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久しぶりの社交の場、それも皇城の豪華絢爛なホールに足を踏み入れると、アレクシアは気が引き締まる。ここからはもう、気を抜いてはいけない。今夜同行しているのは、この国の筆頭公爵家であるスペンサー家だ。
上に立つ者の足を引っ張りたい輩は、虎視眈々とその機会を狙っている。決して口実を与えるような、失態を犯してはいけなかった。
とはいえ、アレクシアにとっては他国だ。
この場では筆頭王太子妃候補という、肩書きを背負ってはいない。常にあら探しをするライバルの令嬢たちも、機嫌を取ることに必死な取り巻きの令嬢たちもいない。
公爵令嬢アレクシアにとっては普段と変わらぬ、そつがない態度を貫くだけでいい気楽な場だった。
(王太子妃候補として、社交界に君臨していたのは伊達じゃないのよ)
会場内のあちこちから、視線が集まるのを感じる。その程度でアレクシアが怯むことはない。上品に軽く口角を上げ、ぴんと背筋を伸ばしてジョシュアのエスコートで歩みを進めた。
「今夜は、いつも以上に注目を浴びているな」
「そうなの?」
傍らのジョシュアを、アレクシアは見上げる。本当に役得だ。
いい男はそれだけで尊い。
「ああ。アレクシアが美しいからだろう」
「まあ、ジョシュアお兄様ったら」
ふふ、と軽やかな吐息をアレクシアはこぼす。
褒められれば悪い気はしない。派手だからだろ、と小声でこぼすフィリップを、マドレーヌが優雅な笑みを浮かべたまま睨む。
(学習しないなぁ)
口先だけのお世辞を含め、建前と本音が社交界には浸透している。見抜けるかは資質と経験によるが、公爵令息という立場なのだからそれらを駆使しないでどうする。従妹相手だろうと、適当な褒め言葉でも並べておけばいいだけなのにと、ある意味愚直なフィリップにアレクシアは小さく嘆息した。
「フィリップのあれは、照れ隠しだよ」
顔を寄せたジョシュアに、小声で耳打ちされる。
まさかだ。ありえない。
全否定するアレクシアの心の声が聞こえたらしく、ジョシュアはいたずらっ子のように笑んでこっそり昔話をしてくれた。
子どもの頃にフィリップが、外見の印象が変わったアレクシアに対してケバいといったのは、以前の方が可愛かったと正直に言えなかったせいだった――と。
「アレクシアは家族同然だからな、甘えもあるんだろう」
ぱちくり、とアレクシアは瞳をしばたたく。
肯定するように、ジョシュアが頷き笑んだ。
(知らなかった)
うわ、とアレクシアは心の中で声を上げる。離れている期間が長すぎて、不意打ちを食らった。
(兄が弟を思う気持ちに、このなんでも知ってる感!)
いいわ最高! とアレクシアはときめく。
弟思いのジョシュアに免じて、フィリップをツンデレ枠に入れ、イラッとくるような台詞も少しは大目に見ることにした。
軽くテンションを上げていると、年頃の令嬢たちから嫉妬の眼差しを向けられる。当然だ。エスコートは公爵家嫡男のジョシュアで、アレクシアは親しげに顔を寄せ話していた。
ざくざくと突き刺さるような視線だが、慣れているアレクシアは気にもならない。けれどせっかくシナリオに影響がないだろう隣国にいる悪役令嬢なので、少しだけ煽るような笑みを返しておいた。
(うん、楽しいわ)
「どうかした?」
「ジョシュアお兄様、もてるのねって」
曖昧な笑みが返る。苦労もありそうだ。
(まあ、優良物件よね)
ざっと注意が必要な家を教えてもらい、とりとめのない話をしていると、皇族の入場時間になる。会場に負けない煌びやかな面々が登場し、夜会に合わせ着飾ったセルジュの姿をアレクシアが眺めていると、ふと目が合った。
ひと呼吸おいて、セルジュが軽く目を見開く。
けれどすぐに我に返り、表情を繕うところはさすがだ。
感心していると、皇帝の堂々とした挨拶で夜会が始まった。
耳に心地好い音楽が、生演奏で流れ始める。スペンサー家に付き添い挨拶を幾度かしてから会場内へ視線を流すと、優良物件と思われる令息たちに着飾った令嬢たちが群がっていた。
誘蛾灯みたいだなと、失礼と自覚あることをアレクシアは考える。ちらりと傍らのジョシュアを見て、早々に離れた方がいいと判断した。
声をかけ距離を取ると、様子を窺っていた令嬢たちの目の色が変わる。フィリップに小声で指示を出すと、アレクシアは自ら進んで壁の花になった。かなり、目立っているけれど。
スペンサー家の縁者ということで、アレクシアにも野心のある令息が寄ってきそうなものだが、派手な装いに濃いめに仕上げている化粧のおかげで、今のところ遠巻きにされている。狙い通りなのでまったく問題ない。むしろ、近寄られたくはなかった。
しばらくすると、フィリップが素直にパシられ軽食を運んでくる。手渡してすぐにどこかへ行くかと思えば、今夜は自主的に下僕でいるらしい。遠慮せずに使うことにして、アレクシアは食事を楽しみながら人間模様を眺めた。
「あ」
手に持っていた皿を、フィリップに押しつける。先ほど教えてもらった、マルグリットがバルコニーへ行く姿が見えた。チャンスだ。
「ちょっと話してくるわ」
引き留めるように、フィリップが腕を掴む。
邪魔をするなとアレクシアが軽く睨むと、視線を揺らした。
「なに」
「いや、その……俺が言えることじゃないけど、やめないか?」
「いやよ。結果的に迷惑をかけられたもの」
「悪いの、俺だしさ」
俺たち、と言わないところをアレクシアは評価する。
「知ってるわよ。でもね、提案を受け入れたのは彼女でしょ」
拒否することもできたのに、と言葉を継げば、フィリップが言葉に詰まった。
ここ最近で、少しは現実が見えてきたようだった。
「私と対峙するのは必然なの」
「けど、断っただろ」
「だから?」
「え」
「当事者なのに、彼女だけ我関せずが許されると思う? 責任がないとでも? 社交界の女の戦いは甘くないのよ。私が話しかけて、自分で対処もできない令嬢が上を目指すなんて分不相応」
「……おまえに勝てるやつなんていないだろ」
まあ、そうねとアレクシアは納得する。けれどそれは努力を積み重ね、対処法を学び、つけ入る隙を与えないよう細心の注意を払い過ごしてきた結果だ。
「ケンカを売りに行くわけじゃないわよ。少し話してみたいだけ」
巻き込み、興味を持たれるようなことをした方が悪い。
説明責任を負うべきだ。
「そんなに心配なら、隠れてこっそり見ていたらいいじゃない」
「それはのぞきだろ」
「気にする性格?」
渋るフィリップを振り切り、アレクシアはバルコニーへと向かう。
誰か――セルジュと待ち合わせでもしているのだろうかと思ったが、さすがにこの時間から逢瀬を楽しむのは招待客に失礼だ。
足を踏み出すと、夜の空気がアレクシアの頬に触れる。隠す気のない気配に気付いたのか、マルグリットが振り向いた。
くりっとした、焦げ茶の瞳がアレクシアを映す。緩くウエーブのかかった赤茶色の髪に小柄な体躯、淡い色合いのドレスを選んでいるせいか、どことなく庇護欲を誘う印象があった。
(ふうん、この子が)
「アレクシア・ロシェット……」
思いがけず、マルグリットにフルネームで呼ばれる。ぱたん、と瞬きして、アレクシアは軽く目を眇めた。