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驚くことに、引くときに抵抗感などまったくなかった。
(聞いていた話と違うんですけど?)
あっさりと抜けた剣は、ずっと放置されていたとは思えないほど、剣身が美しい。刃こぼれ一つ、曇り一つもなかった。
違う剣かと疑ってみるが、基本的に剣は武器庫にしまわれている。抜けないとされた剣が置かれていた場所も記憶通りで、柄にはめ込まれた真紅の宝石にもアレクシアは見覚えがあった。
記憶にある、剣に挑むレイモンドたちの様子が演技だとは思えない。困惑が、アレクシアは強くなった。
(どーいうこと?)
剣自体は、軽くて手に馴染むので欲しいな、とちょっぴり思わないでもない。ただ、もらっても困る。普通は、令嬢自ら戦わない。訓練以外の使い道などなかった。
まさに、宝の持ち腐れだ。
(うん、なかったことにしよう)
結局の所、なぜ抜けたかはわからない。随分と久しぶりに訪れたこともあり、いつからか抜けるようになっていた可能性もあった。
正直なところ、どちらでもいい。挑戦してみたので、気は済んだ。
幸いなことに誰も見ていない。アレクシアが沈黙を守れば、それで終わることだ。
「おい」
急に声がして、どくん、と大きく鼓動が跳ねる。慌ててアレクシアが振り向くと、誰もいなかった。
ぱたぱたと、数度瞬きする。視界に映る光景は、変わらない。
ふっと唐突に、まさか――とある可能性が浮かび、ぞっとして急に怖くなった。
(ゆ、ユウレイなんていない、いないんだよー!)
「俺だ、俺!」
再度はっきり聞こえた声に、アレクシアは肩を揺らす。
鼓動はさらに、どどどっと勢いを増し速くなった。
どことなく、息苦しさも感じる。目で、ドアの位置を確かめた。
「俺は、おまえが手に持ってる剣だ」
「……え」
すぐには理解できない。おかげで、放り投げなくてすんだ。
理解が追いつくと、アレクシアはそろりと視線を落とす。きらりと、純白な刃が煌めいた気がした。
「おい、俺の言葉がわかるか?」
「えっと、はい」
大陸の、共通語だ。
「よかった」
「はあ」
「久しぶりに起こされたから、反応遅れた。悪い」
「……いいえ?」
会話になっていることで、現実だ、と話す剣をアレクシアはまじまじと眺める。間違いなく、剣から声が聞こえていた。
(なんでもありなの、異世界)
「どれくらいぶりだ、起こされるの」
声が、弾んでいる。表情はわからなくても、浮かれているのは伝わってきた。
けれど起こすつもりなどまったくなかったアレクシアは、はあ、と曖昧な返事しか返せない。この現実をできれば受け止めたくないし、面倒事の予感さえした。
「で、魔王と戦うのか?」
俺に任せろ、というドヤ顔が、見えないのに見える。やっぱりか! と、アレクシアは心の中で悲鳴を上げた。脳内イメージは、ムンクの叫びのポーズだ。
「いいえ」
物騒な単語など聞きたくない。言いたくない。今の状況で、うっかり魔王と口に出すのも嫌だ。
言霊というものは、きっとある。ゲームに魔王など出てこなかったはずだと、うろ覚えでしかない奥深くに沈んだ記憶を、アレクシアは必死にたぐり寄せた。
(うん、ないない)
「なら、魔獣討伐か?」
「まさか! 私、戦えない令嬢ですよ?」
だから戦いの方向へ持って行くなと、剣を放り投げたくなる。実際はそこそこ剣を扱えるが、見ず知らずの剣に対して自己申告する必要はない。
だいたい魔獣討伐に、行く気もない。
仮にそんな気持ちがあったとしても、過保護な周りが絶対に許すわけがなかった。
「なら、なんで俺を抜いたんだ?」
「え、なんとなく引いたら抜けた的な?」
あえて言うならば、好奇心でしかない。出来心だ。
そこに深い理由などない。
「はあ?」
「飾りの剣だと思っていて、抜けるとも思っていなかったんです」
逆に簡単に抜けすぎて、ドキドキを返せと言いたい。
抜けない、抜けない、悔しい! をアレクシアはやってみたかった。
「どういうことだ」
「どういうことも何も、そのままですけど」
この剣は、ある意味子どもたちのおもちゃである。この屋敷で剣の存在を知っている者は皆、抜けるとはまったく想像もしていないはずだ。
「聖剣に対して飾りとはなんだ!」
「……はい?」
「だから、俺、聖剣だからな」
今度こそ、ドヤァ、という効果音の錯覚が見える。おまけにまた、聞いてはいけない単語が聞こえた気がした。
聖剣と言えば言い伝えにある、聖女と共に魔を封じた勇者が持っていたとされている。そして聖剣は、この国の皇家が所持していると伝わっていた。
(報告も面倒事を引き寄せる予感がする)
「うん、もうなんでもいいや」
知るか、という気分だ。
「は?」
「今のところ、とてもとても平和なので、大変申し訳ありませんが、もう一度お眠りください、聖剣様」
魔については、ヒロインたちのお仕事であり、悪役令嬢役だったアレクシアには関係ない。仮に聖剣が必要となっても、使いたい人たちが知恵を絞りどうにかするべきだ。
どうにもならないようなら、ある場所くらいはさりげなく教えてもいい。その程度なら、協力を惜しむ気はなかった。
(その程度ならね)
主要人物になるのは、断固拒否だ。
「いやだ! もう寝るのは飽きた」
「いやだと言われましても、必要な状況ではないので」
「ただ置かれてるの、すっげぇ退屈なんだよ! だから寝てただけ! 好きで寝てたわけじゃない!」
「私に言われましても」
他の誰かを捕まえてほしい。
いっそエリックにプレゼントだと言って渡してしまおうかと、アレクシアはちょっと考えてしまった。
「抜いた責任取って、俺を連れて行けよ!」
「お断りします」
「なんでだよ、英雄になれるぞ」
「英雄になど、なりたくありません」
「は?」
(なんでそんなに驚く)
「面倒事は遠慮したいので」
「面倒事じゃないだろっ」
すでに、面倒事である。好奇心は猫を殺す、まったくその通りだとアレクシアは実感した。
「あのですね。誰もが英雄になりたいなどと、思わないでいただけますか? 正義の押しつけも、義務の押しつけも、私、大っ嫌いなんです。だいたい私が望むのは、平凡なモブ令嬢生活時々悪役令嬢ですので」
「あく、なんだそれ」
本当に、何故ここに聖剣がある。そして、何故そのことを誰も知らない。
(あ、そうか。誰も知らないんだ)
知っていれば、子どもたちにあんな風に気軽に手渡さない。
こんな風に誰が盗むともわからない場所に――この屋敷に泥棒に入ろうと考える命知らずはいないだろうが、無造作に置いておくわけがない。そういうことだ。
「おい!! なんで鞘に戻すんだよ」
(関わり合いになりたくないからです)
「聞こえてんだろ!」
(聞こえない、聞こえない。私はなあんにも、聞こえなーい)
元の場所に、恭しくアレクシアは戻す。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が聞こえたが、さっと背を向け部屋を後にすると、問答無用でドアを閉めた。




