12
ここ数日を振り返ると、前世の意識の方が強くなっているとアレクシアは感じる。歳を重ねた年月が違うのだから納得もできるが、うっかり素が出ないよう気をつけなければいけなかった。
アラサーだからといって、内面が落ち着いているとは限らない。
社会に出れば色々と、表向きの顔を取り繕うことを覚えるだけだ。若いうちはすごく大人に感じる年齢の人たちも、実際自分がその年齢になると、案外大人ではないと気付く。
抗えない誘惑だってある。買い物だったり、甘いスイーツだったり、他の攻略対象者もリアルで見たい! と思う気持ちだったり――。
誘惑に負けそうになるのは、立て続けに、ジェフリーとイアンの顔面の良さを目の当たりにしたせいだ。
パッケージに惹かれるくらいには、好みの容姿をしている。二次元の世界に存在していた人たちが、目の前で動いて話すのだから、好奇心が抑えられなくなっても仕方がない。
当然アレクシアは会ったことも話したこともあるが、記憶が甦る前だ。ジェフリー以外の男への興味が薄すぎて、他の攻略対象者は記憶の隅にちらりとしかなかった。
近づかない、関わり合いにならない、と決めてはいるが、ヒロインはまだ登場していない。もう参加なんてするか! と思っていた交流会が、数日後にあるのも要因の一つになっている。ちょっとくらいならいいかな、いいよね? と、好奇心で決意が揺らいでいた。
今更ずっとジェフリーにべったりだったアレクシアを、自発的に婚約者へと望む者はいない。そう考えると気楽で、お茶とお菓子を楽しみながら、交流会に参加する者たちを眺めるのも一興だ。
とはいえ、まだ参加の決心はついていない。
面倒と興味が天秤にかけられ、ぐらぐらと揺れていた。
(ぎりぎりまで考えようかな)
軽く息を吐き出し、アレクシアは図書室へ足を踏み入れる。今までゆっくり眺めたことがないと気づき、少し蔵書を眺め見てから帰ろうと足を運んだが、想定外に人の姿が多い。
入室の気配に顔を上げた人たちが、扉の前に立つアレクシアの姿に驚きを見せる。慌てたように視線を伏せるのを見て、そんなに威圧感があるだろうかと、軽く首を傾げた。
基本的にアレクシアは、ジェフリーに言い寄る令嬢以外は空気のように扱っている。正しくあろうとも思っていたので、理由もなく誰かを虐げることもなかった。
改めて考えてみると、他の人にどんなイメージを持たれているのか知らない。噂話をアレクシアの耳に入れる者は、だいたい良いことしか言わないからだ。
嫌われているだのなんだの、耳に入れるわけがない。他人からどう見られているかに興味もなかったので、知ろうともしなかった。
(ほんとアレクシア強いな!)
我がことながら、感嘆を覚える。
学校という狭い世界では、人の目を気にしがちだ。揺るがない地位があることも、アレクシアが強くいられる要因の一つなのかもしれないが。
ゆっくりと足を進め本棚を眺め始めると、ぐだぐだな思考はあっさり霧散する。並べられた本のタイトルを目で追いながら歩いていると、奥まった方の席に人の姿があるのに気付いた。
机の上に広げられたノートと教科書を睨み付けながら、ぴくりとも動かない。ぱたぱたと瞬きしても変わらないので、まるで静止画のようだ。
ジャマをしては悪いと踵を返しかけ、すごいことになっているかわいらしい顔の眉間のシワに、アレクシアは好奇心に負け近づいていく。知った顔だったことも、背を押した。
「どうかされました?」
「え」
抑えたトーンの声で話しかけると、顔を上げ、アレクシアを映した瞳を見開く。
声を上げようと開きかけた唇を、慌てて自ら手のひらで塞いでいた。
(そんなに驚かなくても)
まるでお化けを見たような反応だ。
アラサーの記憶が混ざっただけの美少女なのに、とアレクシアは嘆きたくなった。
「す、すみません、声をかけてもらえるとは思わない方だったので」
「同じクラスでしょう? アリアーナ・ブライト伯爵令嬢」
カッ! と、薄茶色の瞳が見開かれる。なに、とアレクシアは軽く引いた。
「そんなに驚かれると、私も驚くのだけれど」
髪色も茶色で目立たないおとなしそうな印象なのに、リアクションが激しい。
貴族の令嬢では珍しく、今までアレクシアの周囲には居ないタイプだ。
「あ、いえ、そんな、すみません! ロシェット様が私なんかを知ってくださっているとは思わなかったので」
小柄なこともあり、あわあわと言い訳する姿が小動物のようで微笑ましい。
感情をあらわにするところも、裏表がなさそうでアレクシアは好感が持てた。
「アレクシアでいいわ」
え、とアリアーナの唇が開く。
笑顔で、アレクシアは頷いた。
「ア、アレクシア様、どうぞ私のこともアリアーナとお呼びください」
挙動不審なところさえも、かわいらしく見える。友だちになれたらいいのに、とアレクシアはひそかに願った。
「アリアーナ様、私図書室がこんなに人気だとは知らなかったわ」
がらんとしたイメージを、漠然と持っていたのかもしれない。
実際は、学習スペースはほぼ埋まっていた。
「それは、テストが近いからでは」
「え」
「え?」
「そういえば、夏期休暇前にテストがありましたわね」
まだ範囲の発表はされていないが、このくらいの時期から勉強を始める者は多い。成績不良判定されると、夏期休暇中に補講が設定されるからだ。
「アレクシア様は、勉強しないであの成績なんですか!?」
「前回はしていましたわよ。今回はどうもやる気がでなくて」
幼い頃からずっと、勉強に熱を入れすぎた反動がきているのかもしれない。勉強しなくてもなんとかなるだろう、なんて希望的観測もあった。
「アリアーナ様は、テスト勉強ですか?」
「はい。兄妹が多いもので、家だとうるさくて落ち着いて勉強できないので、図書室を利用しているんです」
「勉強のジャマをしてしまったわね。ごめんなさい」
「いえ、わからなくて手が止まっていましたから。明日にでも先生に聞きにいきます」
ちらり、とアレクシアは問題に目を向ける。難易度の高い問題だ。
「私でよければ教えましょうか?」
「アレクシア様が……」
「ええ、ですが先生の方がよろしければ、」
「いえ! 教えていただけるならありがたいのですが、いいのでしょうか?」
「私の方が提案しているのよ」
「お願いします!」
頷いて、アレクシアはアリアーナの隣の席に座る。ざっと問題に目を通し、解答を導く手順を説明していった。
素直になんの含みもなく、アリアーナはすごいと褒めてくれる。わかりやすいとも喜んでくれるので、アレクシアも嬉しくなった。
「さすが、トップクラスの成績ですね」
「今回は、前回よりかなり落ちると思うわ」
「そんなこと」
「あるの。だって、あまりテスト勉強する気がないのですもの」
悪びれることなく宣言し、アレクシアは吐息で笑う。
勉強を教えていただけなのに、茶会に参加した時よりも楽しい時間が過ごせた。




