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25 憧れのひと


 抱きしめてくれた力強い腕に、ジェイニーは止めどなく涙があふれ出る。侯爵令嬢として、いつでも凛とした姿を、行動を心がけ、弱みなど決して見せてはいけないと厳しく自身を律していた。


 それなのにアレクシアに優しく声をかけられ、いたわられ、涙はどうしようもなくはらはらと流れ落ちていく。安堵から、震えも止まらなかった。


(わたくしよりも、アレクシア様の方が怖かったはずなのに)


 破落戸の標的にされ、恐怖を感じないはずがない。目的は見えないし、何より年頃の令嬢だ。攫われでもしたら、事実など関係なく広がる噂でこの先の人生ががらりと変わる。それなのにアレクシアは怯えを見せることなく、終始気丈に振る舞っていた。


 護るつもりでいたのに、結局ジェイニーの方が護られている。逃げるように促され、アレクシアは逃げ切れないと言ったが、間違いなく皆のことを思い、逃げずに立ち向かうことを選んだ。


(本当に優しくて、格好いい方)


 あれだけの剣の実力があれば、逃げる途中に追いつかれても対処できる。けれどアレクシアとジェイニーが逃げれば、誰かが男たちの足止めに動き、犠牲になる可能性があった。


 本来身分のある者としては、割り切らなければいけない。それが、最善でもある。将来騎士を目指している者が、自身の安全の方を優先させれば、無事であったとしても待っているのは侮蔑と嘲笑だ。未来はない。


 だからこそアレクシアは、今まで隠し続けてきた剣の腕前を晒してまで、自ら破落戸と対峙することを選んだ。誰も傷つかない未来を選ぶには、他に方法がないからだ。


「アレクシア様が、無事でよかった」

「ありがとう、ジェイニー様。私が原因で、怖い思いをさせてしまったのに」

「いいえ! 悪巧みをする方が悪いのです。決して、アレクシア様のせいではありませんわ」


 ぱたん、と瞬きしたアレクシアが、嬉しそうに微笑む。

 つられて、ジェイニーにも笑みが浮かぶ。涙も震えも、止まっていた。


 ハンカチで涙の痕を拭き、軽く深呼吸する。よし、とジェイニーは気持ちを立て直した。


「取り乱し、泣いてしまって恥ずかしいですわ」

「怖い目にあったのですもの、当然です」


 凛とした姿、その気高さに、感嘆を覚える。レイモンドの姿を見つけた時は、アレクシアも一瞬泣きそうな表情を見せたが、涙を流すことなく気持ちを立て直していた。


「アレクシア様だって、怖かったはずなのに」


 思わず拗ねたような口調になれば、吐息で笑われる。眼差しはやわらかい。以前より、アレクシアは表情が豊かになった。


「素直に泣けない私は、きっとかわいげがないのよ」

「そんなことありません!」

「そう? ありがとう」


 気遣いは、細やかだ。

 少しも追いつけていないことを、ジェイニーは実感させられた。


 アレクシアとジェイニーは同じ歳、爵位は違うが同じ高位貴族だ。幼い頃から、何かと顔を合わせることも多い。ただ会話と言える会話をしたのは、王家が同年代の子どもたちを集めて開催した茶会の席だ。


 そのときからアレクシアはジェイニーの憧れであり、こうなりたいという目標でもあった。


 幼い頃、ジェイニーは強い癖を持つ髪がコンプレックスだった。

 侍女がどんなにがんばってもうねりが消えることはなく、さらさらなストレートにはならない。それを茶会の席で男の子にからかわれ、庭園の隅で小さくなり落ち込んでいたときに声をかけてくれたのがアレクシアだ。


 ――巻いた髪もかわいいと思わない?


 くるりと巻かれた髪が華やかで、とても魅力的に目に映ったのを覚えている。茶会より前に父親について訪れた王宮で、アレクシアを見かけたこともあったが、そのときはさらさらな美しいストレートヘアだった。


 説得力のある台詞に頷くと、連れていた侍女を呼び、手早くジェイニーの髪を巻いてくれる。その腕は確かで、あっという間にくるりと巻かれた髪は、中途半端なストレートヘアよりも似合っているように見えた。


 ――似合っているわ。

 ――私と、おそろいね。

 ――ありがとう。この髪型すごくかわいい。


 それ以来、ジェイニーは髪を無理に真っ直ぐにするのを止めている。きっとアレクシアにとっては些細なことで、覚えていない。けれどそんなことは、関係なかった。


 そのことをきっかけにして、ジェイニーは前を向くことが出来たのだから、一方的に恩を感じている状況でもかまわない。大勢いる取り巻きの一人として傍にいて、いずれどこかで役に立てることがあればいい。そう思っていたのに、思いがけず親しくなれた。


 そしてまた、どうしようもなく心が震える姿を目にしてしまったのだから、憧れの気持ちは更に強くなる。さすがに、真似て剣を握ることはできないが。


 けれど何事も最後まであきらめず、誰をも率先して助けようとする、その美しい心を真似ることはできる。アレクシアのような芯の強い、素敵な女性になりたいとジェイニーは強く思った。


「ジェイニー様、学園の方へ戻りましょう」

「ええ」


 倒れている破落戸は駆けつけた者たちに任せ、リサは、トリスタンとワードが引き受ける。木に身体を打ち付けたデイブは、二人に無理をするなと言われていた。


「誰が、何を目的として、こんなことを仕組んだのでしょうね。多くの人を巻き込んで」


 一瞬、アレクシアが痛みに触れられたような表情を見せる。これからリサが待つ、処罰を憂いているのがわかった。


(王家に嫁ぐのに、相応しい人だ)


 けれどアレクシアがそれを望まないのならば、ジェイニーは希望に添うように手助けしたい。聞いたときは驚いたけれど、本当にジェフリーへ想いを残していないように見える。今は、よかったとさえ思っていた。


 あれほどまでに努力を重ねるアレクシアに、ジェフリーは少しも歩み寄ろうとはしない。本当のアレクシアを、知る努力もしなかった。


 高位貴族になればなるほど、婚姻に政治的な思惑が絡んでくる。仕方がないと、割り切ってもいる。けれど愛で結ばれた関係でなくても、相手を尊重し、歩み寄ることはできるはずだ。


 まだ婚約者候補の一人ではあるが、相手を知ろうともしないジェフリーにはひそかに失望さえも覚えている。間違いなく、幸せな夫婦生活は望めない。今まではアレクシアが望むからと、不本意ながらジェイニーは応援していた。


 その必要がなくなり、正直なところかなり嬉しい。

 ロシェット家は中立の立場を表明していて、地位も盤石だ。本来、政略結婚など必要ない。


 ――愛を乞うよりも乞われる方が、私には合っていると思いません?


 その台詞通りに、アレクシアだけを望む相手の手を取り幸せになってほしい。


 友人、と呼んでもらえるようになり、全力でアレクシアを支えて行くつもりではあるけれど、本当に支えられるのは自分ではないともジェイニーは知っている。無償の愛を与えてくれる家族も支えになるだろうが、レイモンドはいずれ伴侶を迎えるはずだ。


 だからこそ、どうかアレクシアだけを見て、アレクシアだけを護ってくれる人が現れることを、ジェイニーはひそかに、けれど心から願っていた。


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