《勇者》の簒奪#4
聖剣教会の聖女に名前は無い、と言われている。
聖女とは称号であり、さらに名前でもあるからだ。
だから、初対面の彼女は自らを聖女と名乗ったのだろう――そこにいくらかの牽制の意味があったとは考えにくい。
純粋に、ただ名乗り上げる上でそう言わざるを得なかった。
それが事実なのではないだろうか。
己の権威を見せるためでなく、ただの事実として、事務的にそう名乗った。
聖剣教会の聖女の口調からは、そのような意図が感じられた。
「じゃあ、聖女さまと呼ばせてもらうが」と俺は言った。
対して、「それで結構ですよ、剣王さま」と返された。
「ふふ、それにしても剣王とは面白い名ですね……それほどにお強いのですか?」
「当たり前でしょう、剣王様は世界で一番なんですから!」
口元を押さえてお淑やかに微笑む聖女と、無反応の聖女の護衛二人、そして胸を張っている相棒。
もっと相棒にきつく言い聞かせておくべきだった、「人前で剣王呼びはやめろ」と。
「剣王さま、ぶしつけながら、お一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ」と答える。
「あなたは、私の背後にいる護衛二人と戦って勝てますか?」
一瞬迷った。
俺の腕を試したいのか、それとも聖女に俺を害するつもりがあるのか、と。
しかし、考えても答えは出ない。
そもそも、聖剣教会の聖女ともあろう人物が、ただの冒険者一人を意識するとも思えない――だから、俺は彼女の反応を気にせず、ただ正直に答えた。
「俺は魔物討伐で金を稼いでいる冒険者だ。自分の腕が安く見られるような発言はしない……かといって、聖女の護衛を務める腕前を相手に絶対に勝てるなんて言えない」
「つまり?」と、聖女。
「実際に戦って見ないとわからない。だからって、ここでやり合うつもりもないが」
聖女は、それに対して何も言って来なかった。
相棒が何か言いたそうにしていたが、それは手で制する。
俺の返答は、『わからない』という、答えているようで答えていない退屈なものだ。
実際、自分の思っていることそのものではあるのだが――安く見られるのも中堅冒険者の沽券に関わる。
だから、俺は続けて言った。
「……だが、今この場で『生き残れ』という依頼を受けたら、俺と相棒は最終的に生き残るだろう、とだけは言っておく」
「それは、仮に私と護衛二人が敵に回ったとしても――殺し合いならば勝てると?」
かぶりを振る。
「『殺し合い』と『生き残る行動』は別物だよ、聖女さま」
「どういうことです、剣王さま」
「戦わないってことだ。殺し合いに発展しないように振る舞うもよし、全力で逃げるもよしだ。自分は死なない、仲間も死なない。結果的に生き残ることはできる」
「存外に甘いお考えですね、もっと冒険者の方は尖っているものと思っていましたが……もしも相手から逃げられなければどうするおつもりで?」
聖女は意外にも話に食いついてきた。
話し始めたときより少しだけ楽しそうに見える。
「逃げられないなら戦う。だが、勝つことが目的じゃないのなら、やりようはいくつかある……この場で見せたりはしないが」
「つれないお方です。人の関心を引いておいて、おあずけとは……あなたのような人物を指して、意地悪と言うのでしょうね」
「好きに呼んでくれ――いや、やっぱりやめてくれ」
「まあ、今後は意地悪な剣王さま、とお呼びするつもりでしたのに」
本当につれない人です、と聖女が言った。
とりあえず、一触即発の空気は脱したらしい。
なにやら相棒の頬が空気で膨らんでいるが、それは見なかったことにする。
「剣王さま、もう一つよろしいですか」と、聖女が言った。
まあ、聖女自ら顔を見せるくらいだから、質問は一つで終わらないだろうと予想はしていた。
「答えられる範囲なら答える」
「それでは……もしも、歯が立たない相手から『降参すれば命は助けてやる』と提案されたら、あなたはどうしますか」
答えは決まっている。
決まっているが、どんな意図があってこんな質問をしてくるのかわからないので、口にしてよいものか判断できない。
――いや。
俺の答えは変わらないのだから、聖女の意図がどういうものであろうと、口にする言葉も変わらない、か。
「俺なら、降参はしない」
「それも一つの生き残る道では?」
「一理ある――だが、そういう台詞を口にする輩が、本当に約束を守るとは限らない。むしろ、約束を破られる確率の方が高いと俺は考えている」
「なるほど。では剣王さま、降参しないならばどうされると?」
「戦うよ。相手の身勝手な考えに自分の生き死にを委ねるくらいなら、戦って自分の意思で生きる権利を掴み取る」
「その拘りが生を遠ざけ、死に近づくものだとしても?」
「拘りもなく生き続けるなんて、死んでいるのと――いや、死に続けているのと同じだ」
緊張感を孕んだ聖女との会話はそこで終わった。
その後は、聖女の護衛が馬車へ大きい木箱を積み込み、御者が何度も聖女に頭を下げ、それからようやく俺たちを乗せた馬車は復路についた。




