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まずい、とアレクシアは思考を巡らせる。騎士として、デイブの行動はとても正しい。アレクシアを思ってのことなので、感謝しかない。けれど相手は正々堂々戦う気などまったくない、破落戸たちだ。
誰が見てもわかるほどの、実力差もある。背を打ち付けた衝撃と痛みでデイブは動けないでいるが、不幸中の幸いかもしれない。すぐさま男たちへと再度剣を向けていれば、怪我ではすまない結末さえも待っていた。
ぐ、とアレクシアは喉の奥が苦しくなる。実習のはずが唐突に、実戦へと挑むことになり、色々気持ちが追いつかない。けれどこれは、紛れもない現実だ。
実習とは違い、判断を間違えることは決して許されない。
「さて、と」
男はあっさりデイブに興味を失うと、アレクシアへと視線を移す。
そのことに、ほっとする。状況が好転したわけではいないが、容赦なく他の者は皆殺し、という線は消えた。
「アレクシア様、お逃げください!」
「そうです、お逃げください!」
「早く、俺らが食い止めますので!」
ジェイニーが上げた声に、ワードとトリスタンが同調する。逃げてもいいのなら、とっくに逃げている。けれど誰もが必死に恐怖と戦いながら、アレクシアを護ることを優先しているのに、置き去りになどできなかった。
「ありがとう。でも逃げ切れないわ」
「へぇ、よく状況を見ているな。なら、おとなしく俺たちとこい」
学生など難なくあしらえると、優位を確信している態度だ。
誰一人として、殺気立っていない。アレクシアは軽く深呼吸すると、口を開いた。
「私に何の用でしょうか」
今すぐに、助けは見込めない。
逃げる間際、教師たちはあの魔獣に苦戦していた。倒せたのかどうかも、わからない。それに加え、王太子が襲撃されたのだから、すぐには散り散りになった生徒にまで気を配れないはずだ。
「ロシェット家の者と知ってのことです?」
「俺らは家なんて知らねぇよ。縦ロールの派手な女を連れてこいって、指示されただけ」
(だから縦ロールで判断するな! おまけに派手とかひどいな!)
先ほどどっちだと言われたジェイニーにも流れ弾で、非常に申し訳ない気持ちになる。けれどアレクシアを攫うのが目当てとみて、間違いなかった。
よくできた計画だ。
学園の授業時に、エリックを従えていることはない。最強の護衛さえいなければ、本人は大して魔力量も多くない、端から見れば自衛もうまくできないか弱い令嬢だ。
「おら、おとなしく付いてこい! それなら他の者は見逃してやる」
「いけませんアレクシア様!」
悲痛な声を、ジェイニーが上げる。男が面倒くさそうに、リサにアレクシアを連れてくるよう指示を出した。
操られているとほのめかされたこともあり、男性陣は乱暴な手を使うのを躊躇している。誰もが行動に迷っているうちに、リサがアレクシアの腕を掴んだ。
「きゃあ!」
少し乱暴に引かれたのをいいことにアレクシアはよろけ、肘をリサのみぞおちに入れる。きれいに入ったせいで、うめき声を上げてその場にくずおれた。
これくらいは許してほしい。
本当に操られていたとしても、危険な目に遭った元凶だ。
「役に立たねぇな。おら、自分でこっちにこい」
「お断りしますわ」
実戦など初めてで、アレクシアも内心ではかなりびびっている。けれど抗わずにいた後のことを考えると、ぞっとした。何が目的かはわからないが、碌でもないことなのは確かだ。
「私もロシェット家の人間ですもの、破落戸にただ従うなどありえませんわ」
学園に渡された剣を、アレクシアは抜く。
構えは、不格好だ。
「アレクシア様!」
悲鳴に近い声で、ジェイニーが名を呼ぶ。
軽く視線を流すと、愕然とした顔をしている。アレクシアとしても、まさか剣を抜くことになるとは思わなかった。
「ロシェット様おやめください!」
「そうです! 俺たちにまかせてください!」
「スコット様とお逃げください!」
必死に言い募る三人に、アレクシアは視線を流す。
「私はロシェット公爵家の者だと申しましたでしょう。余計な手出しはおやめくださいね」
目を見張る姿に、軽く頷く。
「そんな刃が潰れた剣でどうしようっていうんだ」
「あら、刃があったら危ないじゃないですか」
わはは、と男たちが愉快そうに笑う。
失礼だな、とアレクシアはむっとする。本当のことを言っただけだ。
「そうだな、危ないよな。なら剣を下ろしてこっちへきな」
「いやです。抵抗くらいしますわ」
先ほどから話している、この男がリーダーだ。
下の者に任せるよりも、自らが前に出て事に当たる。それが早く、確実だと思っている自信家だ。
「怪我させんなって、言われてんだよ」
「では、させないようにお願いしますわ」
軽く息を吐いて、アレクシアはふるりと剣を持つ手を震わせる。それを見た男が、笑った。
それが合図のように勢いよく足を踏み出し、間合いに入った瞬間、アレクシアは剣を正しく持ち直す。素早く脇腹にたたき込み、くずおれそうになったところを蹴り上げた。
倒れた男の腹を、足にぐっと体重をかけて踏みしめ、後ろに居た男のみぞおちを剣先で突く。うめき、頭を落としたところへ剣を振り下ろした。
鈍い音がして、男はそのまま地へ伏す。
見くびってくれたおかげで、隙だらけだった。
ふう、とアレクシアは軽く息を吐く。
「おまえ! 剣が扱えるのかっ」
軽く、首を傾げる。口角を上げると、アレクシアは上品な笑みを浮かべた。
「私、剣が扱えないと言った覚えはありませんが? でも油断してくださったおかげで、とても簡単でしたわ」
「ア、レクシア様……」
手を胸の前で組み、ジェイニーがアレクシアを見つめる。引かれたかと思えば、目がきらきらと輝いていた。
ふふ、とアレクシアは吐息で笑う。
「だから、言いましたでしょう? ロシェット家の者だと」
(まあ、最強の護衛を連れている令嬢が、自らも戦えるなんて想像もしないよね)
あと一人だ、と剣を構え、アレクシアは一気に間合いを詰めて、攻撃を仕掛ける。ガキン、と剣が音を立ててぶつかり、火花が散った。
予想はしていても、舌打ちしたくなる。警戒されていれば、さすがに一撃で仕留めることはできない。押し合いになれば負けるのは明白なので、アレクシアはすぐに後ろに引いた。
「くそっ! か弱い令嬢じゃなかったのかよ」
「か弱い令嬢です。ただ、一時期戦える王妃を目指しておりましたの」
自身の身は自身で守れる、王妃になろうと思っていた。過去形がポイントね、とアレクシアは自分で補足を入れてみる。
けれど好きな人に護ってもらいたい乙女心もあり、剣が使えることは公言せずにいたので、家の者しか知らない。隠していたわけではなく、あくまでもわざわざ言わないだけだ。
レイモンドと共に、サヴェリオの指導を幼い頃から受けている。舞うように美しい剣技だと二人には褒められていたが、アレクシアのことはなんでも褒めるので聞き流していた。
実際、二人の足下にも及ばない。他の者と手合わせをする機会はなく、常に護衛がいるので実戦を経験することもない。剣の腕前を確かめることはなかったが、想像以上だ。
腕に覚えがあるだろう破落戸に、打ち合いで優位に立っている。力負けするだろうから、そこは魔法を少々使用してはいるが。
更に何度か打ち合った後、男から斬りかかってくるのをアレクシアは防ぎ、その刃を滑らせ力を流す。体勢を崩した一瞬を見逃さず、男の首筋に振り上げた剣を打ち込む。うめき、膝を突いたところで、顔に剣を突きつけた。
「だから言ったでしょう? 刃があると危ないって」
顔を上げた男と、目が合う。
アレクシアはにこりと笑うと、容赦なく剣を振った。
鈍い音がして、男が倒れる。乱れた呼吸を整えながら、何とかなってよかったと心底安堵した。
「つえぇ」
思わず、というように、トリスタンが洩らす。
はっと、口を押さえるのに、アレクシアは自然と笑みが浮かんだ。
「さて、みなさま。私からお願いがあります」
都合のいいことに、剣を振るったのを目撃したのは当事者のみだ。
「今、目にしたことは他言無用でお願いします。もし、もしも仮にですよ。誰かに洩らしたら」
含みを持たせるように、アレクシアは言葉を切る。
「このアレクシア・ロシェットが、全力で報復致しますわ」
家名を強調して告げれば、全員が即座に勢いよく頷く。
公爵家に睨まれては、貴族社会では生きて行けなかった。
「まあ! わかっていただけて、アレクシア嬉しいですわ」
せめて正式に婚約者候補から外れるまでは、無能な令嬢でいたい。
肩の力を抜いて剣をしまうと、駆ける足音が聞こえた。
「シア! 大丈夫か!」
警戒する間もなく、レイモンドの声が響く。
張り詰めていたものが、ぷつりと切れるのを感じる。涙がこぼれそうになるのをぐっと堪えて、姿が見えた途端、アレクシアはぎゅっとレイモンドに抱きついた。
「お兄様! こわかったですわっ」
今更、震えがくる。相手を倒せるほどの実力があろうとも、実戦経験などないのだから恐怖を感じないわけではない。レイモンドの腕の中で、もう大丈夫だとアレクシアはやっと心から安堵できた。
「遅くなってごめん」
すぐには声がでなくて、アレクシアはふるりと頭を振る。来てくれると、わかっていた。
幼い頃に誘拐されかけてから、アレクシアはアクセサリー型の魔道具を身に着けている。危機を感じ魔力を流すと、共鳴する魔道具を持つ者に現在地を含め知らせることができた。
魔獣の姿を見た時点で、知らせている。
「あ、魔獣は?」
「エリックが対処しているから、大丈夫だ」
それならば、今頃はもう、討伐し終えただろう。
「こいつらは、シアが?」
「はい。私が目当てだったようで、連れ去られそうになったので」
「へぇ、シアを」
レイモンドの形のいい眉が、跳ね上がる。声のトーンから、静かな怒りが伝わってきた。
「対外的には、俺が倒したことにしよう。一人は我が家でもらおうかな」
「お兄様、あの人がたぶんリーダーです」
「ルイ」
「はい」
レイモンドは自分の護衛に、連れて行くように指示を出す。
担ぎ上げて行くのかと思えば、容赦なく足を掴み引きずっていく。地面をざりざりと擦っているが、アレクシアは見なかったことにした。
「ああ、君たち」
レイモンドが視線を流した途端、男性陣が背筋をピンと伸ばす。
「誰にも言いません!」
「何も見ておりません!」
「さっきまで気絶しておりました!」
まだ何も言っていないのに、皆が皆、同じようなことを口にする。先ほどアレクシアが脅したのに、追い打ちをかけるようになってしまい、少し申し訳なくなった。
たぶん、次期公爵の方が怖い。
「もちろん、わたくしもここでのことは一切口に致しませんわ」
「ジェイニー様、ありがとう」
「お礼を言わなければいけないのは、わたくしの方ですわ。アレクシア様、ありがとうございました。こうして、いつもどおりにお話ができて、わたくし」
徐々に声が震えていき、ほろり、とジェイニーの瞳から涙がこぼれる。今も気丈に振る舞っているが、怖かったのだろう。貴族の令嬢なのだから、当然だ。
もう大丈夫、と安心させるように、アレクシアは震えるジェイニーの身体を抱きしめた。




