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王宮パティシエのスイーツを堪能し、攻略対象者見学も済んだので、もう交流会には参加しないとアレクシアは決める。ただケーキを食べているだけなのに、訝しむような視線ばかりを向けられると、せっかくの美味しいスイーツを頬張る幸せな気分が台無しだ。
スイーツに未練はあるが、仕方がない。
そんな気持ちを込め、退室の際に美味しいスイーツの礼を伝えると、たまたま来ていたのがパティシエ本人で、かなり喜んでくれた。毎回ほとんどが手つかずで残ることを、憂いていたらしい。
――今まで、手をつけずにごめんなさい。後悔しているわ。
――どれもとても美味しくて、持ち帰りたいくらいです。
――これからも、芸術のように美しく、極上のスイーツをお作りくださいね。
手をつけられないまま残されたお菓子と別れるのが、本当に名残惜しい。
けれどこれ以上は食べられないので泣く泣くあきらめたのだが、そのアレクシアの強い思いが伝わったのか、余分に持ち込んでいた分があるからと、ジェフリーに確認し土産として持たせてくれた。
こんな幸せなことがあるかと、アレクシアは歓喜する。丁寧に礼を伝えて、誰に気兼ねすることなく食べられる自室で、マリッサとエリックと共に堪能した。
(まあ、ヒロインのカモさんたちには怪訝な目で見られたけど)
あの素晴らしいスイーツの前では、些末なことでしかない。
次回も気に入る物を、と言ってくれたパティシエに申し訳なく思い、食べられないことを残念に思った。アレクシアの代わりに誰かが、食べてくれることを願うばかりだ。
ジェフリーにばかり夢中で、お菓子になど手をつけていない二人も取って付けたように褒めていたので、次回からは大丈夫のような気もするが。
がんばってね、とアピールに余念のない二人をアレクシアはひそかに応援する。食べ過ぎるとドレスのサイズ変わるからね、といくら食べても太らない体質に生まれ変わったことを心底感謝した。
同時に、貴族の令嬢は体型を気にするのだと、今更なことに気付く。
ちらり、と傍らを歩くジェイニーとアリアーナをアレクシアは盗み見る。二人は大丈夫だろうかと、少し心配になった。
すっかり日課と化した授業後の自主学習のために、マリッサに指示を出し、サロンの方にお茶とお菓子を用意している。王宮所属のパティシエには及ばないが、ロシェット家専属のパティシエも腕が良い。
良かれと思って用意させているのだが、身分が上のアレクシアに勧められれば、断れない。無理に食べたせいで太りショックを受けるとなれば、申し訳なさすぎる。そのことに今頃気づき、友だちができたことに浮かれすぎたかと、アレクシアは反省した。
「アレクシア様、どうかされましたか?」
軽くしょげたことに気付いたジェイニーが、気遣うように尋ねる。わかりにくいアレクシアの感情の機微を、よく見極めているなと感心した。
「我が家のパティシエにケーキを用意させたのだけど、毎日甘い物をお二人に出して、食べることを無理強いしているのかもと、気になったの」
「まあ! そんなことありませんわ」
「そうですよ!」
二人ともが、すぐに否定する。
気を遣われていない? と、アレクシアは様子を窺った。
「いつも用意していただいていて、申し訳なく思うことはあっても迷惑だなんて思いませんわ」
「ジェイニー様の言うとおりです。我が家では口にできないような美味しい物をいただいて、毎日が夢のようです。それに勉強まで教えていただいて、何も返せないのにと心苦しくなるばかりで……」
「お二人とも、私に気を遣われていません?」
「はい! ぜんぜん」
「もちろんですわ」
「無理だ、と思ったら、遠慮なく断ってくださいね」
大丈夫そうで良かった、とアレクシアは胸をなで下ろす。
「ロシェット嬢」
不意に声をかけられ、アレクシアは足を止める。振り向くと、生徒会副会長のゲイリー・ストック子爵令息だった。
上級生で、学園の最高学年だ。学園生活ではあまり上級生と接点はないが、王族であるジェフリーは次期生徒会長にほぼ決定しており、交流会に参加しているメンバーは、次年度以降の生徒会役員候補でもあった。
慣例で前年度の生徒会役員が、次期役員を見極め任命している。けれど王族が在学していれば、暗黙の了解として二年次より生徒会長として立つのが既定路線だ。
何かと注目を浴びる王族は、そつのない対応を求められる。役割を学ぶため、ジェフリーはすでに現会長の補佐で生徒会室に出入りしており、それに追随する形でアレクシアも生徒会の仕事を率先して手伝っていた。
「最近、生徒会室に来ないのだな」
責めるような響きだ。
理由はわかっているが、謂われのないことだ。
「そうですわね」
だから何か? と、アレクシアが目で伝えると、ゲイリーが眉をひそめる。思った反応が返ってこないことに苛立ち、舌打ちでもしそうな空気を感じた。
「仕事がたまってきている。早々に、片付けてほしい」
「お断りしますわ」
即答に、ゲイリーが目を見開き驚くが知ったことではない。
日々の業務に対してわざと手を抜き、ゲイリーがアレクシアに仕事を押しつけていたと今ならわかる。以前は次期生徒会長であるジェフリーの隣に立ちたいという思いから、気にせずに手伝っていた。
その仕事のすべてがゲイリーの手柄になろうとも、アレクシアには些末のことでしかない。望んだのは賞賛ではなく、副会長という地位だったからだ。
けれど今のアレクシアは、そんな面倒なことやってられるか! なので、ゲイリーの仕事が山積みで困ろうとどうでもいい。自業自得でしかない。本来は、一人でする仕事だ。
「私は、友人のテスト勉強につき合っておりますので」
「そんなものより、生徒会の仕事の方が重要だろう?」
じろり、と不機嫌そうにアリアーナを睨む。
交流会のメンバーでもあるジェイニーは、アレクシアの望みを知っているので、ゲイリーに賛同すると高をくくっているようだった。
当然、そんな態度はアレクシアを苛つかせる。居心地の悪そうなアリアーナを、察したジェイニーが背に庇った。
「副会長にとっては、ですよね? 私は生徒会役員ではありませんので、お二人と過ごす時間の方が重要ですわ」
譲りに譲って、割り当てられた仕事すらできないのならば、部外者に頼らず、生徒会内部でなんとかすればいい。交流会に参加している者が生徒会役員候補だとしても、今年度はただの有志で、自発的にする手伝いでしかなかった。
「生徒会の仕事を軽視するようでは、来年度の推薦はできないな」
切り札を切ったとばかりに、ゲイリーがニヤリと笑う。
勝ちを確信している。くだらない、とアレクシアはため息をつきたくなった。
「ええ、どうぞ」
「そうだろう、それなら……は?」
「生徒会役員になるつもりはございませんので、むしろ、推薦などしないでください」
はっきりと、言っておくべきことだ。
うっかり推薦されて、逃げられなくなっては困る。今アレクシアが目指しているのは、その他大勢の悪役令嬢だ。
「急に何を言うんだ。今まで、やってきた仕事ではないか」
「まあ、そうですわね。それは、仕事を一人で回せない方がいらして、他の方が困ってはと思い手を貸していただけですわ」
嫌味は伝わったらしい。
さあっとゲイリーは顔色を変え、次いで怒りを滲ませた。
「噂通り傲慢だな。まるですべて自分がやっていたかのように吹聴する。そう思っているなら、仕事したらどうなんだ。困っている者を助けたいんだろう?」
「いいえ。私は傲慢なので、手を差し伸べる方は選びます。価値がないと判断した方を助けたところで、私の益にはなりませんもの」
自分の仕事は自分でしろ! と、叫びたい。
優花の職場だったら、即行左遷される。仕事を押しつけるだけの上司は、モチベーションを下げ効率を悪くするだけの害悪だ。
「これからは、すべてご自分でどうぞ。本来、そうであるべきですもの」
「仕事をしてくれと頼む上級生に、逆らうのか?」
「逆らう? おかしなことをおっしゃいますのね。ご自分の仕事はご自分で、と言っただけですが? それができないようでしたら、その立場は分不相応ということではありませんか? 私の方から、会長にお伝えしてもかまいませんが?」
「そんなことを言って、後悔することになるぞ」
「まあ、私が?」
わざとらしく、アレクシアは驚いて見せる。くだらないプライドで頭を下げられないばかりか、脅しにかかってくるので現実を突きつけてやることにした。
「上級生に生意気な口を利いたのだから、当然だろう?」
ふふ、とアレクシアは吐息で笑う。
くだらなすぎて、こんな時は悪役令嬢鉄板の高笑いをしたくなった。
「素敵なアドバイスをいただいたので、私からも」
今まで、爵位が上のアレクシアを顎で使い、優越感に浸っていたのだろう。その傲慢さが透けて見えるが、今後もそれがまかり通ると思っているのなら大間違いだ。
「学園内限定の権力もどきを、卒業後も維持できるなどと勘違いされているようでしたら、早々に意識を変えた方がよろしいかと存じますわ」
「なんだと」
「私は、公爵家から出るつもりはありませんのよ?」
「身分で脅すのか!」
「まあ、なんて人聞きの悪い。副会長には常々俺を見習え、とアドバイスをいただいておりましたので、同じように返しただけですわ」
「そうですわね。学園内では身分にとらわれない自由な交流を、と言われておりますが、相手に敬意を払わなくていい、というわけではありませんのよ?」
成り行きを見守っていたジェイニーが、これ以上は見逃せないとゲイリーに苦言を呈す。その眼差しは、侮蔑を含んでいた。
子爵家の嫡男でも高位貴族に対してどうかと思う態度だが、継ぐ爵位もない三男のゲイリーが取っていい態度ではない。仮にどこか貴族家に婿入りするとしても、伯爵が限度だ。
歳だけは上でも、ここにいる誰よりも身分は低い。
屈辱に顔を歪めてはいても反論できるわけもなく、拳を握りしめ、ゲイリーは背を向けた。
「……失礼する」
その背を見送り、アレクシアはため息をつく。
ジェフリーにまとわりついていた弊害が、あちらこちらに散らばっている。まだ他にもあっただろうかと、アレクシアは頭が痛くなるようだった。