26
ちょっと長くなっちゃいました。
切るか迷ったけど、そのままにしました。読みにくかったらすみません。
学園主導の演習で、生徒が魔獣に遭遇しただけでも大事なのに、王太子は刺客に襲われ、公爵令嬢は攫われかけるなど、前代未聞の出来事が並ぶ。安全対策を講じる学園側の不手際、不祥事としか言えなかった。
学園長が出張中だったことも、混乱に拍車をかける。更に追い打ちをかけたのが、アレクシアがサヴェリオに危険を知らせたことで、王宮から調査と対応に当たる騎士の即時到着だ。
責任者の不在、指揮する者がいない中、教師たちは多くの対応に追われることとなる。もはや、授業などしている場合ではない。安全管理も万全とは言えなくなり、全生徒に、速やかな帰宅が促された。
学園は原因究明に追われ、翌日から臨時休校になっている。学園長が戻り判明したが、演習は申請されていない、無許可で進められたものだった。
現在、関係者の事情聴取や、演習内容を変更した経緯などが徹底的に調べ上げられている。端から見ても、いくつもの思惑があると察せられた。
そのうちの一つが、アレクシアを攫うことだ。
公爵家の娘ということで、思い当たることが多すぎてさっぱりわからない。けれど学園を巻き込んでの大がかりな誘拐劇には、違和感がある。ついでか、過程だ。
ジェフリーの暗殺が主目的というのも、違う気がする。謀りの全貌が見えないことに、アレクシアはぞっとした。
――しっかり調べさせるから、安心しなさい。
安全なはずの学園での誘拐劇に、静かな怒りを湛えたサヴェリオが意気込んでいた。曖昧なままでの授業再開の可能性は消え、このまま夏期休暇が前倒しになる可能性が高い。今のところは、自宅待機となっていた。
アレクシアにしてみたら、知ったことでない。
休みは、休みだ。
気晴らしという名目で、これ幸いと市場調査で街へと出かける。今日は貴族御用達の店が立ち並ぶエリアに行くので、お忍びスタイルではない。
まずは気分転換の買い物を済ませ、次はカフェにでもと考えていたところ、ふと視界に入った人の姿にアレクシアは眉をひそめる。またか、と嬉しくない偶然を嘆いた。
(遠目にも目を引く容姿で、気付いちゃったじゃない)
イアンだ。
傍らにいる小柄な女性が、必死に何事かを話しかけている。けれど対するイアンの表情は無だ。むしろ、いつも以上に壁を作っているようにも見えた。
そちらに気を取られているのか、アレクシアには気付いていない。今のうちに立ち去ろうと踵を返しかけると、ふっと視線を上げたイアンとぱちんと目が合った。
げ、と内心でアレクシアが声を上げると、イアンの表情が明るくなる。少し驚き気を取られ、背を向けるのが遅れた。
「ロシェット嬢!」
はあ? という気分だ。なんで声をかけてくる。なんで親しげに近寄ってくる。意味がわからないんですけど! やめてよぉと、アレクシアは心の中で叫んだ。
踵を返し、一目散に逃げ出さなかったことを褒めてほしい。
「彼女は、偶然ここで会っただけなんだ」
「は?」
色々限界で、うっかり、令嬢らしからぬ声がこぼれる。何言ってんだこいつ、と心の声を乗せた冷たい視線を、アレクシアは容赦なくイアンに向けた。
イアンが見知らぬ令嬢と居たとして、弁解されなければいけないような関係ではない。意図はしっかり伝わって、イアンが苦い顔をした。
「助けてほしい。彼女を、追い払ってもらえないだろうか」
囁くような小声で、イアンが訴える。その顔で、縋るような眼差しはずるい。
「嫌です」
だが断る、とアレクシアは心の中で宣言する。顔面の良さに惑わされていては、美形の多いこの世界で生きて行けない。あっという間に、貢ぎまくるカモになってしまうからだ。
「即答しなくてもいいだろ」
「面倒事には巻き込まれたくないので」
先ほどの令嬢は侍女と護衛に引き留められているせいで、イアンを追いかけて来られずこちらを睨み付けている。知らない顔だが、間違いなく面倒事だ。
「では、ごきげんよう」
立ち去ろうとすると、イアンが流れるような自然な動作で手を取る。つい容赦なく、アレクシアは睨み付けてしまった。
「ブランシュ、行きたくないか?」
手を振り払おうとしていたアレクシアは、ぴたりと動きを止める。ブランシュは、最近出来たばかりのプリンの専門店だ。とろりとした食感から、固めの食感まで、種類が豊富にそろっている。食べ比べのセットが人気だった。
オープンしたばかりで、連日行列が出来ている店でもある。販売がまったく追いつかず、完売次第閉店となっており、この時間では間違いなく買えない。
喫茶スペースも併設されてはいるが、あまりの人気に、現在は予約も取れない話題の店だ。
「我が家が出資していて、今日これからそこの視察に行くんだ」
ぴくり、とアレクシアの眉が跳ねる。なんてカードを切るんだと、表情は変えないまま心の中でジタバタと暴れた。
「彼女はどなた?」
ひとまず、情報収集くらいはしておこう。
決して、プリンにつられたわけではない。
「遠戚の子だ。俺が今日街に出るのをどこからか聞きつけて、突然現れ、先ほどからまとわりついている」
「まあ、キャフリー公爵家ともあろう家が、ネズミの侵入を許したのです?」
「耳が痛いな。帰宅したら駆除するつもりだ。だが、今は彼女をやり過ごさなければいけない」
「いつものように、適当にあしらわれたらいかが?」
「話が通じないんだ。あきらめも悪い」
「それを私に押しつけようとするなど、ひどくないですか」
「ああいうのを、あしらうのは得意だろう? 夜会でロシェット公爵に色目を使う女性たちを、容赦なく撃退していると聞いた」
一瞬黒歴史に触れないで! と焦ったが、サヴェリオの方かとアレクシアはほっとする。そちらは、これからも容赦なく撃退していくつもりでいた。
「小娘にあしらわれるなど、その程度ということです」
あ、とアレクシアは吐息を洩らす。
先ほどの令嬢が侍女を振り切り、ずかずかと歩み寄ってくるのが見えた。
「ロシェット嬢、ブランシュでの食べ放題と、土産も好きなだけ持たせる」
「……仕方ありませんわね。引くほど食べますがよろしい?」
「構わない。いくらでも食べて、いくらでも持ち帰ってくれ」
「マリッサとエリックも連れて行きますよ?」
「かまわない」
「交渉成立です」
「助かる」
ぱあっと、イアンが表情を明るくする。普段の、あまり動かない表情が嘘のようだ。そんなに? と、アレクシアは軽く驚く。
(もしかして、早まった?)
わずかに後悔したが、引き受けたのだから仕方がない。
プリンの食べ比べも、魅力的だった。
「彼女、私が好きなように撃退していいのかしら?」
「まかせる。好きにしてくれ。不愉快だったら、彼女の家に抗議を入れてくれていい」
本当に、うんざりしているのが伝わってくる。爵位は間違いなくイアンの方が上なのに、ここまで困っているのを見ると、察して余りある令嬢だ。
「知らない顔だけど、彼女の爵位は?」
「伯爵。歳は一つ下だから、学園に通っていない」
「あなたの伴侶を狙っているのかしら?」
深いため息が、返事だ。
淡々としているようでいて、案外、イアンは人間味があるのだとアレクシアは知った。
「潰してもいい家なの?」
「……伯爵である父親はまともだ」
母親はまともではないと、アレクシアは理解する。潰すのを一瞬迷う、イアンの心情も伝わってきた。
(さて、どうするか)
「ちょっと、いい加減イアンを返してくださらない」
挨拶もなしに、唐突にくってかかられ、アレクシアは瞳を瞬く。
思わずイアンに視線を流すと、苦い顔をしていた。
「キャフリー様、行きましょうか」
とりあえず、アレクシアは無視してみる。挨拶すらもないのだから、公爵令嬢が相手をする必要はない。
「待ちなさいよ! イアンを返してって言っているでしょう」
「……もしかして私に言っているのかしら? ぴいぴいと鳥がうるさくさえずっているのかと思いましたわ」
「はあ?」
眉をひそめ、睨み付けてくる。不遜な態度だ。
ここは貴族街であり、アレクシアは侍女と護衛を連れている。公爵令息のイアンとも対等に話しているのだから、状況を冷静に見ることのできる、常識ある者ならそんな態度を取れるわけがなかった。
「社交の場ではないので大目にみましょう。名も知らぬ方、まずは挨拶するのが礼儀では? 最低限の礼儀すら知らないようでしたら、今すぐに領地に帰り、二度と王都へいらっしゃらない方がよろしくてよ」
「失礼なのは貴女じゃない。私は伯爵家の娘なのよ!」
侍女を見ると、青い顔をして震えている。使用人には、常識があるようだ。
「私はイアンとデートするんだから、じゃましないで」
「まず、イアン、ではなく、キャフリー様と家名で呼びなさい」
「私とイアンの仲だからいいのよ」
自信満々に、言い切る。いっそ清々しくて、アレクシアは思わずイアンに視線を流した。
「……そうなの?」
「まさか、ありえない。名前で呼ぶことを許してはいない」
力強い否定だ。
本当に迷惑しているのが伝わってきた。
若干アレクシアの黒歴史を刺激して、胸の中がむずむずしてくる。ここまで酷くはなかったと思いたい。最低限の礼儀は守っていたはずだ。
「こう言っておりますが? 礼儀、マナーを学び直すことをおすすめします」
「ほんとなんなんですか! そっくり同じ言葉をお返しします! 挨拶くらいしなさいよ」
わあ、と、アレクシアはドン引きする。ここまで話が通じない令嬢と対峙するのは、初めてだ。よくもこんなのを押しつけたなと、恨み言をイアンにぶつけたくなるが、プリンにつられたのはアレクシアだ。
(プリンのため、プリンのため)
「貴女、家を潰したいの? その無知さで、公爵家令息のキャフリー様に近づこうなど、身の程をわきまえていないとしか言いようがありませんわよ」
「あんたこそ、ティアム伯爵家の息女である私にケンカ売っているの?」
ふふ、とアレクシアは笑う。
無礼すぎて、笑うしかない。さすがに話の通じなさに限界で、イラッとさせられた。
「家名、しかと聞きました。ケンカを売るなら、相手を確かめることですね」
「ロシェット公爵令嬢、そろそろ行こう」
絶妙なタイミングで、イアンが間に入る。ティアム伯爵令嬢がすぐに引けば見逃そうと、アレクシアはあえて家名を告げていなかった。
「こうしゃく、れいじょう……」
さすがに、爵位の序列は知っているようだ。けれどもう遅い。
「キャフリー様と約束があるのは私なので、もうお帰りください」
「うそよ!」
「本当だ。だから付いてくるなと言ったんだ」
この状況で引かないのならば、これはもう本人では埒があかない。何を言っても無駄だと、アレクシアは判断した。
「貴女、この子の侍女?」
「はい!」
「侍女なら、仕える者が間違いを犯したなら窘めなさい。苦言を呈しなさい。こんなのを野放しにしていたら、仕える家がなくなるわよ」
「何よ! 偉そうに」
「私が公爵家の者と知っても、礼儀を尽くさないのね。正式に、家の方に抗議させていただきます」
「なによ! 身分を振りかざすの」
「ええ、ティアム嬢が先ほどそうされたので、私も遠慮なくできるので嬉しいですわ。さあ、侍女と護衛の方、会話にならないのでもう連れて行ってください。多少手荒にしても、咎められないわよ。ロシェット家の名を出せば、むしろ感謝されるわ」
「はい!」
「お嬢様が申し訳ありませんでした!」
二人がさっと、両脇からティアム伯爵令嬢の腕を掴む。
放しなさいと声を荒げ、抗う姿をアレクシアは冷たく見つめた。
「最後の助言です。決して社交界になど出ずに、領地にこもり父親の選んだ人と結婚しなさい。それが貴女のためよ。家を潰すか、修道院に入るしかなくなるわ」
侍女と護衛が頭を下げ、強引に連れて行く。
遠ざかる姿に、アレクシアは深々と息を吐いた。
「悪い、助かった」
バツが悪い顔だ。色々酷すぎると、文句が言いたい。
けれどとんでもなく疲れた気分で、それすらも面倒くさかった。
「プリン、しっかりといただきますからね」
じとり、と睨み付けるだけに留めておく。
ずっとアレにつきまとわれていた、イアンに対する同情もある。これでおとなしく引き下がってくれることを、アレクシアは切に願った。
「いくらでも。ロシェット嬢の望むだけ。ああ、そうだ。今日は試作品もあると言っていた」
(試作品! えーい、いっぱい食べてやる!)
そうでなければ、やっていられない。
自分の男でもないのだから、苦労の対価はしっかりといただきますと、アレクシアはプリンに思いを馳せた。