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ある程度距離を取ると、ぴんと伸ばした背はそのままに軽く息を吐く。
想定外のジェフリーとの遭遇だったが、決別への一歩を踏み出したことを実感する。自己満足の思い込みかもしれないが、構わない。気持ちの問題だ。後は行動で示せばいい。
これから積極的な関わり合いを避けることで、徐々にアレクシアが無害な存在だと認識してほしかった。
正式に婚約者候補辞退が決まり、公表されればジェフリーも納得し、安心するだろう。警戒心も少しは緩むはずだ。そうであってほしい。
悪役令嬢という役割なのだし、今までの行動の悪さがあるので、多少敵視されるのも仕方がないと開き直ってはいる。ただやってもいないことをねつ造され、濡れ衣を着せられるのは許せなかった。
(ヒロインの登場は、夏期休暇後だったはず)
それまでにフェードアウトの他にも何かしらの対策を考え、保険をかけたい。
取り巻きも懸念事項の一つではあるが、半ばあきらめている。本音では、解散! と宣言したいところだが、彼女たちも家のために必死なのだ。
前世とは違い貴族社会なので、派閥、政治が関わってくるので仕方がない。
仕方ないのだけれど、前世では関わり合いになるまいと避ける種類のグループに、中心人物として自分がいるのはなんとも言えない気持ちになる。どこへ行くにも付いてこようとするので、一人になりたいときは撒くのに一苦労だ。
また、ため息がこぼれる。考え始めると、憂鬱さがずしりと増した。
(誰かに会う前に、帰ろう)
人間関係の煩わしさに、アレクシアは辟易する。絶対に会社以上だ。
迎えの馬車が待つ場所へと歩いていると、帰宅途中にある生徒の姿が増えてくる。今更ながら共の一人も連れず、ジェフリーがなぜあの場にいたのかとアレクシアは首を傾げた。
「ロシェット公爵令嬢」
げ、と顔を歪めそうになる。一難去って、また一難だ。
ただ立っているだけなのに、見惚れるほどの男に声をかけられれば、大抵の女性は喜ぶ。けれどアレクシアは声をかけてきたイアンに、回れ右したい気持ちになった。
「少し、いいだろうか?」
よくない! と、脳内で顔を歪めながら即答する。けれどそんなことをしようものなら、周囲にいる者たちに何を言われるかわからない。多くのファンがいる男は厄介だ。
(なんで声なんてかけてくるのよ!)
自分が目立つのを自覚してほしいと、アレクシアは軽く殺意がわく。
見目麗しく地位もあり、学園で王太子と人気を二分している、結婚相手の優良物件だ。あちらこちらから、ちらちらと様子を窺っているのがわかる。頭が痛くなりそうだった。
「なんでしょうか」
どちらにしろ、噂が駆け巡るのは必須だ。
ならばその理由を知る権利はある。だからと行って不本意なのは確かで、ため息をつきたくなるのを、アレクシアはぐっと堪えた。
「ここでは落ち着いて話ができない。場所を移そう」
ええ、めんどくせえ! ですわ。
とってつけたような語尾をつけ、令嬢としてはどうかと思う台詞をアレクシアは胸の内に吐く。
けれど表情を繕い、緩い笑みで了承した。
アレクシアの性格ならば、容赦なくばっさりと断ってもそう違和感はない。けれど目撃者が多い場所でそんなことをすれば、碌でもない噂となって広まりそうだ。
わかっていて、人前で誘ったのならばイアンは策士だ。
公爵令息なので、善良なだけではいられないのだろうけれど。
「今日はその髪型で、すぐにわかった」
人気のない校舎脇の花壇のところまで来ると、イアンが口を開く。
今朝マリッサによって丁寧に巻かれた縦ロールへ、視線が向けられていた。
「それは、よかったです?」
まさか縦ロールで認識してる!? と困惑し、どう返すのが正解なのかアレクシアはわからない。けれどやはり縦ロールは大切にするべきで、簡単に手放す物ではないと再認識はした。
「キャフリー様、それでご用件は?」
「ああ、これを拾ったんだ」
見覚えのあるハンカチを、イアンが差し出す。アレクシアの物だ。
すぐに先日の出来事が浮かぶ。最近色々と気を取られることが多すぎて、落としたことにさえ気付いていなかった。
「私のですね。ありがとうございます。ですがそれなら、先ほどあの場で返していただいてもよかったのでは?」
場所を変える必要があったとは思えない。
あの場で落とし物だと渡されれば、いらぬ噂も呼ばなかった。
明日にはどこかでねじ曲がり、今度はイアン公爵令息にターゲットを変えたなどと、陰口をたたかれそうだ。表だって、公爵令嬢であるアレクシアに言う者はいないだろうが、面倒くさいことには変わりがない。
「ああ、そうだな」
は、とした顔を、イアンはする。どことなくバツが悪そうに、アレクシアから視線を外した。
「すまない。先日のことは伏せた方がいいのだろうと判断し、内密に返さなければと思い込んでいた」
(えぇ、この人意外に天然?)
クールなイメージの美形なのに、天然属性が加わるなどずるい。つい可愛いと思ってしまう。関わり合いになりたくないのに、遠くからイアンを眺め、不器用な恋を見守りたくなった。
「いえ、お気になさらず」
ヒロインに選んでもらえるといいね! と、アレクシアは心の中で応援する。少しくらいなら悪役令嬢として、恋のスパイスになってあげてもいい気がした。
「ロシェット嬢、一つ聞いてもいいだろうか?」
「なんでしょう。私が答えられる範囲でしか、お答えできませんが」
「何か、心境の変化があったのか?」
思いがけない問いだ。
ぱちり、とアレクシアは瞬きする。感情の機微に疎そうなのにと、少し驚いた。
「無理に答えなくていい。今までと違い、ジェフリーにそっけない態度だったから、少し気になっただけだ」
見た目も性格も正反対に見えるが、名前で呼び合うほど二人は存外仲がいい。だからジェフリーの元へアレクシアが行くと、イアンが居ることも多々あった。
廊下でのやりとりを、見られていたのかもしれない。
朝も、昼も、休憩時間も、まとわりつきにいかないことから、推測したのかもしれない。正確なところはわからないが、先ほどのジェフリーとのやりとりもあり、気持ちの変化を誰かに知ってほしくなった。
さりげなく匂わせるくらいなら、ありだろう。人の気持ちなど変わるものだ。
「そう、ですね。寝込んでいる間に、少し」
含みを持たせるように言葉を切り、あ、とアレクシアは気付く。
病気療養中に、街でイアンに遭遇していた。
突っ込まれる前にと、アレクシアは慌てて言葉を継ぐ。
「それで、追うよりも追われる方、愛を乞うよりも乞われる方が、私には合っていると思い直しましたの」
少し、高飛車な感じを意識して告げる。ここでバサッと広げたら良い感じになる、お嬢様のマストアイテム扇子を召喚したい。無理なので脳内イメージだけにしておいた。
「そう、か」
「ええ」
本音は、どちらもいらない。
けれど傲慢な女が言いそうな、もっともらしいことを言っておけば納得するだろうという目論見だ。
今までにあれだけジェフリーにアピールしていて、急にお一人様がいいと言ったところで信じてもらえるわけがない。信じてもらわなくてもいのだが、何か企んでいると疑われるのも面倒くさい。適当なことを言って目をそらす。これぞ大人の処世術だ。
「追われ、乞われる方……」
「極上の男に傅かれ、愛を乞われてこそ私ですわ」
この容姿にぴったりな台詞だと、堂々と言い切る。
素の顔をイアンが知っていようとも、今のアレクシアは縦ロールを装備している、高飛車な公爵令嬢だ。
「……そんな相手が、見つかるといいな」
呆れが滲んだ声に、笑顔を返し明言を避ける。そんな相手が見つかったら、正直面倒くさいだけだ。
下位貴族ならば、公爵家の力で蹴散らせるが、同等かそれ以上だと更に面倒くささが割り増しになる。今のところそんな可能性はないのだけれど。
王太子の婚約者候補は辞退する上に、本人はアレクシアを嫌っている。目の前の公爵令息であるイアンも、アレクシアに興味はない。
もう一家公爵家があるけれど、嫡男には幼馴染みのかわいらしい婚約者がいる。
他国の王族は幼い頃から婚約者がいる者が多く、早々会う機会もない。ならばこの言い訳が最適のはず、だった。