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近々この国でも学園が夏期休暇に入り、フィリップが帰ってくる。昨夜の夕食の席でその話を聞き、ついにか、とアレクシアはこっそりため息を落とした。
――なんだ、このくるくるの髪!
――ヘンなの。
ぐいっと、乱暴に髪を引っ張られた記憶がある。あの時、綺麗に巻いてもらってアレクシアはご機嫌だったのに、フィリップのせいで一気に機嫌は下降した。
――顔もババアみてぇになったな。
するすると、奥底に沈めていた記憶が甦る。不快な気持ちも甦り、アレクシアは思わず眉をひそめた。
さすがに、学園に通い始める歳にもなれば、幼い頃は悪ガキだったとしても大抵は落ちつくとわかっている。わかっていても、認識がわずかも良い方へ上書きされることのないまま疎遠になったので、付随する苦手意識もまったく薄まることなくアレクシアの中にあった。
(まあ、大抵のことには反撃するけどね。倍返しだ! じゃないけど)
不快なことを言われればアレクシアは冷静に言い返し、逆にフィリップを言い負かしている。決して、一方的にいじめられていたわけではない。
イラつきがおさまらなければ、さりげなく大人たちに告げ口し、同情を引くようにしょんぼりして見せれば、すぐさまフィリップが怒られる展開になる。どちらかといえば、強かなアレクシアの方が強かった。
要は、面倒くさいだけだ。
一々フィリップが絡んでくるので、鬱陶しかった。
同じ屋敷で暮らすとなれば、否が応でも顔を合わせる。その都度神経を逆なでするようなことを言われれば、ダメージはなくともげんなりするというものだ。今のところ、勝手な想像でしかないが。
紳士な対応をされたらされたで、裏がありそうだと勘ぐるかもしれない。それだけ幼い頃に植え付けられた印象は根深い――と考え、アレクシアは黒歴史にざっくりと胸をえぐられた。
(ブーメランだった!)
せっかく忘れて平穏な日々を過ごしていたのに、全部フィリップのせいだ! と、責任転嫁する。心の平穏を保つため、アレクシアは無理やり思考を止めた。
(過去を振り返るのはやめよう、うん)
こんな時は、楽しいことで上書きするに限る。思い立ったら即行動だ。エリックを返してもらい、マリッサと共に街へと繰り出した。
ただすんなりとはいかず、一悶着あったのだけれど。
――他にも、護衛騎士を連れて行きなさい。
アレクシアの周囲をぐるりと囲むくらいの騎士を、ジェラールは同行させようとした。
心の中で悲鳴を上げ、言葉を尽くして辞退を申し出る。ぞろぞろと護衛を引き連れた街の散策など冗談じゃない。
断固拒否! の姿勢を崩さないアレクシアに、エリックの実力を直に確かめたジェラールは渋々引いてくれた。
生け贄に差し出したことが、ここにきて功を成した。
売り渡したような格好ではあったが、エリックは案外充実した時間を過ごせたらしい。ジェラールと、模擬戦をしたと言っていた。
魔法の使用を禁止しての、純粋な剣技のみで戦い。二戦して、勝敗は一勝一敗。どちらがすごいのか、アレクシアにはわからない。
(楽しかったのならよかった)
何より二人が剣を交えたことで、気楽な顔ぶれで街へ来ることができた。
(さあ、楽しむぞ!)
目の前に広がる活気あるざわめきに、アレクシアは自然と表情が緩む。ずらりと並んだ露店は、壮観とも言える。通りは行き交う人の波であふれていた。
「すごい人ね」
「お嬢様、お気をつけくださいね」
「わかってるわ」
アレクシアも、はぐれて迷子になりたくない。
先日のような、ひったくりに遭うのも遠慮したかった。
(さて、何があるかなぁ)
品揃えも豊かで、露店を端から眺めていくだけでも楽しそうだ。
ここでしか手に入らない、珍しい物もきっとある。食べ物を売る店もあちらこちらにあり、美味しい物もいろいろありそうだ。軍資金はたんまりある。ジェラールが楽しんできなさいと、たっぷりとくれた。
「え、マリッサ、あれが食べたいわ!」
「あれ、ですか……?」
訝しむマリッサを急かし、三人分、三個購入する。ふかふかで熱々の生地に懐かしさを覚え、アレクシアはさっそくかじりついた。
(こんなところで肉まんに出会えるなんて!)
夏だけれど美味しい。躊躇なくかじりつく公爵令嬢もどうかと思うが、アレクシアが食べるのを見て、マリッサとエリックもかじりついた。
二人の表情が、ぱあっと輝く。気に入ったようだ。
「お嬢は、美味しいものを見つけるのがうまいな」
ぺろり、と脂で汚れた唇を舐めながら、エリックが感心する。学園に通う貴族では絶対にしないだろう仕草に、アレクシアは心の中でジタバタした。
「止める間もなく食べるのはどうかと思います。どうか、先に毒見をさせてください」
「他の人も食べているのだから、平気よ」
「……そうですけど」
屋台の物は、誰もが食べながら歩いている。貴族エリアではないので、作法など気にせず自由だ。正直、前世庶民はとても居心地がいい。
次は何を食べようかと露店を物色するが、それは何? 的な物も結構あるので迷う。派手派手しい色合いの物もあり、さすがにアレクシアは手が出なかった。
「エリック、アレ、食べてみる?」
「……拒否権が欲しいです」
「そうよね。冒険はやめましょう」
気まぐれに露店を眺めながら歩いていると、少し奥まったところに人が並んでいるのが見える。興味を引かれて近づいて行くと、ほとんどが女性だった。
まさか、とマリッサが呟く。心当たりがあるようだ。
「マリッサ、知っているの?」
「世界各国を回っている、当たると有名な占い師の方です。まさか、この国で出会えるなんて」
「マリッサ、詳しいわね」
「侍女の間でも話題になっていて、どこかで遭遇してみたいと夢見る者が多い方です。お嬢様、占ってもらいますか?」
「どうしようかしら」
(占いねぇ)
前世から、占いを盲信するような夢見がちな性格ではない。
テレビで流れる占いは、なんとなく見ることもあったし、美容院に置かれていた雑誌にあった占いも、暇つぶしに読むこともあった。
けれど、ふうん、でしかない。子どもの頃は多少なりとも影響を受けていたような気もするが、社会人になってからは占いの内容、結果によって何かが変わるわけがないと悟ってしまったからだ。
「マリッサ、占ってもらったら?」
「私が、ですか」
「有名な方なのでしょう? 私も気になるけど、マリッサの結果を聞いてから考えるわ」
「承知致しました。ですが、待ち時間がありますがよろしいのですか?」
「いいわよ」
急ぐ用もない。気晴らしに、ふらりと街へ遊びに来ただけだ。
夏期休暇はまだたっぷり残っているし、ここで時間を取られそのまま帰ることになったとしても、後日また遊びに来ればいいだけだ。
三人で列に並び、時々進み具合を見ながらおやつを仕入れ、順番が訪れるのを待つ。ぼんやりと人間模様を眺め、好き勝手に脳内でアテレコして楽しんでいると、案外あっという間だった。
簡易テントのような中へと入ると、ベールで顔を隠した若い女性が迎えてくれる。手元には、水晶やカードの類いはなかった。けれど雰囲気はある。小さなテーブルを挟んで、椅子が置いてあった。
「どうぞ、知りたいと望むことがおありの方は、そちらの椅子におかけになってください」
マリッサが視線で、確認してくる。それにアレクシアは頷いた。
「私を、占っていただけますか」
すっと、占い師の前にマリッサが座る。さてどんな結果が出るのかなと、アレクシアはわくわくした。




