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例年の実習では演習場に、魔法と魔道具を使いそれらしき環境――幻影も含め、自然豊かなアスレチックに似たものを造る。班での実習なので、連携などは教師による採点方式だが、魔道具や魔法で造り出された仮想敵には剣や魔法を当てると、その正確さや攻撃力が自動的に採点された。
ふわふわと飛び回る魔道具の記録玉が班にいくつか付いて回り、途中それを通して、教師からのアドバイスや指示も飛ぶ。危ないと判断されれば、すぐに敵として設置された魔道具は停止されて、教師の助けが入った。
今回は難易度が上がると予想され、教師もそれに言及している。ただそれは、魔道具による仮想敵の強さが引き上げられ、班での連携がより重要になり、全員で協力して倒すような設定になると予想されていたのだが、学園は見事にその斜め上を行った。
まず場所が、演習場ではない。
学園の裏手に、校舎を取り囲むように広がっている森に変更されるなど、生徒の誰一人として予想していなかったはずだ。
通常、生徒の立ち入りが禁じられている場所でもある。学園に張られた結界で、行き来を遮られてもいた。
無許可では通り抜けられない。無理に通り抜けようとすれば、防犯を管理している者へ通知された。
王侯貴族の子息令嬢が通う学園なので、防犯面は厳しく管理されている。立ち入り禁止の例外は騎士科で、貴族が持つ甘い考えを捨てさせ、騎士は危険が伴う職だと自覚させるために、実技演習で使用していた。
学園が使用許可を出すのだから、森の中に魔獣の生息は確認されていない。せいぜい、野生動物がいる程度だ。
とはいえ、木々が伸ばした枝葉で昼間でも薄暗く、自由気ままに立ち並ぶ木々が方向感覚を狂わせることもある。進路を示す目印を見逃すことがないとも言えず、居場所さえも見失いそうな場所での演習が、何事もなく終わると思っているのなら、教師陣は楽観視しすぎだ。
「ええと、森に配置された敵に関しては、強さは例年とそう変わらない設定になっており……」
そんな教師の説明を聞きながら、アレクシアはふと不安に駆られ、森の方を睨み付ける。今のところ、草木が生い茂っているだけだ。
(虫とかいそうで嫌なんだけど!)
うっかり想像して、アレクシアはぞわりと肌が粟立つ。
虫除けスプレーなど、この世界にはない。あったとしても、今は手元にはない。誰かがうっかり炎の魔法を放ち、うっかり森のすべてを焼き払ってくれないかなと、アレクシアはつい物騒なことを考えてしまった。
けれどそれがこの演習からさらりと逃れられる、唯一の方法だ。
演習が嫌なのではない。この見るからに鬱蒼とした森に、アレクシアは入りたくなかった。
(箱入りのお嬢様なんだからやめてよねぇ!)
優花でも嫌だ。
魔の力が強くなっているとはいえ、貴族が通う学園での実習が、なぜ突如としてぐんと難易度が上がる、野外演習になるんだと言いたい。それも詳細が当日発表だ。普通にありえない。
生徒の家から抗議がでないようにと考えてのことかもしれないが――サヴェリオなら間違いなく、レイモンドと共に学園に抗議している。保護者からの抗議を恐れるのなら、詰められるようなことをしなければいいだけだ。
説明する教師も、ええと、ええと、を繰り返し、どこか挙動が不審に見える。目はちらちらと、誰かを探していた。
指示を出した、演習の責任者に確認を入れたいのだろう。矢面に立たされている教師は、生徒と同様、知ったばかりだという態だった。
班編成が発表されたときから、どことなく違和感を覚えていたが、この演習は本当に学園のカリキュラムによるものだろうかと疑いたくなる。生徒のほとんどが、箱入りの令嬢、令息ばかりだ。
貴い身分の、王太子もいる。何かあったら学園は責任を取れるのだろうかと、余計な心配をしてしまうくらいには無謀に感じた。
不安を覚えているのは誰もが同じようで、周囲はずっとざわついている。説明をする教師の顔色も、どんどん悪くなっているように見えた。
ちらりと視線を流しジェフリーを確認してみたが、何も知らなかったようだ。周囲と話し、難しい顔をしている。ひそかにつけられている護衛に、何事かを指示したのがわかった。
こうなると、この演習は誰かの独断である可能性が浮かぶ。
けれど誰の? と、更に疑問が深まる。こんな演習を強行するメリットが、アレクシアには想像できなかった。
むしろ王家からも抗議が入り、演習を主導した者がそのまま学園にいられるはずがない。重い処罰さえ、科せられる可能性が高かった。
「アレクシア様、この演習大丈夫なのでしょうか」
いつも毅然としているジェイニーも、不安を隠せていない。
アレクシアの班のメンバーに至っては、表情が死んでいた。
「……わからないわ」
今回は危険度が高くなるので、念のために女生徒にも剣が渡されている。それ意味あるの? と、アレクシアは突っ込みが追いつかない。貴族の令嬢のほとんどは剣を握る機会などないので、扱い慣れていなかった。
安全を考慮し、演習で使用されるのは刃が潰してある訓練用の剣だ。確かにただの棒よりは、何かしらを殴るのに剣は丈夫ではある。使い方としては、非常に間違っているが。
「ある程度時間を置いて、順に入ってもらいます」
このまま、続行のようだ。
つきかけたため息を、突如響いた悲鳴が遮る。急ぎ辺りを見回し、アレクシアはぎょっとした。
視界に飛び込んできたのは、全身が真っ黒な毛で覆われた魔獣だ。
ぐるる、と低いうなり声が響く。ざわりと、アレクシアは肌が粟立った。
足が、震える。牙があり、猪のような顔なのに、熊よりも遙かに大きな巨体が、のそり、のそりと動き、木々をなぎ倒しながら生徒のいる方へ近づいて来た。
「逃げろ!」
先ほど説明していた教師が、声を張る。ぴん、と空気が張り詰め、悲鳴とざわめきが広がっていった。
他の教師も、一斉に対処に動く。茫然と現実感のないその光景をアレクシアが眺めていると、不意に腕を引かれた。
「ロシェット様! 危ないのでこちらへ」
ぐいぐいと、リサに腕を引かれる。それで同じ班の他のメンバーも我に返り、アレクシアを護るような位置取りをした。
「とりあえず、魔獣から離れましょう」
「そ、そうですわね」
「わたくしも、アレクシア様をお護りしますわ」
すでに班など関係なく逃げ惑っている中で、ジェイニー含め、皆がアレクシアを気遣ってくれることに感謝する。冷静に、と言い聞かせ、どう逃げるべきかと周囲を見回したところで、剣同士がぶつかる金属音が響いた。
「襲撃だ! 殿下を護れ!」
「え」
魔獣とは違う、襲撃者がジェフリーを襲っているのが見える。王家の影と、ステファノがそれに対峙していた。
「早く逃げましょう!」
「ええ」
迂闊に近づいて、じゃまになってはいけない。
うっかり人質になるようなことも、避けなくてはいけなかった。
リサに促されるまま急ぎ、その場から離れる。学園が張る結界内に逃げ込むのが理想だったが、居た場所が悪かった。
まずは魔獣から距離を取ることを、第一に考えるしかない。他にも森の中へ逃げ込む生徒は、多くいた。
ある程度まで遠ざかると、アレクシアは足を緩める。現在地がよくわからなくなったけれど、なんとかなるはずだ。
(怪我人が、出ていなければいいけど……)
ふう、と深くアレクシアは息を吐く。
やはり、何かしら仕組まれたことだった。
「ロシェット様、もう少しあちらに」
「ここでいいわ。これ以上奥に行くのはよくないもの」
「ですが」
「いい、俺らが連れて行く」
不意に、聞き覚えのない声が割って入る。少し遠くにある木の陰から、強面の男が三人現れた。
デイブとトリスタンが、警戒するように一歩前に出る。同時に、アレクシアとリサの間にジェイニーが入り、ワードはどちらにも加勢できる位置取りをしていた。
「あなた、あの男たちの仲間なのね」
「ロシェット様を、あの男たちに渡すのが私の役目」
淡々と答えるリサの姿に、アレクシアは失望を覚える。裏切りは、案外身近だ。
「おいどっちだ! 縦ロールが二人いるぞ」
(判断基準が縦ロールかよ!)
緊迫した場面なのに、アレクシアは思わず心の中で突っ込んでしまう。この状況をどう切り抜けるべきか考えていたのに、脱力感を覚えた。
「こっちよ」
リサが、アレクシアを指さす。それに対して、ジェイニーが憤りを見せた。
「貴女、級友を裏切るなど何を考えていらっしゃるの!」
はは、と男たちが笑う。
獲物へと向けるような目をアレクシアへと向け、剣を抜いた。
「その女は操り人形だ」
「なんてことを!」
憤るジェイニーの声を聞きながら、アレクシアも胸の中に怒りが広がっていく。平民を利用するなんて、本当にただの使い捨ての駒だ。
同じ貴族を利用しろと言うわけではないが、立場が違いすぎる。それも公爵令嬢を陥れようとしたなど、もう家族共々無事ではいられない。
同じ貴族であっても重い処罰が与えられるのに、それが平民ともなれば命がないのは確実だ。操られていたなど、情状酌量にもならない。
「おら、どけ! ガキども」
適当に振ったように見えて、確かな剣筋のそれをデイブが受け止める。キィン、と高い音が響き、微かに詰めた声も聞こえた。
「ほう、よく逃げずに受け止めたな」
「騎士を志望していて、護るべき相手を護らず逃げるなどありえない!」
「殊勝な心がけだな」
少しも心がこもっていない感想を洩らし、男が合わせた剣を滑らせる。デイブがわずかにバランスを崩したところで、その腹に蹴りを入れた。
「残念ながら、俺らは騎士じゃねぇんだな」
にやり、と笑う。
吹っ飛ばされたデイブが木に勢いよくぶつかり、うめき声を上げた。
のんびり更新していくつもりだったのですが、思いがけず読んでくださる方、評価等してくださるが多いのでありがたく、第一章終わりくらいまではこのペースでがんばりたい……そんな希望。