追跡③ 魔法
◇◆◇
ネージュは見据えていた。
コユキを連れて尾根を越えようとする一団を。
その、月をそのままに映して輝く、金色の瞳で見据えていた。
冷たい風が晴明の背中から吹きつける。
それは後ろからだけでなく。右手からも、左手からも、その見据える先からも吹きつけて。
いや、ネージュの元へと集ってきていた。
ネージュの身に付けたペンダントが舞い上がり、かちゃりかちゃりと軽やかな音を鳴らす。まるで集まってきた風が、音楽を奏でるかのように。
……ああ、嬉しいんだ。ネージュに呼ばれたことが。
……ああ、楽しいんだ。ネージュのためにここに居ることが。
風にそんな感情があるのかは分からないけれど。でも確かに、晴明にはそう感じ取れた。
風は踊る。
ネージュの周りを、幾重にも重なりあって。
風は揺らす。
ネージュの白く薄いマントを、たっぷりとしたスカートを、白金とも白ともつかない色に煌めく美しい髪を、そしてたわわな胸をも。
――かちゃっちゃっ、かちゃっちゃっ。
リズムを奏でていたペンダントのムーンストーンが白く輝きだす。
白金とも白ともつかない色に煌めく髪が、白い輝きを宿す。
背中に吹きつける風の強さから感じ取っていた、その存在――風の精と言ったらいいだろうか――晴明には、その姿を見ることは叶っていなかったのだが。
ネージュの周りで舞い踊る風の精は、降り積もっていた雪を舞い上げ、白く輝かせ始めた。
その光一つ一つから、ネージュへの思慕のような感情が溢れている。
それは、しだいに晴明の目にも映るようになっていた。
ネージュを中心とした、風と、雪と、白い光の輪が、すっと拡がっていく。
晴明と樹音を越えて、ソリを、エルを越えて。左右に五十メートル、差し渡し百メートルほどはあろうかという、薄く白い円盤がそこに現れた。
ネージュの口元に笑みがこぼれる。それは慈しみ深い聖女の微笑みのように思えた。
「足を止めます」
ネージュは一つ息を吐くと、短く呟いた。ふわりと両手を持ち上げる。それはとても自然なしぐさで。すると。
光の円盤がネージュの頭上へと浮かび上がる。手が届くほどの高さで止まった円盤に、風が次々に吹き込んで行って。
風は吹く。より強く。
風は吹く。より速く。
光の円盤が大きな輪と小さな輪へと別れ始める。
大きな円盤の光は、その外側の円周に沿って集まり。より強く光を宿して、回転を続ける。
小さな円盤の光は、その中心へ落ちるように集まり。より速く光を回して、大きな渦をなす。
その渦は、その中心へ、中心へと、光と風を送り込み続け。
中心へと集まった光は、その明るさを増していき。
そして臨界が訪れる。
ネージュの形の良いあごが、くいと上げられ。月の金色を宿した瞳が、星空を見上げた。
その両手が星空へと突き上げられる。
風の精はその力を溜めていた。ネージュの力を、雪の力を、その身に取り込んで。もう溜めておけないほどの膨れ上がった力に、ネージュは示したのだ。その向かうべき道を。
風の精はその力を開放した。風が、雪が、光が、渦を巻いて、激しく中天へと駆け昇る。
そして遥か高空で、その力は弾けた。光をまとった風が、雪が、空一面へと広がっていく。
間髪を入れず、外周を廻っていた風の精たちが、雪と光を引き連れて、螺旋を描き上空へと昇り始める。
外から見るならば、それは巨大な竜巻のようであっただろう。しかしながら、内に居る晴明と樹音の周りにあったのは、静寂だった。それまで吹き荒れていた風は止んで。見上げると、広がっていた光に窓が開いたように、星空が覗いており。
晴明は思い出していた。幼い頃に見たネイチャー番組だっただろうか、台風の目に飛行機で飛び込んだ風景を思い出していた。垂直にそそり立つ雲の壁が渦を巻く様子を思い出していた。
今はそれが風と雪で作り上げられている。
「エル! 進んで」
ネージュの声が響く。
――ずしり。
重い、重い一歩をエルは踏み出した。
ソリは、みしみしと軋みつつ、進み始める。
進むソリに合わせて、風と雪の壁――吹雪の目と言えばいいだろうか? ――も進んで行く。
ネージュは吹雪の先の一点を見つめていた。
晴明と樹音は、ネージュの視線を追い、その先を凝視する。
吹雪に隠されて、晴明の目に何も見えてこなかったが、そこには確かにいるのだろう。
そう、コユキが。
晴明は、確信をもってそう思った。それは樹音もそうだったに違いない。
ソリと、それを取り巻く吹雪とを引き連れて、エルは歩を進めていった。
ネージュの髪は、一段と輝いていた。プラチナとも白ともつかない、美しい光を放って。
ネージュの瞳は、金色に輝いていた。白く輝く雪の精の光を受けて。
何を思ったのだろう。晴明はふと振り返る。
そこには樹音が居るはずだった。赤みがかった美しい金髪の樹音が。アーモンド形に大きく見開かれたこげ茶色の目の樹音が。そこに居るはずだった。
だが、そこには。
プラチナとも白ともつかない美しい光を映す髪の。白く輝く雪の精の光を受けて金色に輝く瞳の。ネージュによく似た美女が居るだけであった。
そう、本当によく似ていた。
違いはただ、たわわでは無い、というだけでしかなかった。
◇◆◇
「ジ、ジュネさん?」
俺は目の前の美女が樹音とは思えず、でも、樹音でしかありえないことに、疑問符付きで呼びかけることしかできなかった。
樹音であろうその美女は、答えない。ただ、ネージュと同じ方向をじっと見据えていた。
ネージュと、そして樹音であろう美女とが見据える何か。その何かに結ばれる焦点が、近づいているのが分かる。エルが一歩踏み出すたびに、ソリがずずいと進むたびに、吹雪の目がじわりじわりと動くたびに。彼女らの美しい金色の瞳が捉える何かに、確実に俺たちは近づいていた。
そして今、その何かは。
俺たちの目の前、その吹雪の壁の、ほんの先にある。
そこまで、俺たちは迫っていた。