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祭りがあるとなれば、テンションは自然にふわりと上がる。それも五日間開催される、規模が大きいものとなれば尚更だ。
他国の祭りなので、由来等詳しい詳細をアレクシアは知らない。興味がない、と言った方が正しい。観光客でしかないので、楽しければそれでよかった。
ただなんとなく、女神信仰に起因する行事なのはわかる。まだ頻繁にスペンサー家を訪れていた頃に家族と見た、神殿に選ばれた者が女神へ捧げる舞いは美しく荘厳だった。
幼心に感動し、感嘆の声を洩らした記憶がある。その後遊びに行った街の広場ではまた違った趣の、軽快な音楽に合わせ踊る者たちがいて、楽しくなったのも覚えていた。
その広場には枝を大きく広げる木があり、祭りが開催されている間に願いを刻んだ短冊を飾ると女神に届くとされている。七夕か! と、今のアレクシアなら間違いなく突っ込むが、その短冊は日が暮れるとほのかに光り、昼とは違った幻想的な光景を作り出した。
祭りを締めくくるのは、宮廷魔術師たちが魔法で打ち上げる花火だ。それはもう盛大で、美しい。
最終日まで見所満載の祭りが開催されるこの時期に合わせ、周辺諸国から観光客がどどっと押し寄せる。その観光客目当てに商人たちも訪れ、露店もずらりと並ぶがアレクシアの記憶にある日本の夏祭りとはまったく違った。
お囃子も提灯も、誰もが思い浮かべるような食べ物を売る店もない。海外のマーケットに近い雰囲気だった。
(当たり前なんだけどね)
夏祭りは社会人になってからは縁がなくなり、今は世界さえも違うので、あの空気に触れることはもうできない。そのせいか、ひどく懐かしく感じる。無性にリンゴ飴が食べたくなった。
最後まで食べきれなかった思い出しかないが。
「お嬢、どうかしました?」
エリックに声をかけられ、アレクシアは我に返る。どこかほろ苦さもある追憶はひとまずおいてくことにした。
せっかく祭りなのだし、現在を楽しむべきだ。
「すごい人って、驚いただけよ」
「ああ、確かに」
「お嬢様、絶対に一人にならないでくださいね」
マリッサから注意が飛んでくる。以前とは違った、アラサーの行動力で好き勝手にしているが、周囲から見れば貴族の常識で生きている世間知らずの令嬢だ。仕える者ならば内心ハラハラもする。アレクシアも迷子は嫌なので素直に頷いた。
「ならないわ」
フェルナンドがブレスレット姿で同行しているので、アレクシアが完全に一人になることはないが役に立つかは疑問が残るところだ。
「護衛が多くいるとはいえ、何があるかわからないのでお気を付けください」
「わかっているわ、マリッサ」
今日はスペンサー家の騎士も護衛として、アレクシアは連れて来ている。本音では必要ないと断りたかったのだが、うっかり何かあったときにエリックとマリッサにすべての責任が行くのは避けたい。
この時期は賑わう反面、どうしても犯罪が増える。最近、若い女性が行方不明になっていると昨夜聞いた。そのせいで、つかず離れずアレクシアの視界に入らないよう身を潜めている者を含めると、かなりの人数の護衛がいる。ジェラールの過保護ぶりに呆れるが、案外便利だ。
「ねぇ、マリッサ。あの野菜も欲しいわ!」
「はい」
あれもこれもそれも、とアレクシアが声を上げると、優秀な侍女は手際よく次々に購入していく。それをエリックが受け取り、隠れている護衛に渡しに行った。
主に珍しい野菜ばかりをアレクシアが買うせいで、それを抱える騎士は妻にお使いを頼まれた夫状態だ。カモフラージュになるし、真面目な顔をしているからこそ微笑ましい。顔面偏差値も高いので、軽くときめいた。
(すまぬ! だが、やめる気はない)
少しも心のこもっていない謝罪を念で護衛に飛ばし、アレクシアは嬉々として荷物を増やしていく。本来の役割とは違う護衛の利用方法だが、そばにいるのだから使うべきだ。
こんな時、異世界ならではの空間に物が収納できる魔法が使えたら最高なのだが、今のところアレクシアは使えない。残念なことに、そこまでチート能力はなかった。
「次はあそこが見たいわ」
都会の人混みに慣れているアレクシアは優雅に人波を縫って歩き、目に付いた露店を気ままに眺める。スペンサー家の護衛騎士の方が溺れそうになっているが、マリッサとエリックは傍らにいるので気にしないことにした。
(買い食い最高! 焼きたての肉串最高!)
馬車の中でフェルナンドも買い食いがしたいと嘆いていたが、猫の姿で連れ歩くのは難しい。スペンサー家の護衛もいるので買ってどこかでこっそりも難しく、土産にできる物を屋敷に帰ってからと話し合いで決まった。
野菜以外で興味を引かれる掘り出し物はないけれど、見ているだけでも楽しい。本当に色々なものが売っている。何でもあるなと感心して、なんとなく気になる物を見つけてアレクシアは足を止めた。
「これって?」
店番をしているおじさんに尋ねる。愛想のいい、朗らかな笑顔が返ってきた。
「薬の元になる実で、マタタビだよ」
(やっぱり! 欲しい!)
宝物を見つけた気分だ。
目を輝かせ、アレクシアは視線をブレスレットへと落とす。
どう? と訊きたいが、訊けない。間近にマタタビがあるのに、フェルナンドに反応はなかった。当然といえば当然かもしれない。
屋敷に戻って猫の姿の時にあげようと、アレクシアは口角を上げる。反応を思うと、わくわくした。
「マタタビください!」
「はいよ!」
買い占めてもよかったのだが、持ち帰れる量にしておく。
本来の用途で欲しがる人もいるだろうし、フェルナンドが喜ばない可能性もあった。
「お嬢様、今度は薬ですか?」
「違うわ、え、他の有名な効能知らない?」
マタタビといえば、猫の大好物だ。
「他に? 何かあるんですか?」
「あるのよ。屋敷に帰ってから教えるわ」
実際にマタタビを猫に与えるとどうなるのかは、アレクシアも知らなかった。
喜んでくれたらいいなと、足取りも軽く次の店へ行く。
「お嬢様、そろそろ帰る時間です」
「ああ、そうね」
気付けば日はもう落ちかけ、辺りは薄暗くなっている。楽しい時間が過ぎ去るのはあっという間だ。最後に広場へ向かい、願いを刻んだ短冊を飾って帰ることにした。
言葉の通りに、魔法によって文字が短冊に刻まれる。二種類あって、ほのかな光を放つものは高価だ。裕福な者でなければ手は出ない。けれどその利益分で、平民でも手が出せる短冊が用意されていた。となれば、アレクシアは高価な方を選ぶ。
光る色にも種類がある。推し色は今のところないので、店主に勧められた瞳と同じ色をアレクシアは選んだ。
「マリッサとエリックはどれにする?」
「どれでも」
「私も」
マリッサとエリックは気にせず、適当に手に取った。
「真っ暗になると、もっと綺麗なんでしょうね」
広場の木に飾られた短冊は、すでにほのかな光を放っている。どこか幻想的な光景に人々は足を止め、家族、恋人同士で眺め、何を願うかに悩んでいる者は手元に視線を落としていた。
(さて、どうしようかな)
購入したばかりの短冊を、アレクシアは眺める。妥当なところで、悠々自適な令嬢生活かなと、文字にするために魔力を軽く込めた。
「え」
文字が浮かぶ代わりに、短冊に魔法陣が浮かび上がる。まずい、と気付いた時にはもう遅かった。
「お嬢!」
「お嬢様!」
二人の焦った声が、最後までアレクシアには届かない。視界がぶれて、強制的にどこかへ転移させられたのがわかった。