ込みどころが多すぎて、本当に皇族に肩を並べる気があるのか疑わしい。礼儀作法、資質共に足りないと、前情報通りに落第点を付けた。


 粗探しなどするつもりはなかったのに、ここまで不出来な子は苦言を呈さずにいられない。ある意味悔しい。


「……私は仲良くしたいのに。やっぱり、私だけが愛されるのは許せないのね」


 どうしてそうなると、アレクシアは真顔になる。斜め上の思考なのか、脳内劇場で違うものが見えているのか、間違いなく相容れない。


「でも、セルジュ、殿下からの愛はなくても、尊重されるんだからいいじゃない。その高級そうなドレスだって、贈ってもらったんでしょう!」


 私は今日贈ってもらえなかったのに――そんな心の声が聞こえる。婚約者でもないのに、皇族が早々高価な物など贈れるわけがない。


「勘違いも甚だしいですね。このドレスは祖父が仕立ててくれたものよ。アクセサリー類も全部。素敵でしょう?」


 すべて一流品ではあるが、その価値がマルグリットにわかるかは知らない。


「もちろん、すべて自分で購入することもできるわ。でも久しぶりに会う孫に贈りたいという祖父の気持ちは尊重するべきでしょう? 恋心を搾取しているわけではなく、純粋な家族愛なのだから」


 貴女とは違うのよと、アレクシアは眼差しで伝える。一瞬動揺を見せ、けれどすぐに立て直したマルグリットは瞳を伏せて、悲しみを滲ませた。


「私には買えるわけがないって、見下しているんですね……」

「身の丈に合った物を身に着けている人を見下すなんてしないわ」

「嘘! 私を見下してるわ!」

「いいえ、軽蔑です。高位貴族の令息たちをたぶらかし、高価なドレスや宝石を貢がせ身に着けているんですもの」

「なっ、たぶらかしてないわ! 言いがかりはやめてください!」

「そのドレス、私が祖母と伯母に連れて行かれた店で見かけました。購入したのはダリガード子爵令嬢ではありませんでしたけど」


 店に入ったタイミングだった。

 購入したのは伯爵令息で、好きな女性に贈るのだと言っていた。彼もマルグリットのカモだったのだろうと、今ならわかる。照れた顔に、ドンマイ、と労いの言葉を心の中で贈った。


「なんなの、さっきから。やっぱり性格悪いのね。自然に愛される私に嫉妬しているんでしょう?」


 ぱちくり、とアレクシアは瞳を瞬く。


 何言ってんだコイツ、と囁くフェルナンドの声が聞こえる。突っ込まずにはいられなかったらしい。心の中で、思い切り同意した。


「ダリガード嬢のどこに、私は嫉妬したらいいのでしょう?」

「はあ? セルジュは私のことが好きだし、フィリップだって従妹の貴女より私の方を大切にしているもの」

「どうでもいい人たちに愛されている自慢をされても、ねぇ」


 ゆるりと、アレクシアは頭を振る。二人からの特別な愛情など欲しくもない。


「強がり言わないでよ! あなたなんて、お金と身分しかないくせに!」

「羨ましいでしょう?」


 だが残念ながら、アレクシアは外見の美しさも、積み重ねた努力もある。張りぼてでしかないマルグリットと、一緒にしないでほしい。


「私はそれだけあれば充分で、最高だわ」

「好きな人には愛されないくせに!」


 好きな人誰それ? と、アレクシアは首を傾げる。現時点でぱっと浮かぶ人はいない。わざわざ教えてやる必要性も感じないので、聞き流すことにした。


「愛なんて、家族からもらえるわ」

「極上の男から溺愛されてこその幸せでしょう!」

「価値観の相違ね。私、家族以外からの溺愛なんていりません」


 家族の愛も結構な重さだ。

 見た目も極上なので、これ以上を望む気にもなれない。


「強がりね。アンタは愛のない結婚をこれからするの! 結局、愛され幸せになるのは私よ」


 結婚なんてしないけど? とアレクシアは疑問に思い、まだマルグリットには伝わっていなかったことを思い出す。途中から色々呆れが強すぎて、忘れていた。


「求婚でしたら、その場で断ったわ」

「は」

「なぜそんなくだらない提案を、私が受けなければいけないの」

「……だって、皇族からの話を断るなんて、断れるわけないのに」


 半信半疑の顔だ。

 けれどアレクシアの言葉が本当ならば、マルグリットの野望は潰える。終始傲慢だった表情に、不安が滲んだ。


「だって、あなた最高の身分の女性の座、権力が欲しいんでしょう?」

「いいえ。私は今も家の力が強い公爵家の娘であり、財力もあるの。皇后の座と天秤にかけたら現状維持の方がいいわ」

「それじゃ私は……」

「身の丈に合った相手を選べばいいのでは?」


 そのドレスを贈ってくれた伯爵令息ならば、マルグリットでも嫁げる。愛想の良さを武器にすれば、義理の両親にも可愛がってもらえるかもしれない。たぶん、とアレクシアは付け加えた。


 他にもキープしている令息がいるなら、その中から選べばいい。


「いや、いやよ。だって私とセルジュとは相思相愛で、身分差を乗り越えた真実の愛なの。私たちは結ばれるべきなの!」

「真実の愛ねぇ」


 思わず、アレクシアは鼻で笑う。

 こんなにもマルグリットから傲慢さが透けて見えるのに、愛らしい容姿、計算された立ち振る舞いに騙される男どもの単純さはいかがなものか。


「女であることだけを武器にして身分のある者に取り入り、全員にいい顔をして貢がせているのはどんな愛なのかしら?」

「勝手に贈ってきたのよ。私の本命はセルジュなの」


 開き直りが見える。

 野心を持つことは悪いことではない。


「でしたら、他の令息たちに色目を使うのではなく、それ相応の努力をすべきでしたね」


 皇族に嫁ぐ覚悟を持って学び、相応しくあろうとしていれば、皇家も態度を軟化させる。身分や後ろ盾が足りないだけなら、皇家と縁を結びたい高位貴族の家に養女として入り、嫁ぐこともできた。


「まあ、今更ですし、私には関係のないことなのですが」

「はあ? だったらなんで口を出してくるのよ」

「私を巻き込んだのはダリガード嬢たちでしょう? それに、私は偽りを正しているだけですわ」


 杜撰で、自分たちにだけ都合のいい計画を立てるから破綻する。どうしてうまくいくと信じていたのか本当にわからない。


「二人にも同じように、いかに自分勝手で恥ずかしいことをしているかを説いたら、反省したみたいよ」


 貴女とは違って、とアレクシアは反省の色が見えないマルグリットを睥睨する。今も、不服そうに唇を噛みしめていた。


「自分勝手じゃないもの。だって、私は――」


 睨み付けるように顔を上げ、マルグリットは表情をこわばらせる。アレクシアの背後を見ているので振り向くと、隠れてのぞき見していたはずのフィリップと、なぜかセルジュまでが姿を見せていた。


(いつの間に殿下が合流したんだろ)


 どこから聞いていたかは知らないが、マルグリットの本性を知ったらしいのはわかる。夢から醒めたような、愕然とした表情をしていた。


「セルジュ、フィリップ、違うの。私……」


 修羅場だ。

 野次馬的な気持ちで見たいと、巻き込まれたくないを、アレクシアは天秤にかける。会場にはまだ食べていないスイーツたちも待っていた。


「後は当事者同士でお話ししたらよろしいかと」


(一般的な感覚があれば、百年の恋も冷めると思うけど)


 最後に、中身アラサーが老婆心ながらアドバイスすることにした。


「殿下、皇太子妃候補に選ばれた令嬢たちは皇族に嫁ぐ覚悟を持ち、相応しくあろうと努力している者がほとんどです」


 実際、アレクシアがそうだった。

 王家に嫁ぐために、ジェフリーに相応しくあるために、努力し続けた。


「努力も覚悟もなく、ただできないと投げだし、甘ったれたことを言うような者とは覚悟が違いますわ」


 セルジュへの恋心、高貴な身分への渇望、家の方針、人それぞれ思惑がないわけではない。けれど国を、皇太子を支えるために積み重ねた努力は間違いなくある。それを当の本人が、踏みにじらないでほしかった。


「……そうだな」


 これからどのような選択をセルジュがするかは知らない。

 けれど皇族としての表情で頷くのを見る限り、甘い考えを捨てるための、気持ちの整理はついているようだった。


「では、私は失礼致します。それではごきげんよう」


 完璧な礼を執って、背を向け、アレクシアはその場を後にする。話の通じない小娘から離れほっとして、ふっと唐突に、ある可能性が浮かんだ。


 休暇前に婚約者候補から辞退し、隣国に遊びにくるなんて自由気ままに過ごしているせいで失念していたが、ここは乙女ゲームの世界だ。


 隣国など、よくある追加コンテンツや続編の舞台に選ばれやすい。


(まさかね……?)


 まあ、どうでもいいかと切り捨てる。実際そうであろうとも、アレクシアの選択、行動が変わることはない。


(さて、今夜はスイーツ堪能するぞ!)


 そしておうちに帰ろうと、父と兄の顔を思い浮かべた。


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