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「俺の顔に、何かついていますか?」
知らず不躾に眺めていたようで、エリックがどこか居心地悪そうにしている。今まで傍らに居てもさして興味を示さず、空気のように扱うアレクシアにまじまじと見つめられ、困惑していた。
「観察していただけよ」
この言い分もどうかと思うが、するりと口からこぼれ出たのだから仕方がない。
対するエリックも、はあ、と気の抜けた声を洩らすだけで、気を悪くするようなことはなかった。
「本当に、二十代後半には見えないわ」
「よく言われます」
さらりと認めるエリックは、嬉しそうには見えない。
騎士なら、苦労も多そうだ。
「そうね、そのことで侮られ、不都合が生じたなら、外でも、我が家の騎士団内でも、遠慮せずにあなたの判断で無礼者を好きにしていいのよ。私の、騎士なんだから」
「……ありがとうございます」
アレクシアがベッドに伏している間、エリックは騎士団の訓練に参加していたのだが、新人が同期と勘違いしたらしい。
普段アレクシアに付き添っているので、新人がエリックの顔を知らないことはありえる。勘違いしただけならば、その新人が青くなるだけの笑い事だが、偉ぶり、雑用を押しつけようとした。
それを目撃した上官によって、新人は処罰を受けることになる。今も騎士団に所属しているかは、マリッサから聞いた話ではわからない。与えられた役割を放棄するような者は、害になる可能性があるので不必要と判断されることが多かった。
ロシェット公爵家の騎士団に、入りたい者はいくらでもいる。性根をたたき直すより、入れ替えた方が早かった。
「……なあに? エリック」
「いえ、お嬢様にお言葉をかけていただくことがあまりないもので、少し驚きました」
「そうだったわね」
我ながら酷い所業に、ため息がこぼれそうになる。もっと周りを見て気遣いなさいと、過去のアレクシアに説教したくなった。前世は社会人を経験しているので、気になるところだ。
「これからは一々驚かないで。あと堅苦しいのは嫌だから、楽に話していいわ」
ぱたん、とエリックが瞬きする。真偽を図るようなわずかな間の後、ふ、と表情をやわらかくした。
「わかりました」
よし、とアレクシアは心の中で拳を握る。自由気ままなお嬢様生活へと路線変更するには、常にそばにいるエリックと、よそよそしい関係よりは親しくなった方いい。
ゲーム内でもアレクシアに尽くしていたのだから、うっかり断罪回避に失敗したら、解放してあげようと決めた。自分のために生きなさい。
「おはようございます。お父様、お兄様」
食堂に入ると、普段は表情豊かとは言えないサヴェリオも、レイモンドと共に満面の笑みで迎えてくれる。食事はまだ運ばれていないので、本当にアレクシアを待っていたようだ。
「おはよう。シア、体調はもういいのか」
すぐに気遣う声をかけてくるサヴェリオは、大きな娘がいるとは思えないほど若々しい。まさにイケオジ! と、声を大にして言いたくなる。渋い声も耳に心地好く、かっこよさの塊だ。
「心配をかけましたが、もう平気です」
「元気になってよかった。おはよう、シア」
サヴェリオを幼くしたようなレイモンドは、家族の中で一番表情が豊かだ。
笑顔は妹から見ても、きらきらしている。血のつながりが一目でわかる容姿の三人が一緒にいると、親子よりも麗しい兄妹に見えると評判だ。
サヴェリオの後妻を狙っている者も、多くいる。夜会に参加すれば囲まれ、誰もがなんとか縁を結ぼうと必死だ。
子どもを溺愛しているのは周知されているので、まずはアレクシアを懐柔しようと近づいてくる者もいる。そんな身の程知らずはこれ幸いとばかりに、笑顔で完膚なきまで返り討ちにしているけれど。
(我侭で傲慢な性格の娘がいる家に入ろうなんて、無謀よね)
当のサヴェリオは今でも亡くした妻だけを愛しているので、再婚など考えていない。いい加減察してあきらめればいいのに、我こそはとアピールする妙齢の女性たちを、アレクシアはいつも冷めた目で見ていた。
「病み上がりだ、無理はするな」
「はい」
過保護すぎるサヴェリオは、今は王宮で役付きの文官として働いている。ただ、経歴は少し特殊だ。数年前までは、この国の騎士団長を務めていた。
その教えを直接受けたエリックが、強くなるのも頷ける。レイモンドもサヴェリオに師事し、教えを受けているので剣の腕は同年代でトップクラスだ。
けれど卒業後は騎士団ではなく文官志望なのだから、教師たちの頭は痛い。嘆いている。その進路をサヴェリオは咎めるどころか、俺の息子だなと笑うばかりだ。
――遠征に出たら、シアと離れないとだろ。
――シアに心配かけたくないし。
とんだシスコンだ。呆れるしかない。
サヴェリオが騎士団をやめたのも、同じような理由なのだから、国王と現騎士団長はあきらめられない。戻ってほしいと定期的に訴えている。けれどまったく効果はなく、すでに後進にその座を譲った身だと、サヴェリオは絶対に頷かなかった。
だからといって、身体を鍛えるのをやめたわけではない。技術も、磨き続けている。時々現役の騎士団員と手合わせをしているが、危なげなく勝ち続ける姿に、文官とは? と目撃した人たちがぱかりと口を開け、固まるのも仕方がないことだった。
「今週は学園をお休みします」
休んだところで、勉強が遅れることはない。
望んだ人の隣は王太子妃、いずれは王妃だったので、アレクシアはこれでもかと勉強に励み、知識を詰め込み、相応しくあろうとしていた。
おかげでしばらく自主休校していても、困らない程度の学力は身についている。ありがとう、過去の私、とアレクシアは心の中で感謝の言葉を告げた。
「ああ、それがいいな」
ぱあっと、サヴェリオが表情を明るくする。今まで休むよう促しても、アレクシアが聞き入れたことはなかった。
「シア、本当はまだ具合が悪いんじゃないのか?」
「本当にもう、なんともありません」
レイモンドが訝しむのも、当然だ。以前のアレクシアなら、無理してでも学園へ行っている。明日は、ジェフリーと婚約者候補の交流会があるからだ。
婚約者候補の令嬢だけでなく、側近候補も参加する。ある意味、婚活の場だ。
ジェフリーに選ばれなかった者は、同席している側近候補と婚約する可能性が高い。身分の釣り合う、同年代が集まっているのだから当然だ。
アレクシアの存在を意識して、初めからジェフリーではなく、将来有望な側近候補を狙っている者もいる。腹の探り合いばかりで、和気藹々とは言えない席だ。
そんな席に参加するなど、想像しただけでぞっとした。
「あの、お父様」
フォークとナイフを置いて、アレクシアは声を上げる。夜にでも時間を作ってもらおうと考えていたが、先延ばしにするのは落ち着かなかった。
「食事の席ですが、少しお話があります」
ピン、と背筋を伸ばして、サヴェリオを見つめる。さあ、これからが勝負だ。