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よく晴れた青い空、眩しい夏の太陽、その日差しを受けきらめく水面が美しい水辺が恋しい季節ではあるが、アレクシアは馬車を走らせ神殿に向う。
思い立ったが吉日だ。予定のない緩い日々を過ごしているので、興味を引くことがあれば行動に移さないわけがない。要は、時間を持て余しているともいえた。
「この国の神殿に行くのは初めてね」
言ってから、自国でも数えられる程度だったとアレクシアは思い出す。
ロシェット家としては、それなりに神殿と懇意にしている。むしろ満面の笑みで神官長自らが出迎えるくらいには、寄付金を積んでいた。
いずれ役に立つかもしれないと、サヴェリオは有り余る金で神殿に恩を売っている。利用できるものは利用するの精神だ。貴族社会は根回しが必須で、できない者は落ちぶれていく。
ただ王家と神殿は距離を取っているので、アレクシアが進んで足を運ぶことはなかった。
これもまた、黒歴史に分類されるのかもしれない。
清々しいまでに、行動原理がジェフリーだ。本当に我がことながらアレクシアは呆れるしかない。
よくそこまで盲目的になれたな!? と、どこか他人事のように感心する気持ちもある。現在進行形で周囲にはそう思われたままなのだが、それはそれで隠れ蓑になっていいかと開き直ってもいた。
ロシェット家と縁を結びたいと野心を持って近づいてくる者たちを、蹴散らす手間がない。王家に口止めされて話せないのだから、アレクシアがそれを利用しても悪くないはずだ。
(地位やお金は甘い蜜だものね)
面倒ごとは少ない方がいい。
王家としてはアレクシアが考え直すのを期待しているのかもしれないが、ねぇよ、とキレよく心の中で突っ込んでおく。
本当にありえないことだ。せっかく婚約者候補から辞退してすっきりさっぱりしたのに、再度その立場に戻るわけがない。
「アレクシアは、信心深いのか?」
思いがけない、フェルナンドの問いだ。ぱたん、とアレクシアは瞬きする。
けれど考えるまでもない。
「いいえ、まったく」
嬉々として神殿に向っていても、信仰心からではない。好奇心からだ。
「全否定かよ」
「人の信仰心は否定しないわよ」
魔法が存在する世界なので、神も実在しているのかもしれない。ただ想像の域は出ないし、今はもう前世での無神論者の意識が強いので、どう転んでもアレクシアの信仰心は育たない気がした。
「ならなんで、神殿に行くのが嬉しそうなんだ?」
「初めて行く場所、未知のものってわくわくしない?」
前世ではまったく縁のなかった神殿だ。
今世でもゆっくり眺めた記憶はない。見学するいい機会だ。
「遊びに行くのかよ」
「そうよ」
ついでに、フェルナンドの願いを叶える。利害関係の一致だ。
誰も損はしない。
「……ほんと自由だな」
「ありがとう?」
笑顔を返すと、ため息が返る。失礼なやつだ。
「だいたい、俺には人にバレるなって言っておきながら、そこの二人にあっさりバラすってなんだよ」
ぼやくフェルナンドに、アレクシアは苦笑する。向かいの席にはマリッサとエリックが座っていて、同じような表情を浮かべていた。
――これフェルナンド。しゃべる剣ね。
出発前にブレスレットをつけた腕を差し出し告げると、マリッサとエリックからなんともいえない眼差しを向けられた。
わずかに遅れてアレクシアの思考が追いつくと、何も知らない者からしたら痛い発言をする令嬢に見えるのだと気づき、心の中で盛大に悲鳴を上げた。
――私の空想じゃないのよ!?
二人の表情は至って真面目なのに、残念令嬢を見るような生ぬるい眼差しだ。黒歴史はこれ以上いらないと、アレクシアは慌てた。
――おい、アレクシア!?
驚いたようにフェルナンドが声を上げた途端、二人がぎょっとした。
視線は、ブレスレットへと注がれる。偶然ではあるが助かった。
――信じてくれたかしら?
頷く二人にアレクシアはほっとして、ざっと簡単に事情を説明すると案外あっさり納得し、受け入れてくれた。他言無用とも理解しているのでありがたい。これで二人も共犯者だ。
「二人は常に私といるようなものだから、バレるのも時間の問題だし、隠すのも面倒だもの」
フェルナンドに会話をする気がないのならば、隠していてもいい。けれど絶対に、黙っていられなくなるはずだ。
「何も知らずお嬢様がそうやってブレスレットに話しかけているのを見ると、正気を疑いますね」
「ほら」
気が触れたなどと思われたくはない。
社交界ではジェフリーに振られて――と付けられ、広まりそうだ。
「確かにそうだな」
納得してくれて何よりだ。
「フェルだって、ずっと黙ってるのつまらないでしょ。せっかく自由になったんだから」
結局のところ、これにつきる。逆の立場なら、自由を手に入れて尚も沈黙を貫かなければいけないのはきつい。ここぞとばかりに話したい。そして話し相手がアレクシアだけなのもきっと、いずれ飽きるはずだ。
「……ありがとな」
照れが滲むフェルナンドの声に、自然と笑みが浮かぶ。
「どういたしまして」
馬車の中の空気が緩んだ。
「……で、神殿行ってどうすんだ?」
「大丈夫よ。たぶん?」
「たぶんかよ」
「まあ、とっておきの策があるから」
他愛のない会話をしていると、あっという間に目的地に着く。
馬車を降りて、華やかで白く美しい建造物にアレクシアは目を見張った。
(神殿だ)
どことなく厳かな雰囲気を感じる。スペンサー家の名を借り先触れを出していたので、案内された先にはある程度の地位があるだろう神官が待っていた。
挨拶を済ませ目的を告げると、渋る神官にマリッサが前へ出る。美しい装飾のある木箱を、恭しく差し出した。
「こちら、お嬢様が神殿のためにとご用意したものです」
中身を察した神官の表情が変わる。寄付金は、見栄を張りがちな貴族は無駄に豪奢な物に入れることが多い。
こほんと、神官が軽く咳払いした。
「女神様の依り代である像に祈りを捧げたいと願う敬虔な信者に手を差し伸べるのもまた、聖職者としての役割ですね。どうぞこちらへ」
あっさりと、態度が軟化する。結局、どこの神殿でも反応は変わらない。
「ありがとうございます」
優雅な笑みを浮かべながら、アレクシアは心の中で高笑いをする。金で殴れば、大抵のことは解決できるのだ。
「こちらの部屋に、女神様がおられます」
「ありがとう」
「どうぞ祈りを捧げることで、心が安らかになりますように」
大切そうに箱を抱え、神官はその場を後にする。帰りは勝手にどうぞのスタンスのようだった。
身元がわかっているとはいえ、自己申告だ。いいのかそれでと思わないでもないが、アレクシアにしてみたら都合がよかった。
「あなたたちはここで待っていて」
「はい」
二人をその場に残し室内に入ると、祭壇があり小ぶりな女神像が祀られている。礼拝堂を小規模にしたようなところだった。祭壇の装飾も美しい。床も綺麗に磨かれていて、さすがに手入れが行き届いていた。
「神官に何を渡したんだ?」
「え、お金」
「解決策は金かよ!」
「そうよ。お金は強いのよ。最強よ!」
本当に恵まれた転生に、アレクシアは感謝する。面倒ごとが付随していたとしても、お金があるので大丈夫だという安心感があった。
「……俺のせいで、無駄に使わせて悪かったな」
フェルナンドの声がしょげている。案外、繊細だ。
「気にしなくていいわ。私お金持ちだから」
「なんかすげぇな。アレクシア」
「そうでしょ? もっと褒めてもいいのよ」
ふふ、と笑いながら女神像の前まで行くと、アレクシアはまじまじと眺める。美しく、表情が優しい。こんな風に、じっくりと見るのは初めてだった。
「どう? 力があるの感じる?」
「感じる。像に触れてくれ」
「わかったわ」
躊躇なく肩の辺りに触れる。中身がクリスマスも初詣も楽しむような無神論者ではあるが、さすがに頭をわし掴むのはためらわれた。
「あ」
不意に魔法陣が女神像から浮き上がり、ブレスレットに吸い込まれる。あっという間の出来事だった。
(ほんとに封じられてたんだ)
「少しはマシになった程度だな」
フェルナンドの声で、アレクシアは我に返る。ここに来た目的を思い出した。
「じゃあ元の姿には?」
「まだ戻れない」
「そっか」
残念だね、と軽く慰めの言葉をかける。このまま立ち去るのも微妙なので、女神像に祈りを捧げてから部屋を後にした。
目的は達せたとマリッサとエリックに伝え、私語が憚られるような神殿内を歩いていると、アレクシアは知った顔を見つける。とっさに、顔を歪めなかったのを褒めてほしい。
「ロシェット嬢、奇遇だな」
やっぱり声をかけてくるのかと、嬉しくないセルジュとの遭遇をひそかに嘆いた。