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「ブライト伯爵令嬢、貴女、アレクシア様の時間を奪うなど何様のつもりですの」
つん、と軽く顎を上げ、きつい印象を受ける赤い瞳がアリアーナを睥睨する。鮮やかな赤い髪はくるくると巻かれ、悪役令嬢に準ずる者だとすぐにわかる華やかで美しい容姿だ。
ジェイニー・スコット侯爵令嬢、アレクシアの取り巻きの一人で、ジェフリーの婚約者候補にも名を連ねている。その彼女が不機嫌もあらわに、行く手に立ち塞がっていた。
突然のことに、アレクシアは呆気にとられる。状況をうまく把握できなかった。
――わからないところがあったら、また教えてもらえますか?
図書室で勉強を教えた後の別れ際、おずおずとアリアーナから申し出があった。
喜んで! と、心の中で返しながらも、表向きは優美に頷く。
ぱあっと表情を明るくするアリアーナからは、善良さが伝わってくる。単独行動に慣れているアレクシアは一人でも気にしないが、友だちがいたら楽しい。怖がらせないように、ゆっくり距離を詰めていこうと決めた。
翌日から教室でも少しずつ挨拶以外の話もするようになり、授業が終わると図書室へと向かうアリアーナに、アレクシアはつき合う。最初は恐縮しあわあわしていたが、本を読んでいるからと伝えれば、はにかんだような笑みを浮かべた。
アリアーナはアレクシアを勉強につき合わせるつもりはなく、わからないところがあったら、空き時間に教室で質問するつもりだったらしい。
誘ってくれていいのに! と思いつつも、会社で上司を自分の都合で残業につき合わせると考えたら、気が引けるのも確かだ。身分の壁はなかなかに厚い。
それでもアレクシアが同席することに、困惑も不快もないらしい。少しずつ遠慮も消え始めていたので、今日も図書室に――と、アリアーナと廊下を歩いていたところ、こうしてジェイニーに行く手を遮られていた。
まるでゲームのイベントが発生したかのような現状に、アレクシアはとっさに言葉が出てこない。いやなんで私がまるでヒーローのようなポジションに? と、混乱もしていた。
「す、すみません、そうですよね」
うつむきしょげるアリアーナに、アレクシアは我に返る。友だちができそうだと一方的に浮かれたせいで、取り巻きたちから爵位が下の彼女が目の敵にされたら大変だ。
「ジェイニー様、アリアーナ様には私が声をかけたのよ」
さりげなく前に出てフォローを入れると、ジェイニーが軽く目を見張り驚く。
そんな、と心の声が聞こえるような表情だった。
「アレクシア様、ご自分が勉強なさる時間が減りますわ」
「いいのよ。トップ争いには加わらないつもりだから」
「そんな! 今回も殿下との首位争いをされると思っておりましたのに」
(え、やだ。面倒だし)
例え本音でも、そんな心の声を洩らすわけにはいかない。
ぐるんと思考を回し、憂うような表情を作った。
「先日、熱を出して寝込んだでしょう?」
「ええ、わたくし、ずっと心配しておりましたわ」
ありがとう、とアレクシアは軽く頷く。
ジェイニーからは、見舞いの品も届いていた。
「あれ以来、時間はゆったり使おうと思ったの。何事もほどほどが良いと思って」
「……そうですわね。無理をされ、体調を崩されてはいけませんものね」
「でしょう? アリアーナ様の勉強につき合うことで私も復習できますし、根を詰めることもないのでいいのですわ」
言い訳には、このくらいがちょうどいい。
これで引いてくれるかな? とジェイニーの様子を窺うと、きゅ、と唇を引き結んだ。
「わたくしが事情も知らず、差し出がましいことを申しましたのね。アレクシア様、アリアーナ様、失礼をお許しください」
素直に謝罪を口にするところは潔いが、視線を揺らし、意志の強さが窺える目を伏せる姿は妙に哀れみを誘う。それに戸惑ったのはアレクシアだ。ツン、とした態度で、返されると予想していた。
普段のジェイニーは、こんな簡単にしょげたりしない。
「あの、ジェイニー様も、一緒に勉強しますか?」
「え」
アリアーナがおずおずと声をかけると、ジェイニーがぱっとうつむけた顔を上げる。あれだけきつい言葉をかけられたのに、直後にその相手を誘うなど案外物怖じしないなと、アレクシアは感心した。
縦ロールが二人、美しいけれどキツさが目立つ、圧が強い悪役令嬢コンビと一緒に居ようと思えるだけで、すごい。実は最強なのは、こういう普通の子なのかもしれないとアレクシアは気付いた。
「ですが、わたくしが居てはアレクシア様のおじゃまになるのでは……」
私? と、アレクシアは瞳を瞬く。
窺うような視線には、下心のようなものは感じなかった。
(もしかしてもしかして?)
「ジェイニー様がよければ、一緒に勉強しましょう?」
試しに誘ってみると、ぱあっと表情を輝かせる。いつものとりすました笑顔よりも、可愛らしさがあった。
「アレクシア様に誘っていただいたのだから、わたくしも参加しますわ」
(え、なにこの子かわいい)
ツンデレだ、と認識を上書きする。周囲に寄ってくる人たちをすべて同列にしていたが、中には純粋に、アレクシアと交流したいと考えている者もいるのかもしれない。向き合って、その人となりを見ていなかったと反省した。
「ええ、ジェイニー様もご一緒しましょう」
美少女のリアルツンデレにひそかに悶えながら、アレクシアはにっこりと笑う。
せっかくなので、この縁を大切にしようと決めた。
はい、と二人が弾んだ声を上げる。アラサーの意識が強いので、美味しい物をたべさせてあげたくなった。
推しに美味しい物をいっぱい食べてと、お布施する感覚だ。
この世界での愛でたい一号のエリックは、順調に意識が変わりつつある。以前より良好な関係を築き、雑談も増え――話すと容姿と相まってかわいさが増すので悶えたくなる弊害はあるのだが、ほとんど食べなかった甘い物を、アレクシアが勧めれば手を出してくれるようになった。
「そうだ。場所は図書室ではなく、サロンにしません?」
「え」
「まあ!」
各々の反応の違いが面白い。驚愕に目を見開くアリアーナと、目を輝かせるジェイニー、けれどどちらも、嫌な気はしなかった。
「私専用のサロンなら、周りの人に気を遣わず話せるでしょ?」
「はい!」
「ですが、私が行ってもいいのでしょうか?」
「ええ、どうぞいらして」
アリアーナが気後れする気持ちもわかる。個室利用が許されているのは、王族と公爵家のみだ。けれど招待され、共に利用する時には、下位貴族であろうとも、平民の者であろうとも利用できた。
だからゲームのシナリオでは、王太子とその側近候補、そしてヒロインがそこでテスト勉強をする。そこには当然、アレクシアは呼ばれない。
以前から一緒にテスト勉強を、とジェフリーを誘ってはすげなく断られ続けているのに、ヒロインだけを誘うのだから屈辱的に思うのも頷けた。
もっとうまく立ち回れよ王太子だろ! と呆れるが、恋に浮かれていれば仕方ないかとも思う。けれどそんな些細なことが積み重なり、アレクシアを追い詰めていく。
(私にはどーでもいいことだけど)
「お茶くらいはお出しできますわ」
お菓子は、焼き菓子くらいしか用意できないのが残念だ。
次回はケーキを用意しようと考え、アレクシアの頭の中から勉強については消えていた。
ストックはもうないので、更新は私の頑張り次第になりました……




