《警戒》と余暇#2
「オリー、いるか?」
宿の裏にある猫の額ほどの広さの庭へ足を運び、声をかける。
朝方は宿の従業員が洗濯物を干すために使っている場所であるが、今は大人たちの姿はなく、代わりに背の低い少女が居た。
少女はただ一点を見つめていた。
その先にあるのは、何の変哲もない一本の木。
それに向けて、少女――勇者オリーは構えていた。
徒手のままで、あたかも武具を持っているかのように姿勢をつくっている。
オリーは声をかけられたことに気づくと、構えを解いた。
「おじさん、何か用ですか?」と、オリーが言う。
「もちろん用はある、邪魔しにきたわけじゃない」
俺は続けて、「あとおじさんはやめておけ」と言った。
「おじさんって呼んだら駄目なんですか?」
……駄目と強く言い切れる理由は無いが、まだそう呼ばれるには抵抗がある年齢なのだ。
あと、俺には兄弟や姉妹が居ないので、叔父という設定を持ち出しても嘘を貫くのが難しい。
「細かい説明は省くが、年の離れた兄の方が説明が楽なんだ。だから兄ということにしてくれ」
「わかりました、兄さん」
オリーは頷いた。
この子の落ち着き具合は、見た目から推測できる年齢にふさわしいものではない。
初対面のときからそうだった。
先日聖女から身柄を託された後、俺はオリーを木箱から担ぎ出して宿のベッドに寝かしつけた。
その翌朝、目を覚ました彼女が言ったのは、「はじめまして、新しい剣の先生ですね、よろしくお願いします」だった。
これまで何度も口にしたことのあるような、慣れた口ぶり。
初対面の時点で、「予想通りこの子は普通ではない」と俺に思わせた。
勇者として、一体どのような育て方をされてきたのか。
少なくとも、ただの街娘のような教育は施されてはいまい。
「明日から剣の鍛錬は別の場所でやることになったから、その話を部屋の中でしよう」
「このお庭より広い場所ですか?」
「そうだな……少なくともオリーが剣を振り回しても、近くの大人が怒ったりしないような場所だ」
宿にやってきてから二日目、オリーは庭で縦横無尽に木製のショートソードを振り回して、保護者の俺ともども宿の従業員に怒られた。
以降、彼女は徒手のままで構えの練習をひたすらやっている。
食事をとる時間を除き、早朝から夕方まで、黙々と。
俺の言葉を聞いて、オリーは少しだけ嬉しそうだった。
「良かったです。剣を持たないまま構えているしかできなくて、ちょっと困っていたので」
「どう困るんだ?」と俺は問いかけた。
すると、彼女は言った。
「剣が無いと、お話することができませんので」
「剣と、話す?」
妙な表現だった。
たしかに、聞くところによると腕のある剣士同士が立ち会った後で、『剣から相手の心が伝わった』と言うことがあるが……それは戦う相手が居てこそ成立するわけで、翻せばたった一人では話のしようもないはずだ。
俺がそういうことをなるべく簡潔な言葉で説明すると、オリーはこう返した。
「私の剣の手ほどきをしてくださった巫女様が、唯一教えてくれたことです。剣に関して、巫女様が嘘を言うことはありません」
《聖剣の巫女》曰く。
剣の頂を目指すならば、剣の気持ちを読み、剣の邪魔をせぬよう振る舞いなさい。
剣と対話するのです。
この時の俺は、聖女の言葉を理解できなかった。
剣が自ら話すはずがない――そんな先入観に支配されていて。




