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押し切られた迂闊さを、アレクシアは心の中で嘆く。けれどすぐに、ゲームには聖剣など出てこなかったからいいかと開き直った。
シナリオに影響はない。話す珍しい剣ではあるが今のところ自称聖剣でしかなく、真偽はわからなかった。
「でも、ここに剣がないと気付かれたら面倒よね」
普段は忘れ去られている剣とはいえ、ふとした時に誰かが気付く可能性はある。そのときに盗まれただの紛失しただので騒ぎになり、使用人たちが疑われたら申し訳ない。だからといって、もらっていい? なんてねだれる物でもなかった。
(いや、甘えるように頼めばいけるか?)
アレクシアにデレデレなジェラールの姿が浮かぶが、駄目だとすぐに自己完結する。抜けない剣を欲しがる理由がなかった。
「ここから俺が消えると困るのか?」
「あるはずのものがなくなったら騒ぎになるもの」
「それなら俺にまかせろ。鞘を持ってくれ」
「え、うん」
促されるまま手に取ると、淡い光と共にあっという間に以前と変わらぬ姿になる。手首を確かめると、変わらずブレスレットがあった。
「それを元の場所に置けばいい」
「フェルの魔法?」
「そうだ。まあ、ただの見せかけで抜けないけどな」
抜けない剣と認識されているので問題ない。元の場所へ戻し、フェルナンドには人前では話さないと約束させて、アレクシアはそろりと部屋を後にした。
(悪戯を隠す子どもの気分だわ)
誰にも会わないまま滞在している部屋に戻ると、ほっとする。ひどく疲れた気分でマリッサにお茶の用意をしてもらうと、読書をするからしばらくは一人にしてほしいと退室してもらった。
「……もういいわよ、話して」
ブレスレットを外しテーブルに置くと、代わりにカップを持ち上げる。香り高い紅茶で喉を潤すと、人心地着いた。
「ほんとにお嬢様なんだな」
「なによ、信じてなかったの」
「令嬢が聖剣を雑に扱ったり脅したりしないだろ」
「自惚れてるわね。誰もがきゃあ聖剣様よって、敬い好きになるわけないじゃない」
「……正論すぎて心が痛い!」
嘆くフェルに吐息で笑いながら、アレクシアはチョコレートをつまみ口に放り込む。他人の目がないので、多少行儀が悪くても問題ない。
「俺も食いたい」
「え、剣が食べられるの?」
「本来の姿に戻ればな。今は魔力が足りない。無機物に姿を変えるのが限界だ」
「ねぇ、気になったんだけど、聖剣なのに魔力? だいたい本来の姿って……待って、やっぱりいいわ。余計な情報はいらないから」
「聞かなくていいのか?」
「下手に知って何かに巻き込まれるのも、責任持つのもいやだもの」
面倒事は回避の方向だ。
ただでさえ悪役令嬢の役割を担っているのだから、これ以上状況を複雑になどしたくはない。休暇が終われば自国に帰る身だ。
「いっそ清々しいくらいに俺のことどうでもいいと思ってるな」
「まあ、そうね」
「あっさり認めるしさ」
「だって、私が国に帰るときには元の場所に戻すつもりだもの」
「は!? どういうことだよ」
「私、この国の人間じゃないの」
「なら俺も連れて行け」
「いやよ。盗んだみたいじゃない」
ひと息ついて冷静になって考えてみると、フェルナンドが本当に聖剣だったとしたら、勝手に他国へ持ち出すべきではない。
所持しているのがうっかりバレて、罪に問われたら最悪だ。本来なら皇家にあるべき剣なので、国家間の問題に発展するのは想像に難くない。
「俺が望んでるんだからいいだろ。模した剣は置いてきたし、バレないって。それに俺が寝てからどれくらい経ったかはわからないけど、聖剣と知らないままこの家にあるってことは、皇家は紛失したと思ってるだろ」
「えぇ」
聖剣を紛失扱いでいいのかと、愕然とする。この国の管理体制を憂い、他国のことながら大丈夫なのかとアレクシアは心配になった。有事の際――魔が封印から完全に解き放たれた時には必要となりそうな剣だ。
(待って、そんな重要アイテム持っていたくないんですけど!)
率先して何かを成そうとするほど正義感は強くはない。物語の主人公、ヒーローヒロインに憧れもない。むしろ圧倒的な光属性、善、正義感が暑苦しいと感じる精神アラサーである。勇者でも聖女でも、やりたい人がやればいいという考えだ。
「だいたい今は平和なんだろ? なら俺は必要ないだろうしさ」
「……まあ、確かにそうね」
アレクシアの知っているシナリオでは、魔の再封印はヒロインがなんとかしてくれる。むしろ不測の事態が生じた場合、何かしらの理由や状況を作って聖女の手に聖剣を渡せば、最強のペアができるということだ。
(裏で操ってる感すごいけど)
「なあ、聖剣としての役割もなく自由にしていていいなら、今の世を楽しみたい。元の姿に戻れる程度の魔力を取り戻す協力してくれないか」
ぱたん、とアレクシアは瞬きする。もしかするとこの屋敷に置き去りにされ、忘れ去れていたフェルナンドも絶望の中にいたのかもしれない。そう考えると哀れだ。本来なら皇家の宝物庫かそれ以上の場所で、大切にされて然るべき存在だ。
「協力って、例えば?」
「まずはブンバニッケルの森にある石碑に連れていってほしい」
「え、どこそれ」
自国ではないので、とっさにはわからない。詳しい説明を聞けば、ガーバリス王国とは反対側に位置するガルタファル皇国の外れにある森だった。
ここから馬車で十日以上かかる。観光地ではないので、転移魔法陣など設置されていない。人の手が入っていない自然そのままの鬱蒼とした森で、魔獣の生息も確認されており通常は立ち入らない場所だった。そんな森の奥に、フェルナンドが言う石碑はあった。
「さすがに無理よ。そんな危ないとこに行けるわけがないじゃない」
間違いなく、周囲も許してはくれない。
遠すぎて、こっそり出かけることすら現実的ではなかった。
「ダメか? 他にも似たような場所に連れて行ってほしいんだけど、ちょっと冒険でもしてみようかって気にならないか?」
「ならないわね。冒険者稼業に興味はないわ」
優雅な令嬢生活はかなり気に入っている。今は野菜スイーツに関してのプロジェクトにもやりがいを感じているのに、なぜそれらを放り出してまで危ない目に遭うようなことをしなければいけない。
これが価値観の相違というやつかと、アレクシアは理解する。残念ながら、見ず知らずの剣のために危険を顧みずに行動するようなお人好しではない。
「冒険したいなら、他の人のとこに行くのをお勧めするわ」
「それこそ無理だ」
「なんでよ。今までは寝ていたんでしょ? 起きた今なら、気に入った人のところで抜けてあげたらいいじゃない」
「魔力の質が合わないと抜けないし、しばらくすると俺の声も届かなくなる」
「そうだったの?」
「だからずっと放置されてたんだよ」
「かわいそうなのね?」
「そう思うだろ!? 結構苦労してんだ、俺」
「でも危険な場所に行くのは無理よ」
「だめかぁ」
ブレスレット姿のフェルナンドが盛大なため息をつく。
どうにも、妙な光景だ。
「石碑のとこの魔力が一番でかいんだけどな」
一応覚えておくことにする。シナリオ通りに進むゲームの世界ではなく、ここは何があるかわからない現実の世界だ。すでにアレクシアが悪役令嬢としての役割を放棄している。それがどう影響するかわからない。
「まあ、必要に迫られたら連れて行ってくれるわよ。誰かが」
「他力本願かよ」
「そうよ。やってもらうのが当たり前のお嬢様だもの」
堂々と言い切れば、ふはっとフェルナンドが吹き出す。
「うん、やっぱ気に入った。俺はアレクシアのそばにいる」
軽やかな声での宣言に一瞬目を見張り、すぐにまあいいかとアレクシアは嘆息する。詳しい事情など知らないし、思考が勝手に想像で補完している部分も多いけれど絆されたのかもしれない。
「なら、聖剣だってバレないようにしてね」
「わかった」
「危険が伴う場所は無理だけど、私が行けそうなところなら行ってもいいわよ」
「ほんとか!」
「ええ。でもまずは、せっかくだから外の空気に触れましょう」
散歩の提案をすると、応えるフェルナンドの声が嬉しそうだった。