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疲れた、とアレクシアは行儀悪くベッドに倒れ込む。
久しぶりにたくさん歩いたし、何より想定外のことが色々ありすぎて、精神的に疲れた気がする。街を初めて散策したけれど、まさにこの世は危険がいっぱいだ。面倒事に遭遇する確率が高すぎる。かなり驚いた。
それでも楽しかったことは、楽しかった。主目的だった本はたくさん購入できたし、マリッサの予約のおかげで待つことなく入れたカフェで、エリックを巻き込みスイーツを堪能した。
思い出すだけで、頬が緩む。三人とも店のおすすめデザートプレートを頼んだのだけれど、ケーキと焼き菓子が美しく盛り付けられていて、提供された瞬間テンションが上がった。
食べやすく小ぶりなケーキは味も繊細で、ふわっとした生地も優しい甘さのクリームも、食べる者を幸せな気分にさせる。マリッサも喜んでいたし、場違い感に戸惑いつつケーキを口に運んだエリックも、気に入ったようだった。
本当に美味しかったので、サヴェリオとレイモンドに焼き菓子をお土産として購入してきている。当然、アレクシアは自分の分も購入した。
それでも、ため息はこぼれる。ガラにもなく助けに入ったことは後悔していない。問題はその後だ。思い返すだけでアレクシアはげんなりする。本当に、まさかだった。
(なんでイアン・キャフリーがあんなとこにいるのよ)
帰宅した今でも、そう思わずにはいられない。
縦ロールを装備していない姿を見られるなんて、不覚だ。妙に気恥ずかしい。仏頂面で、あまり表情を変えないと有名なイアンなのに、確実に驚いていたのがわかった。
うわぁと叫びたい気持ちになって、アレクシアはクッションに八つ当たりする。知り合いになど会うわけがない、会ったところで気付かれないと思っていたのに、完全に想定外だ。
口止めもしていない。
何を口止めするのだという話だが。
動揺が大きくて、思考が支離滅裂だ。
はあ、とアレクシアは意識して深く呼吸する。基本的にイアンは無口で、面白おかしく吹聴するような性格ではない。淡々と事実を話すだけなら、アレクシアとしても特に困ることはないはずだ。
(あんな堅物を絵に描いたような男でも、ヒロインにはデレるんだよね)
ゲームの中では、若干、攻略の難易度は高い。
イアン本人が恋愛感情に鈍感で、なかなかヒロインに恋心を抱いていると自覚しない。けれど自覚さえすれば、不器用な男が見せる真っ直ぐな気持ちは、ぐ、とくるものがある。何よりも、ヒロインにしか見せない笑顔が、ものすごく破壊力のある美麗さなのだ。
(うっわぁ、リアルに見たい!)
自分へ向けて欲しいとは思わないが、ぜひにどこかの物陰からでも目撃したい。偶然居合わせる確率は、と考えて、あまりの低さにアレクシアはため息がこぼれた。
(ヒロインが誰を選ぶかもわからないし)
思考を止めてぼんやりしていると、ノックが聞こえる。身体を起こし応えを返すと、レイモンドが飛び込んできた。
「シア、街に行ったんだって!?」
これは面倒事の続きなのだろうかと、アレクシアは更に疲れた気分になる。対応を間違えると、面倒くさいことになるのは間違いなかった。
「本が欲しくて、買いに行ってきました。せっかくなので街を少し歩いたんですけど、初めて見る物が多くて楽しかったです」
嘘は言っていない。黙っていることが、あるだけだ。
マリッサとエリックにも口止めしておいたので、街での出来事に対する小言はないと信じたい。
「俺もシアと一緒に行きたかった! なんで誘ってくれなかったんだ」
「……お兄様は学園でしたでしょう」
「シアと街に行けるのなら、学園など休んだ」
(いいのかそれで)
そんな感想しかでてこない。
妹の優先順位が高すぎる。
「ああ、でもそのワンピース似合っているな。用意した甲斐があった」
「これは、お兄様が?」
「ああ、いつかシアと街に遊びに行けたらと思って、用意しておいたんだ」
(ヘンな方向にがんばったのは兄だった件)
普通に市販のワンピースを購入すればいいだけなのに、制作の途中で我に返らなかったのかとあきれ、ふと気付く。
前世の記憶が甦る前のアレクシアなら、平民が着るワンピースなど絶対に着ない。それでか、と納得する。さすが血の繋がった兄だけあって、妹の性格をよく把握していた。
結局大元をたどれば、アレクシアだった。
「他のデザインもあるからな」
「ありがとう、お兄様。あの、次は一緒に行きませんか?」
「もちろんだ」
そわそわしているのがわかって誘えば、レイモンドがぱあっと表情を輝かせる。髪色のせいか、犬というよりも狼が、喜んでぶんぶんと尻尾を振っているようなイメージが浮かんだ。
考えてみれば、兄妹で出かけたことなどほとんどない。幼い頃くらいだ。
「お兄様」
「なんだい?」
「今までは、殿下のためだけに時間を使い、家族と一緒にいる時間をないがしろにしてましたね。これからはお兄様と、お父様と色々なことをして過ごしたいです」
驚いたように、レイモンドが目を見開く。
すぐに、嬉しそうに破顔した。
「ああ、そうだな。家族で過ごそう」
「はい」
顔面偏差値なら、サヴェリオもレイモンドもかなり高く、充分に目の保養になる。少しくらい近い距離で話していたとしても、内心できゃあきゃあ言いながら腕を組んで歩いても、親愛以上にはならない。蹴落とされる対象になり得ない。
わざわざ攻略対象者に近づくなんて危険を犯す必要は、アレクシアにはなかった。
「あ、今度一緒に、舞台も観に行ってほしいです」
一緒に行ってくれそうな友人が、アレクシアにはいない。
一人で行ってもいいのだが、初めて行く場所はさすがに少し緊張する。人の目もあるので、マナー違反をしないためにも、最初は誰かと一緒に行くべきだ。
「もちろんだ」
「ありがとう、お兄様」
第二の人生楽しむぞ、と思っていたら、その夜帰ってきたサヴェリオから、婚約者候補からの辞退は、保留になったと教えられる。なんで!? とその場にくずおれそうな絶望感に襲われるが、辞退は本人に確認してからだと言われたそうだ。
国王の言い分としては、あれだけジェフリーにべったりだったアレクシアが、自ら辞退など申し出るわけがない。娘かわいさに、サヴェリオが勝手に辞退しようとしているのだろうと、疑われたせいだった。
やはり大本の原因は、アレクシアだった。本当に、過去の所業が恨めしい。
けれど言い換えれば、はっきりとアレクシアの口から辞退を申し出れば、受理されるということだ。
そう信じたい。
(ああ、もう! 早く楽になりたい!)
明日にでも、と意気込んでみたものの、高位貴族であっても国王への謁見はそう簡単にできない。
国王にしてみれば、サヴェリオの独断の可能性が高いと判断しているので、急いで対処する必要もない。常につきまとっているような憂いを晴らし、すっきりするのが先延ばしになったアレクシアは、ショックを隠せなかった。