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謁見当日まで、どーんと構えていよう。
そう思うのに、アレクシアはどうにも落ち着かない。まるで前世の頃に経験した、社長を筆頭とした重役たちを前にしてする、最重要、と付くプレゼンが控えているような感覚だ。
高揚感、緊張感でそわそわする。実際は国王に、アレクシアの意思を正しく伝えるだけだ。
サヴェリオ曰く、辞退はもう既定路線となっている。仮に国王が渋ろうとも必ず承認させるからと、力強い言葉をもらっていた。
レイモンドなどは、帰ってきたら祝杯を挙げようと言っている。不敬じゃないの? と思うものの、貴族の常識なら嘆くことなのに、アレクシアの気持ちを尊重してくれる二人には感謝しかない。
本当に、素敵な家族だ。気持ちがあたたかくなる。アレクシアが心を打たれていると、話題はさらりと先日の学園での出来事に変わるから、気分はジェットコースターだ。
(いいけどね!)
気になっていたことなので、教えてもらえるならありがたい。
まず、演習の変更を主導したのが魔法科の教員で、側妃の血縁ということで大きな顔をしている、ロックリン・デイビスだった。
側妃は第二王子の母親なのだから、血縁者は当然第二王子派閥になる。それを聞いて王太子の襲撃が浮かび、なんて安易な計画だとアレクシアは呆れたが、実はこの男も操られていたと判明した。
(えー、絶対うそでしょ)
アレクシアでさえそう思うのだから、当然他の者もそう感じる。状況証拠から見ても相当怪しいが、ロックリンに魔法がかけられた痕跡がある上、操られていなかったとの証明もできない。
更には側妃が庇ったことで罰することが難しくなり、王家から監視が付くことで手打ちとなった。
アレクシアを誘拐しようとした男、ジェフリー暗殺を目論んだ男、と幾人か捕らえることが出来たが、尋問し、男たちが話そうとした瞬間、自我を失い何も話せなくなったらしい。そうなるように、魔法なのか、暗示なのかをかけられていた。
逆にリサは、操り人形だと男たちは言っていたが、その言葉のままだと判明する。アレクシアが容赦なく痛みを与えたのがよかったのか、正気を取り戻したのだが、すべてを忘れていた。
(情報が多いな!)
結局何もかもを忘れてしまい、気付いた時には罪人になってしまっていた平民のリサが、一番の貧乏くじだ。ひどく後味が悪い。
ここまで痕跡を見事に消す、いまだ輪郭さえも見えない黒幕は、かなり用意周到ということだ。
目的さえもわからない。これから先もアレクシアは狙われるのか、今回だけのことかさえも、わからなかった。
ぞわり、と肌が粟立つ感覚だ。得体の知れない者に、狙われているのかもしれないと思うと怖い。早く全貌が明らかになり、完全に解決するのを祈るしかなかった。
(人生、良いことばかりじゃないよね)
がっくりとアレクシアは肩を落とすが、最大の懸念事項が消滅する可能性が高いのだから、まずは良かったと思うことにする。無理やりにでも気持ちを切り替え、気合いを入れて身支度をし、アレクシアは国王との謁見に臨む。
国王に謁見するのだからと、早朝からマリッサを筆頭とした侍女たちが念入りに身支度を整えてくれたのだが、正直、めんどくせぇとか、そこまでしなくても? とか、うんざりしてしまったのは内緒だ。
サヴェリオと共に王宮へ向かい、面倒くさい手続きをいくつか踏み、格式張った挨拶を経てやっと、国王と言葉を交わすことになる。そう長い時間、話していたわけではないが疲労感は強い。
穏やかな人ではあるが、人の上に立つ者特有の威圧感がある。ぴんと張り詰めたような空気に満たされ、息が詰まるようだった謁見室を後にすると、アレクシアは一気に脱力感に襲われた。
自然と、唇からこぼれる息は深くなる。けれど人の目が多い王宮内で、隙のある姿を見せるわけにはいかないと、ぐ、と腹に力を入れてアレクシアは背を伸ばした。
凛とした態度を崩さないように歩き、人気のないところを探す。とにかく、息のつける場所に行きたかった。
いくつか頭の中に候補を並べ、ふと、今は薔薇が綺麗に咲き誇る季節だと思い出す。日傘は持っていないが、わずかな時間くらいはいいだろうと、アレクシアは良く晴れた空の下へ足を進めた。
風が、心地好い。
薔薇の花は予想通りに、艶やかな姿を見せる。よく手入れの行き届いた薔薇園は、濃厚な香りが立ちこめていた。
少し奥まったところへ向いながら、アレクシアの思考は勝手に、先ほどの謁見でのやりとりを反芻する。前世の記憶が甦ってから初めて国王に会ったけれど、さすがと言える威厳があった。
けれど、相手の意見をきちんと聞いてくれる方でもあった。
「アレクシア嬢、そう畏まらなくていい。楽にして、余に本音を聞かせてくれ」
同席しているサヴェリオに視線を流し確認すると、力強く頷く。
どうか、望みが叶いますようにとアレクシアは祈り、唇を開いた。
「では、遠慮なく。婚約者候補からの辞退は、私が、私の意思で決めたことにございます」
真っ直ぐに、揺るがない視線を壇上の国王へと向ける。わずかな間の後、嘆息するのがわかった。
「……本当だったのだな」
「はい。父の独断ではなく、私が望み、父に辞退する旨を伝えました」
そうか、と国王が口にするまで、アレクシアはとても長く感じた。
平静を装ってはいるが、鼓動が逸り出す。沈黙が流れ続ける間、アレクシアは許可すると言って! と、念を送り続けた。
「理由を、聞いてもいいだろうか」
「はい。陛下もご存じかとは思いますが、殿下は、私を疎ましく思っておられます」
学園は貴族社会の縮図、情報収集の課目はないが暗黙の了解、必須事項になる。そんな中で、アレクシアがジェフリーに好かれていないのは周知の事実だ。学生が知っていて、王家が知らないはずはない。
予想通りに、国王の表情に苦みが混ざる。王家の意向としては、やはりロシェット家との縁組みだと察した。
ジェフリーはそれを良しとはしていなかったが、国を担う王太子という地位にいる。いずれは受け入れるだろうと、アレクシアの想いが揺るがない前提で、王家は安易に考えていた。
(中身にアラサーが混ざったので、思惑が外れて残念だね!)
「ですので、良好な関係を築けないと判断しました」
「……これからジェフリーがそなたに歩み寄れば、関係は良き方へ改善されるのではないか?」
「いいえ。幼い頃より今までずっと、私の想いは殿下に少しも届きませんでした。きっと、これからも届かないと存じます。殿下がお選びになる伴侶ですが、私でなくていいのなら、私でない方をお選びいただければと切に願います」
ひと呼吸置き、そうか、と呟かれた声には、落胆が滲んでいた。
王侯貴族は政略結婚が多いとは言え、個人の意思もかなり尊重される。何代か前の国王が気に入った貴族の娘をむりやり王妃に据え、望まない妊娠出産を経て自死してから、上に立つ者の無理強いは許されないものとして、王家がひそかに御触れを出した。
必ずしも守られているわけではないが、御触れを出した王家が、再度同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。ひどく苦い物を呑み込んだような顔で、国王は婚約者候補からの辞退を了承した。
ただ、公にすると面倒事も増えるので、暫くは公言しないでくれと頼まれる。えぇ、と思ったのがサヴェリオに伝わったのか、本人もそう思ったのか、公表していないのをいいことに辞退を反故にされるのを厭い、きっちりと書面にしてもらうと宣言していた。
(パパつよい!)
これから手続きするからと、アレクシアは先に謁見室を出され今に至る。まさか辞退を了承されたその日のうちに、すべての手続きを終えるのはさすがに想定外だ。
けれどよし、と心の中で拳を握る。自然と喜びはあふれ出て、ふふ、と笑みをこぼすくらいは許してほしい。
肩の荷が下りた。
悪役令嬢として断罪される可能性は、ぐんと低くなったはずだ。
これで公爵家であるロシェット家に、無理強いできる家はない。よって、今後アレクシアの意思が伴わない、婚姻は叶わないこととなった。
(やったね!!)
ジョブチェンジに成功する。念願のモブ、部外者となれた。
気分はポップコーンを手に持ち、ヒロインが誰を選び攻略するか、王太子の婚約者の座は誰のものになるのか、成り行きを見守る観客だった。
気が向けば破滅しない範囲で――ロシェット家がもみ消せる範囲とも言うが、悪役令嬢の役割をするのもやぶさかではない。ちょっと、楽しそうだ。その辺は臨機応変にと、アレクシアは決めた。
晴れやかな気持ちで顔を上げると、視界に多くの薔薇が飛び込んでくる。ほんのわずか、名残惜しむ気持ちはあった。
この場所が与える、感傷なのかもしれない。幼い頃からずっと努力し続け、王太子妃になることを夢見ていたアレクシアの恋心の残滓かもしれない。自己分析は、うまくできなかった。
ざわり、と強い風が吹き、アレクシアの髪を乱す。
薔薇の濃厚な香りが立ち上って、ふと見た先に、ジェフリーの姿があった。
最後の最後に会うのか、とアレクシアは笑いたくなる。この選択肢で本当にいいのか? と、尋ねられている気分だった。




