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すぐに移動したブランシェは、淡い色合いの可愛らしい印象の店だった。
女性がとても好みそうに見える。だからこそ、正直イアンには似合わない。けれど本人は躊躇することなく足を踏み入れ、従業員に出迎えられていた。
(わあ、場違い)
注目を浴びる中、喫茶コーナーではなく特別室へ案内される。貴族が出資しているのだからあるよね、とアレクシアは納得し、促されるまま豪奢なソファ席へ座った。
向かいには、イアンが座る。当然のことなのだけれど、アレクシアは軽く驚く。プリンのことばかりに気を取られていて、一緒にお茶をすることになるなど、すこんと頭から抜けていた。
こんなところをイアンの信者に見られたら、恨まれそうだ。あることないこと、悪意を混ぜて噂される。一瞬げんなりした気分にはなったが、マリッサとエリックが少し離れた隣の席に案内されるのを見て、二人ではないのだし気にするのをやめた。
すぐに、礼儀作法の行き届いた従業員が、食べ比べセットと紅茶を運んでくる。簡単に説明してくれるのを聞き、アレクシアはさっそくスプーンを手に柔らかなプリンをすくった。
(おいしーい!)
苦労の対価は最高だった。
例え礼儀知らずな態度に唖然とさせられ、まったく会話にならないことにイラッとさせられたとしても、プリンの美味しさで帳消しになる。むしろプラスだ。
あの苦行がなければ、人気店のこのプリンは今、アレクシアの口に入っていない。それも食べ放題でだ。
悪役令嬢の本領を発揮するだけの簡単なお仕事だったし、イアンには感謝されるし、本当にいいことをしたと、アレクシアは上機嫌でスプーンを口に運ぶ。とろける食感に、自然と表情が綻んだ。
「甘い物が好きだったんだな」
イアンの声のトーンが、疑問形に近い。
ふと、アレクシアはそれに違和感を覚えた。
「そういえば、よく私がブランシュにつられるとわかりましたね」
「確信はなかったがな。最近よく、ステファノに甘い菓子を与えているだろう」
(ちょっと、その言い方!)
まるで野良猫や野良犬に、食べ物を与えているようだ。
ましてや、賄賂でも餌付けでもない。想定外にステファノが懐いてきたので、アレクシアも困惑していた。
「まあ、そうですね。ちょっとした布教も兼ねて?」
「もしかして、エリック殿にも?」
マリッサと仲良くプリンを食べているエリックに、イアンが話を振る。空になった容器、表情から、二人とも喜んでいるのがわかった。
「ええ、お嬢に勧められて食べたら、甘い物、結構うまくて」
「お嬢?」
「お嬢様って、言いにくいでしょう」
ああ、とイアンは納得する。正直、呼び方などどうでもいいとアレクシアは思っていた。
「この前俺も一つもらって食べたが、甘さ控えめで美味しかった」
え、と驚く。
まさかだ。
「食べたのですか?」
「ああ、駄目だったか?」
「いえ、キャフリー様が出所のわからないものを口にするとは思わなかったもので」
「ロシェット公爵家が用意したものだと聞いた。それをステファノが目の前で食べているしな。疑う要素がない」
毒見がいた、とアレクシアは納得する。一応、ステファノも侯爵令息なのだけれど。
ただ信用してもらえたことは、素直に嬉しい。
「定期的に持ち込み食べているのだから、甘い物が好きだと予想したんだ」
「さすがですわ。キャフリー様も怒らせた女性の機嫌を取る時は、限定、特別が付く甘い物をお持ちするといいですよ」
「そんな状況にはならない」
「あら、怒らせない自信がおありで?」
「違う。機嫌を取るような女性はいない、ということだ」
「これから現れるかもしれないでしょう?」
ヒロインとかヒロインとか――と、アレクシアは心の中で唱える。表情も態度も、愛想がいいとは言えないイアンが、恋に溺れていくのを想像するだけで何度でもときめく。その過程を間近で眺めたいと、切実に思った。
(ヒロインと友だちになれば見れる?)
駄目だ、とアレクシアはすぐにその案を却下する。自ら危険地帯に近づいてはいけない。遠くからそっと、眺めるだけにするべきだ。
けれどヒロイン登場前の今は、面倒くさい、とイアンの顔に書いてある。思わず、アレクシアは笑った。
こほん、とイアンがわざとらしく咳払いする。これ以上、恋愛に関する話題を振るのはやめた。
「ロシェット嬢は、あの演習で攫われそうになったと聞いたが、街を出歩いても平気なのか?」
「エリックを連れていますよ」
「いや、出歩く不安とか、そういうのはないのかと」
「そんなことを言っていたら、屋敷にこもっていなければいけなくなります」
「令嬢とは、そういうものじゃないのか」
(これは、守ってあげたい系が好みなのかな?)
やっぱりヒロインかと、納得する。表と裏、ヒロインに立ちはだかる存在の悪役令嬢なので、アレクシアとは正反対だ。
「私がそんな性格だとお思いで?」
「……そうだったな」
納得されるのも少し心外だ。この複雑な乙女心よ。
むむっとなって、アレクシアはおかわりを要求した。
「気に入ってもらえたようだな」
「ええ、とても」
無限に食べられそうだ。若いって素晴らしい。
「せっかくだから、感想を聞かせてもらってもいいか?」
対価とはいえ無償でたっぷり食べさせてもらっているのだから、それくらいは喜んで、だ。
「そうですね。食感が少しずつ違って、食べ比べるのがとても楽しいわ。味にも濃淡があるから、続けて食べても飽きないし」
「何か、こうした方がいいとかあるか?」
「小娘の戯れ言と聞き流していただいてもいいのですが、この固めのプリン、このままでも充分に美味しいのだけれど、香り高いお酒を効かせたら、大人向けにもできると思うのだけれど」
「ほう」
「あとこちらのやわらかい方は、ミルクの配合を多めにして、季節のフルーツと合わせても美味しいのではないかしら?」
前世の記憶を頼りに、簡単な提案をする。それに随分と喜んでもらえたようで、試作品についても、感想とアドバイスを求められた。
「今日は色々と助かった」
自身が食べたいプリンをアレクシアは提案しただけなのに、シェフにも感謝され、予想以上にたっぷりの土産を帰り際に渡されて、馬車までイアンがエスコートしてくれる。そのことに、かなり驚いた。
顔には出していなかったはずなのに、イアンは察したらしい。
「俺だって、エスコートくらいする」
「……さようですか」
イケメンにエスコートされれば、悪い気はしない。
結局出店を予定している近辺を見て回ることは出来なかったが、後日でいい。機嫌良くアレクシアが帰宅すると、良いことは続く。
帰宅したサヴェリオから、陛下との謁見の日が決まったと知らせられる。二日後と急なことから、かなり強引にねじ込んだと見た。
裏の話も、実状も、どうでもいい。
これでやっと、アレクシアの望みが叶うはずだ。
つつがなく、国王との謁見を終えることができますようにと、ひそかに祈る。けれど運には任せない。アレクシアはしっかりと、シミュレーションで対策を万全にすることにした。
(目指せ、婚約者候補辞退! 目指せ、自由気ままなお一人様生活!)
えいえいおー! と、懐かしいかけ声をアレクシアは心の中で上げる。よし、と話し合いに向けて気合いを入れた。




