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 体調を崩し、熱に浮かされる中でアレクシアは不思議な夢を見た。


 木々の代わりに立ち並ぶ天高くそびえる建物、大勢の人がぎゅうぎゅうとひしめき合う馬車ではない乗り物。机が並ぶ大きな部屋で指示を出していたと思えば、打って変わって静かな部屋で一人くつろぎ、指先で小さな画面を操作する。


 他にもたくさん。

 それはもう、色々と。

 まるで人一人の人生を、早送りで見ているようでもあった。


 やがて熱が下がり、身体も、頭の中もすっきりした途端、アレクシアは理解する。夢だと思っていたのは前世の出来事で、記憶だった。


 気付いた瞬間、愕然とする。まさかの異世界転生だ。


 幸いにも、この世界での記憶も欠けることなくある。ロシェット公爵家の長女、アレクシアとして生きてきた十六年間、学んだ知識もすべて。


 そこに、有森優花としての記憶が追加されている。違和感も、混乱もない。例えるならば、ふとした時に忘れていた昔のことを思い出す、そんな感覚だった。

 きっと今までも気付いていないだけで、アレクシアの中にあった記憶だ。


 理解できたからといって、納得できるかは別だ。

 特に、乙女ゲームの世界なのは面白くない。駒にされた気分だ。


 だいたい、きらきらしたイケメンに目が行き、気になると呟いたSNSで布教され、それならやってみようか、でやっただけのゲームだ。


 それもさらりと適当に。

 ヒロインの名前もデフォルトのままで、フルボイスだったのをいいことに、他のことをしながらオートにして流していた。


 聞こえてくる声は、非常に耳に心地が好い。けれどヒロインに向けられた台詞が、聞いていて恥ずかしいものが多く、背筋がぞわぞわした。


 そのせいか内容はうろ覚え、ミリしらよりはマシな程度のゲーム知識しかない。

 その他大勢のモブならばそれでもいいが、アレクシアはがっつりとシナリオに絡む。この国の王太子に恋い焦がれ、妃の座を手に入れようとしているので、王太子ルートではヒロインを虐げる悪役令嬢だ。


 面倒くさいこと、この上ない。

 どうせならそこそこ裕福な伯爵家あたりの、争い事に巻き込まれないモブ令嬢がよかった。


 こぼれるため息を呑み込めないが、詮ないことを考えるだけ無駄なのはわかる。神様に会うことなくアレクシアになっているのだから、やり直しを要求することなどできない。


「ため息などついて、どうかされましたか?」


 専属侍女のマリッサが、気遣いを見せる。二十歳を越えているマリッサは、若干幼く見えるけれど姉のような存在でもあり、絶対的なアレクシアの味方だ。そうでなければ、父と兄が専属侍女として傍に置いておかない。


「なんでもないわ」


 前世の記憶のことは、言わなくてもいいことだ。

 うまくアレクシアが立ち回れば、今と変わらない生活が続いていく。


 そう考えると、ヒロインではなかったことを喜ぶべきだ。

 できることなら苦労はしたくない。ヒロインはとある男爵家の庶子で、生まれてからずっと平民として生きてきて――とよくあるテンプレ成り上がりだけど、アレクシアは生粋の貴族令嬢でお嬢様だ。


 環境は、かなり恵まれている。生家のロシェット家はガーバリス王国内に三家ある公爵家の一つで、どこの家よりも潤沢な資産を持っていた。


 王家より、財力は上かもしれない。母は幼い頃に儚くなったが、父と兄に過分とも言える愛情を与えられ、溺愛されて育った。


 物心ついてから渡されるお小遣いは使い切れず貯まる一方で、他にも色々、誕生日プレゼントとしてもらっている。十六の誕生日には、アレクシア名義の鉱山だ。


 ヒロインに立ち塞がる壁なので、スペックも高い。王太子妃の座を望んでいたので、それ相応の努力もしている。前世の記憶が甦った今、できることは更に増えていた。


(あれ? これ全然いいんじゃない?)


 悪役なのは、まったく気にしない。むしろ、信念を持った清々しいほどの悪役は、好ましく思う性質だ。物語の中では、と注釈がつくけれど。

 現実世界で罪のない人に害が及ぶ悪は、滅びの呪文を唱えたい。


 結局のところ、娯楽の少なさに目をつむれば、前世よりも優雅に暮らせる。生きて行くのに不自由がないどころか過分な財産があり、家族仲もいい。容姿も超がつくほど整っていて、スタイルもいいのだから完全に勝ち組だ。


 前世の自由気ままなお一人様生活に未練はあるけれど、失った生に未練があるのは誰でも同じだ。だったら、今の優雅な令嬢生活を楽しんで、未練など吹き飛ばせばいい。今世の父も兄も、アレクシアは大好きだ。


(悪役令嬢にされたところで、死ぬことはないしね)


 辺境にある、修道院に放り込まれるだけだ。ただその結末は、アレクシアにとっては耐え難い。


(娯楽が! ないから!)


 生涯神に仕え、お一人様なのは受け入れられる。恋愛に興味がないし、修道院に行かずとも今世も恋をする気はない。むしろ貴族令嬢の責務ともいえる、政略結婚から逃れられるのは万々歳だ。けれど美味しいご飯やスイーツが、食べられなくなるのは絶対に嫌だった。


 最悪アレクシアを溺愛する父と兄に泣きついて、断罪前に裏で手を回し、修道院を買収するという手もある。こっそりホテル並みに改装を済ませて、断罪時には少しだけしおらしくして見せ、アデュー! と王都から颯爽と消えればいい。


 ただ、それは最後の手段だ。

 王都に居られるのなら、王都に居たい。


 ヒロインが学園に入学前の今なら、まだ軌道修正できる。いやすると、アレクシアは決めた。


 まずは記憶が甦った今、最大の懸念事項でげんなりする、王太子ジェフリーの筆頭婚約者候補という立場を捨てることからだ。

 悪役令嬢にならないため、泣く泣く、なんて殊勝な気持ちは微塵もない。あれだけ恋い焦がれていたのに、今はもうまったく未練がないから不思議だ。


(なんか、ごめん)


 幼い頃から一途に、ジェフリーにだけ向けられていたアレクシアの恋心に謝る。申し訳なく思うが、それはそれ、これはこれだ。


 どうせ、相手にされていない。ならば今のうちに、戦略的撤退だ。

 筆頭がついてようと、婚約者候補でしかない。この国の制度に、アレクシアは心から感謝した。


 婚約者候補から辞退すれば、同じ候補と牽制し合わなくていいし、いずれ現れるだろうヒロインとジェフリーを争い、悪役令嬢の役割を担うこともないはずだ。

 後はヒロインを中心とした、恋愛脳な集団から距離を取ればアレクシアに被害はない。向こうから絡んでくるのなら、正々堂々と返り討ちにするまでだ。


 思わず、アレクシアは口角が上がる。それに気付いたマリッサが、鏡の中でかわいらしく笑んだ。


「機嫌は、良くなりましたか?」

「元々悪くないわよ」


 付き合いの長いマリッサに、取り繕うことはない。


「少し、悪巧みをしていたの」

「悪巧みですか」

「ええ、でもすぐに何かするわけではないの。相手が私に害をなすとわかったら、やられる前に対処しないとでしょう」

「当然ですよね。ロシェット家を敵に回すのと同じことですから」

「ね?」


 にっこりと鏡の中の美しい少女が笑い、エメラルドグリーンの瞳と目が合う。艶やかなプラチナブロンドが、日差しを受けて輝いて見えた。


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