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気付くとそこは…… はじめての銀世界!

――ガチャッ、ウィーン。

 ヒヤリとした空気が、俺の意識を引き戻す。

「ごめん。起こしちゃった?」

 もぞもぞと動き出した俺に気付いたのか、樹音が声をかける。

「すいません。眠っちゃって」

「気にしないの。疲れてたんだよ」

 樹音と会話を交わすうちにデリカが停まっていることに気付く。そして、俺の膝に樹音のダウンが掛けられていたことにも。

「あ、上着……」

「いいよいいよ。ほら」

 そう言って樹音は、羽織った淡いアイスブルーの上着を見せてくる。スキーウェアだろうか。フードを縁取るファーが樹音の柔らかい笑顔を際立たせていた。

 このままグラビアになるんじゃないかな? と、つい見惚れてしまう。

「え……と。ここは?」

 はっとして、俺は聞いた。

 外はまだ暗い。あゆみも、翔太も、啓介も眠っているようだ。

「着いたよ。スキー場」

 ぴんと人差し指をたてて、樹音は俺の目の前に右手を突き出す。

 その言葉に、ぼんやりとしていた意識が、一気に覚醒していくのを感じた。


「眠気が覚めたんならさ、外に出てみない?」

 窓から外をうかがっていた俺を、樹音が誘う。

「いいすね。その提案、乗りました」

 するりとシートを抜け出し、外へと降りる樹音。俺はその後を追って、一歩を踏み出した。


――さくり。

 まず感じたのは、足元から聞こえるかすかな音。柔らかな感触が足裏から伝わってくる。

 スニーカーが半分ほど埋もれているが、それはまるで存在を感じさせない。ただただ優しく、俺の足を受け止めている。

 俺は、これほどに柔らかい雪を知らなかった。


 南国育ちとはいえ、俺も雪と全く無縁なわけではない。年に数回は雪が舞うし、数年に一度は積もることだってある。だがそれは、たっぷりと水分を含んで、今にも水に還ろうとしているのだ。ぐちゃっと、シャーベットを踏み潰すような感触。それが、俺の知る雪だったのだ。


――さくり、さくり。

 一歩、また一歩。かみしめるように、歩を進める。

 先を行く樹音を見失わぬよう。でも、この感動を忘れぬよう。大事に、大事に……


 ひとしきり新雪を踏みしめた俺は、そこにまた別の感覚があったことに気付く。

 キンと澄み切った空気が、そこにあった。それは、とてもとても清冽で。まるで聖らな力が満ち満ちているかのよう。そう、まるで異世界に迷い込んだかのようであった。

 それが、一息ごとに感じられる。鼻腔から、喉から、胸の奥まで。冷たく、そして濃密に。


 大きく両腕を広げ、胸いっぱいにそれを満たす。素晴らしく純粋で、だからこそ微かな痛みまでを伴うかのごとく、身体へと沁み渡ってくる。

「ぶはぁ」

 両腕を胸の前に交差させるようにして、盛大に真っ白な息を吐きだした。

……そうだ、ここはいつもの世界じゃないんだな。

 分かり切っていたはずなのに。

 頭では分かったつもりでも、本当には理解できていなかったのだろう。それが今、ようやく腑に落ちたようだ。


 俺は、先を行く樹音を追いかける。

 ずいぶんと先に居るけれど、まだ追いつける。漠然とそう思えた。


 周りを見渡すと、だだっ広い駐車場には、整然と車が並んでいた。ん? 積もった雪で枠線も見えていないのに、どうやって並んでるんだ?

「ふふふ。不思議そうだね」

 いつの間にか樹音が横にやってきていた。L字に開いた親指と人差し指を顎にあて、まるでどこぞの名探偵かのようなポーズで不敵に笑う。

「なんで、してやったり感だしてんですか」

 樹音が暗躍したわけでもあるまいに……え、……もしかしてそうなのか? まさか?

「あっち、見てごらん」

 もったい付けた割には、あっさり種明かし。樹音に促されるまま振り返ると、目前の坂道を下った先で誘導灯を振る警備員の姿が見えた。次々と車を迎え入れては、停車位置に並ぶよう誘導しているようだ。

「ああやって誘導してくれるんだ。この駐車場はもう満車。今は二つ下の駐車場に入れてるみたいだね」

 なんということは無い。でも、得意げに語る樹音につっこみを入れるのはやめておいた。


 二人は揃って、目の前の車の間を縫って進む。

 目指す先は、駐車場に隣接した大きな建物。それは煌々とライトアップされていた。


――センターハウス

 そう書かれた黄色い壁の建物へ樹音と俺は足を踏み入れた。道路から四段上がった入り口は、両開きのガラス扉。前室を設けた二重扉になっている。入ってすぐはロビーだろうか。カーペット敷きの広い空間には、背もたれのないベンチソファが数脚。まだ暗い時間だというのに、結構な数の人々がそこにいた。並べられたベージュ色のベンチソファは、その八割方が埋まっている。

 右手へと向かった樹音が、おもむろに立ち止まった。

 ずらりと並ぶ自動販売機。さっさと飲み物を二本買うと、一本を俺に渡してくる。

 温かい缶コーヒー。樹音の手には温かいミルクティーが握られていた。

「あ、払います」

 と言う俺を樹音は遮って、

「黙って受け取る。じゃないとスキー教えてあげないよ」

「……ごちです」

 渋々と受け入れる俺。やっぱり樹音は男前だ。


 入ってきた扉の正面奥へと進む樹音を、俺は追いかける。ロビーを抜けた先、ガラス扉を押し開けて入った先は、吹き抜けの大きな空間になっていた。暗く照明が落とされたその空間の中央には、大きなストーブ。かなり離れているというのに、その熱を感じて少し顔が火照る。

「ここはね、早く着いた人が仮眠してたりするんだ」

 樹音の言葉に見回すと、確かに膨らんだ寝袋が、あちこちに転がっている。樹音の話だと、中には連日ここに泊まり込んでいる人もいるらしい。


 そんな部屋を通り抜けたさらに奥。扉を抜ける二人。

「うわぁ」

 言葉にならない声を発して、俺はその先を見渡した。

 頬を撫でるわずかな風。だけど、それは鋭く肌を刺して、存在を主張する。

 白銀の回廊が遥かに遠く、高く続いている。

 まだ暗いはずなのに。だがはっきりと。それは、俺の目に映っていた。

「センターハウスの反対側。ここがゲレンデだよ」

 目の前に走り出た樹音が、大きく両手を広げて振り向く。


 その瞬間だった。

 遠くに見える白銀の回廊から一筋の光が走る。それは、一つ、また一つと増えて。

 最後には七つの光がV字を描くように回廊を降りてくる。


 その光が背後から樹音を照らし出し。浮かび上がる、素晴らしく柔らかな微笑み。

 幻想的、イリュージョン、ファンタジィ、いや、なんと形容したらいいのだろう。

 この光景は言葉では言い尽くせないな。そう思った


……ああ、本当に来てよかった。

 ついつい、そんな気持ちが浮かんでしまう。


 ふと、樹音の視線が上がる。つられて俺も見上げると。

 空は、うっすらと白みはじめていた。


――後から知ったのだが、あの光はゲレンデを均す圧雪車の灯りだったらしい。

 最後に均し終えたゲレンデから圧雪車が編隊を組んで降りてくるのは、来場者サービスのパフォーマンスなのだそうだ。

 うん、スキー場、グッジョブだ!


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