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【書籍化&コミカライズ】悪役令嬢なので、溺愛なんていりません!  作者: 美依
第二章

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 先ほどからずっと、課題に向かっていてもうまく集中できない。気付けば、フィリップの手は止まっていた。


 ふう、とため息をこぼし、窓の外のよく晴れた空へと視線を移す。夏を感じさせる眩しさに軽く目を眇め、手に持っていたペンを放った。


 夏休みを利用して、久しぶりにスペンサー家へ訪れた従妹のアレクシアの顔が浮かぶ。いつからか派手になった容姿や装いは、今回幼い頃の可憐な印象に戻っていたが、冷ややかで辛辣なところは相変わらずだった。


 とにかく、愛想がない。


 家族枠に入る者に対しては素の笑顔も見せるが、普段は大抵表情を繕い距離を取っている。皇太子であるセルジュに対しても柔らかく微笑むことはなく、いかにも高位貴族の令嬢という隙のない態度を崩さなかった。


 公爵令嬢としては、模範的で正しいのかもしれない。けれどフィリップは無意識に比べてしまっている。朗らかで愛らしい、マルグリットとは正反対だ――と。


 貴族令嬢としては珍しく、マルグリットは喜怒哀楽をはっきりと表に出す。そのせいで少し浮いているのか、周囲になじめないのか、学園では一人でいることが多い。それに気付いた当初は遠くから眺めていただけだったが、淋しそうなその姿を目にするたびに気になって、気付けばフィリップから声をかけていた。


 ぱあっと明るくなった笑顔は愛らしく、親しくなるのはあっという間だった。

 惹かれていたのかもしれないと、今ならわかる。けれど自覚する前に、セルジュとマルグリットが恋に落ちた。


 互いに想い合っている。純粋な好意で結ばれた関係だ。それを知ったフィリップが選ぶ選択肢は、何も言わず二人を応援する以外になかった。


 けれどマルグリットが皇太子妃になるのは、困難を極める。候補に挙がっている令嬢たちよりも、爵位が低い。教養関係も正直足りない。マルグリットの性格の素直さにフィリップもセルジュも好感を持つが、貴族社会、ましてやこの国の頂点である皇族に嫁ぐには弱みになった。


 打開策が見つからない中で学生最後の年になり、すっかり忘れていた存在のアレクシアの訪れをフィリップは知る。優雅で強かで、完璧な淑女。正直に言えば、皇太子妃にはアレクシアのような振る舞いができる者が相応しい――と思い、今回の計画を思いついた。


(うまく、いっただろうか)


 いくはずだと、フィリップは確信している。幼い頃からアレクシアは、国でもっとも高貴な身分の女性になるのだと、普段は冷たい印象の表情を柔らかく綻ばせていた。


 ガーバリス王国よりも、ガルファタル皇国の方が大国だ。その最たる身分の女性になれるとあれば、アレクシアは喜んでセルジュの手を取るはずだ。


 幼い頃からの夢が叶うのならば、他のことはきっと些末なことだろうとフィリップは考えている。セルジュも最愛はマルグリットであることは変わらないが、アレクシアのことも伴侶として尊重して大切にすると言っていた。


(できれば、もう少し時間が欲しかったよな)


 セルジュとアレクシアの婚姻が整えば、必然と側近になるフィリップとも頻繁に顔を合わせる。お世辞にも良好とは言えない関係を、今のうちに改善したかったのだが何をしても手応えがないままだった。


 むしろ向けられる眼差しは、なぜか日に日に冷たくなっていっているように感じる。確信も持てず、思い過ごしか? と首を傾げることがある中で、唐突に帰国すると聞かされた。


 そのせいで、慌てて行動に移す羽目になってしまった。


(あ、帰ってきた)


 馬車から、アレクシアが降りるのが見える。今すぐにでも計画の成功を確認しに行きたいが、家の者に知られるわけにはいかない。


 深呼吸を繰り返し、じりじり焦れながらフィリップは部屋を出るタイミングを計る。少しくらい早めに出て待っていてもいいかと部屋を出たところで、アレクシアの姿が見えた。都合のいいことに一人だ。


 こちらに気付き、ゆるり、と笑むのが見える。ふわりとテンションが上がり、フィリップも表情が緩んだ。


「アレクシア、いいことがあったのか?」

「そうね。いいこと、なのかもしれないわね」

「何があったんだ?」


 さりげなさを装って、フィリップは尋ねる。早く、誰もが幸せになれる知らせを聞きたいと鼓動が逸っていた。


 フィリップがひそかに抱える不毛な恋を、終わらせることもできる。胸の痛みは、幸せそうなマルグリットの笑顔が癒やしてくれるはずだ。


「私のことに興味があるなんて、珍しいわね」

「興味っていうか、普通だろ?」

「まあいいけど。出先で、殿下に会ったわ」

「へぇ」


 どくん、と鼓動が跳ねる。表情を変えないように気をつけながら、続くアレクシアの言葉を待った。


「求婚されたの」


 よし、とフィリップは心の中で拳を握る。浮かれた気分で、祝福の言葉を頭の中に用意した。


「もちろん、断ったけど。バッサリと容赦なくね」

「は?」


 形のいいアレクシアの唇の端が持ち上がったと思うと、フィリップはひゅっと頬に風を感じる。次いで、ドンッと重い音が耳の近くで響く。


 どこからか取り出された黒い扇子の先端が、フィリップの顔の真横を通り過ぎアレクシアの手によって壁に突き立てられていた。


 華奢な作りに見える扇子は、少しも歪むこともなくフィリップの視界の端に映っている。目の前のアレクシアの瞳には怒気がはらんでいた。


「ア、レクシア?」

「人の気持ちを踏みにじる最低な計画を立てたの、アナタなんですって?」


 蔑むような目だ。

 なぜだ、とフィリップは困惑する。この計画では、誰もが幸せになる結末を迎えるはずだった。


「なん、の話だ?」

「ごまかす必要はないわ。全部知っているもの。よくもまぁ恥ずかしげもなく、従妹を利用する計画を立てられるものですこと」

「違う! みんなに良かれと思ったんだ」


 反論すれば、アレクシアが鼻で笑う。


「それなら、アナタの頭の中がお花畑だったのね。下調べもできない無能は、皇太子の側近候補など辞退してしまいなさい」

「はあ?」


 あからさまな侮辱の言葉に、フィリップは声を荒らげる。幼い頃からのアレクシアの望みを、叶えてやろうとしたのだから感謝されて然るべきだ。


「誰よりも身分の高い女性を望んだのはアレクシアだろ!」

「そんなもの、私は望んでないわ」

「嘘だ! 子どもの頃から言ってただろ」

「記憶の改ざんが甚だしいわね。私は誰よりも、高貴な身分に相応しくあれるよう努力をしているって言ったの」

「だからセルジュの求婚を受ければ、最高の身分になれるだろ」

「私は、私の好きな人のために努力していたの。身分欲しさに努力していたわけじゃないわ」

「……え」


 ゆっくりとだが理解が追いつくと、フィリップはぐうっと喉の奥が苦しくなる。今の時点でセルジュとアレクシアのやりとりはわからないが、提案した取引が成立しなかったことだけはわかっていた。


 けれどアレクシアが権力を持つ皇太子の提案をかわす術を持っていなかったとしたら、幼い頃からの努力の積み重ねで筆頭王太子妃候補にまで上り詰め、望む幸せを掴む直前でフィリップたちがそれを奪い取ったということだ。


「自分たちだけに都合のいい状況を作るため、面倒ごとを私に押しつけ犠牲になることを強要するなど、上に立つ者としての資質があるか疑わざるを得ないわね」


 じわじわと染み込んだアレクシアの言葉が、重みを増していく。愚策でしかなかったと知り、フィリップに後悔が押し寄せた。


「本当にそんなつもりはなかったんだ! 俺は良かれと思って、誤解してて」

「悪意がなかったから許せ? 受け入れろ? 謝罪の言葉より自己保身の言葉が先に出てくるのね。本当に性質が悪いわ」


 冷たい声が刃となって胸に突き刺さる。アレクシアの静かな怒りが伝わってきた。


「忘れたの? 私が意に沿わないことを黙って受け入れる性格じゃないってこと。殿下が愚かだったら、この国が傾いていたのよ。だって、私が報復するから」


 報復、とさらりと告げられフィリップは愕然とする。まさか、と否定してすぐに、苛烈なアレクシアの性格ならありえると気づきぞっとした。


「アナタの浅はかな考えは皇太子の側近候補として許されることではないわ。役に立たないどころか、足を引っ張っているもの」

「ああ……耳が痛いな」

「だいたい、あっさり側妃を喜ぶその子爵令嬢こそ、権力と贅沢な暮らしが望みなんじゃない?」

「彼女はそんな子じゃない!」


 高価なプレゼントを贈っても、戸惑うような性格だ。

 押しつけるようにして、やっと受け取る。控えめだから我の強い貴族令嬢の輪に入れない、守ってあげるべき存在だ。


 音もなくフィリップと距離を取ったアレクシアが、先ほどまで突き立てていた扇子を優雅に広げる。口元を隠し、愉快そうに笑った。


「それならその令嬢が必死に努力すべきであって、誰かの影に隠れるべきではないでしょう? 覚悟も努力もなしに利だけを得ようなど、真実の愛とは薄っぺらいのね」


 言葉の端々、向けられる眼差しから馬鹿にしているのが伝わってくる。悔しい。悔しいけれどアレクシアの言い分は正しく、フィリップは唇を噛みしめることしかできなかった。


「何、悲劇のヒロインぶっているの?」

「誰がだよ」

「フィリップが、よ。行動には責任が伴うの。くだらない野望が潰え残念だった、で終わるわけないじゃない。おじい様たちには報告しておいたわ」

「なっ!?」


 ガツン、と頭を殴られた感覚をフィリップは覚える。怒り狂う家族の姿が脳裏に浮かぶ。言葉を失い青くなるフィリップに、楽しそうに声を上げてアレクシアが笑った。


「性根をたたき直してもらうことね」


 反論などできない。さっと向けられたその背を、フィリップは見送ることしかできなかった。


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