53
夜会に出席する日は、とにかく朝から慌ただしい。
念には念を入れた肌の手入れや髪の手入れに、普段以上にたっぷりと時間を取られる。実際に動くのはマリッサとスペンサー家で働く侍女で、アレクシアはただされるがままなのだが拘束される時間は長かった。
仕上げに向け鏡の前に座る頃には、日はもう傾き初めている。今日は特に皇家主催の夜会だからと、腕をふるう侍女たちが張り切りすぎだ。
参加を決めたのは成り行きのようなもので、特別出席を楽しみにしていなければ、美しさを誇示する意気込みもアレクシアにはない。ほどほどでいいと主張してみたが、誰の指示なのか見事に聞き流された。
(もうすでに疲れてるんだけど)
マッサージは心地好かったけれど、それとこれとは別だ。正直このままベッドにダイブしたい。前世の記憶が甦ってから初めての夜会のせいか、準備に時間がかかりすぎるのにげんなりしていた。
(行くなんて言わなければよかった)
糖分を摂取しようと、用意されている小ぶりの焼き菓子を口に放り込む。
甘さに癒やされながら、先ほどから魔道具であるコテを使って、プラチナブロンドの髪を丁寧に丁寧に巻くマリッサをアレクシアは鏡越しに眺める。さらさらだった髪が、くるくるとらせん状に流れる縦ロールになっていくのは本当に見事だ。
すべてを綺麗に巻き終えると、顔のまわりにおくれ毛を残し、耳の上から髪を取りハーフアップにする。そこからどういう技術なのか取った部分の髪先で薔薇を作り、バランス良く宝石を飾り付けていった。
化粧も以前のように意志の強さを前面に出すような濃く華やかなものにして、発色が美しい口紅を唇に乗せる。今夜身に着けるドレスは鮮やかな真紅のドレスだ。
スタイルの良さを引き立てる身体のラインがあらわになる細身のものと迷ったけれど、腰からふわりとほどよくボリュームがあり、裾の方へ向かって艶やかに咲き誇るような薔薇があしらわれたこのドレスに決めた。
デコルテを潔く見せるデザインなので、アクセサリーも存在感があるものを選ぶ。ジェラールから贈られたものだ。もちろんドレスも一点物で、この国に来てすぐに注文したものを夜会に合わせ急ぎ仕立て上げてもらった。
(ほんとに素晴らしい財力よね。権力かもしれないけど)
支度を終えたところで鏡の前に立ち、全身を確かめる。久しぶりの完全武装だ。マリッサに渡された漆黒の扇子を手に持ち口角を上げると、いかにもな悪役令嬢に見えた。
「お嬢様、完璧な美しさです」
「ありがとう。お疲れ様」
「……女ってこえぇ」
支度を終えたアレクシアを見たフェルナンドが、茫然とした声を洩らす。今は、アレクシアの手にある扇子の姿だ。ドレス姿にも馴染む。
一見華奢な作りに見える扇子だが、剣であるフェルナンドが変化した姿なので見た目とは裏腹に丈夫で、武器にもなる優れものだ。
口元に持って行っても違和感がないので、ブレスレットよりも使い勝手がいい。今後は臨機応変に姿を変えてもらうことにした。
(ドレス姿、扇子で戦うとか優雅じゃない?)
現実的ではないが、空想するとテンションが上がる。実際に扇子で戦うのは無理だとしても、ドレスで剣を振るう練習をするのはいいかもしれない。屋敷に帰ったら、挑戦してみようとアレクシアは決めた。
(その前に、夜会よね)
参加する気などなかったのだが、休暇に横やりを入れられることとなった原因の令嬢は気になる。単純で脳筋なフィリップがたぶらかされるのは意外性などないが、聡明に見えるセルジュさえも惹かれた子爵令嬢を見てみたいと思った。
見極める、なんておこがましい考えなどない。アレクシアの周囲に害を及ぼすことがない限りは関係のないことだ。野次馬的な感覚、ただの好奇心でしかなかった。
「さあ、行きましょうか。おじい様たちが待っているわ」
一人でもまったく気にしないのだが、今夜のエスコートはジョシュアに頼んである。身近なところにフィリップはいるが、アレクシア以上にマドレーヌが冗談じゃないと主張し、わざわざ騎士寮からジョシュアを呼び戻していた。
悪行が家族にバレたフィリップは、あの後頬を腫らしていたし、かなり絞られているようで日に日にげっそりしていく。
(まあ、自業自得よね)
他に言いようがない。あれから改めて謝罪の言葉をアレクシアはフィリップからもらったので、セルジュ同様貸しにしておいた。与えられた悪役令嬢役としての不確定な未来、破滅から逃れるためには切れるカードは多く持っていた方が得策だ。
(次期皇帝の友人は、なかなかいいポジションよねぇ)
装いに相応しい笑みを浮かべ玄関ホールに行くと、すでにアレクシア以外が集まっている。久しぶりに会うジョシュアが、優しく表情を綻ばせ迎えてくれた。
(兄弟なのにこの差よ! 見習えフィリップ!)
記憶の中よりもジョシュアは精悍さが増して、格好良くなっている。細マッチョな身体を夜会に相応しく着飾った姿に満点の札を上げ、アレクシアは最高だと心の中でひっそり悶えた。
「久しぶりだな、アレクシア。成長して更に綺麗になったな」
「ジョシュアお兄様、ありがとう」
お兄様も、とアレクシアが口にする前に、ジェラールを筆頭としたスペンサー家の者たちから一気に賞賛の言葉を浴びる。身内の欲目だとわかっていても悪い気はしない。にこにこと笑んでいると、不意にぱちんと一人静かなフィリップと目が合った。
「アレクシアだ……」
ぽかんとしたような顔のフィリップが、間抜けな呟きをもらす。今夜は参加すると知っているはずなのにと、アレクシアは呆れた。
「参加するって言ったでしょう。ここ最近絞られすぎて記憶障害になった?」
フィリップも黙っていればそこそこな顔面偏差値なのにと、性格の残念さをアレクシアは惜しむ。
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「アレクシアだって」
意味がわからない。
思わず、何言ってんだコイツと心の声を乗せた視線を、アレクシアはフィリップへと向けた。
「他の誰だっていうのよ」
「いやだってさ、普段と印象が違いすぎるだろ」
「そうかしら?」
アレクシアは首を傾げ、この国に訪れるのは子どもの頃以来で、夜会に出るときの着飾った姿でフィリップと会ったことがないと気付く。
国ではずっと、こちらの姿で過ごしていたので失念していた。
「詐欺だ」
「失礼ね。普段でもそこそこの美少女でしょ」
薄化粧のアレクシアに駄目出しするほど、マルグリットは美しい令嬢なのだろうかと俄然興味がわく。今夜は皇家主催とあって、ほとんどの貴族が参加するので当然会場で会えるはずだ。
「そうじゃなく――」
「さあ、そろそろ時間だ。会場へ向かおうか」
ジェラールの声を合図に、ジョシュアが傍らに来る。眼差しが優しい。
「アレクシア、行こうか」
さすが公爵令息というスマートさで、アレクシアを馬車までエスコートした。
うっかりときめき、テンションが上がったのは内緒にしておく。