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暖かな部屋と、温かな飲み物と、そして、

「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。私はネージュ、こちらは娘のコユキと申します」

 たわわな美女――ネージュは、すぐに落ち着いた表情を取り戻し、挨拶を返した。

……似ているとは思ったが、なんと名前まで似ているとは。

 ネージュは、白く華奢な両手でワンピースのスカートを摘まみ、軽く膝を折って視線を下げる。その優雅な動きには、目を奪われずにいられなかった。ゆらり。

……いや、そこだけじゃなくてね。


 そして。

「あ、……えっと、こんばんは。コユキです」

 ネージュに、とんと小突かれて、コユキはなんとか挨拶の言葉を絞りだした。

 驚きに見開かれたアーモンド形の目は、まだそのままだ。よっぽどびっくりしたのだろう。樹音とネージュの顔を交互に見比べている。何度も何度も。


――ぱちり。

 暖炉から薪の爆ぜる音が響いた。


「ねえねえ、ジュネさまと母さまは、どうしてそっくりなの?」

 どうしてと言われても。

 樹音の胸の前から発せられたコユキの疑問に、樹音は困った笑みを返すしかない。

――ここは暖炉の前。

 柔らかな毛足の敷物があって、四人はそこに腰を下ろしていた。その周りには一人掛けのロッキングチェアと、いくつかのスツールが並べられていたのだが、こっちのほうが気持ちいいよと言うコユキの案に乗っているのだった。

 俺と樹音は上着を脱いで、そして数時間ぶりにスキーブーツから足を開放させていた。まるで両足が宙に浮いていくようだ。両足から歓喜の声が聞こえた気がした。

……ああ、このまま寝転んでしまいたい。

 そんな誘惑に抗うことが、どれだけ大変だったか。

 ネージュは、そんな俺と樹音、そしてコユキの姿を優し気に見守っている。

 暖炉の熱がじんわりと伝わってきて、こうして寛がせてもらえることが、本当にありがたい。

 コユキは、すっかり樹音に気を許したようだ。樹音にもぞもぞと擦り寄ると、その膝にちゃっかりと居場所を定めたらしい。樹音もまんざらではないようで、表情が緩んでしまっている。

 だがしかし。俺は見逃さなかった。

 ぎゅっと樹音の胸に顔を埋めたコユキが一瞬だけ、ん? という顔になったのを。

……比べるな、コユキよ。

 そしてコユキは樹音に、先ほどの疑問を投げたのだった。違いを口にしなかったのは、さすが女の子というところか。


 コユキは樹音の膝の上がお気に召したようだ。すっかり気を許して、甘えている。その横にはネージュが腰を下ろしていて、静かに微笑んでいる。

 こうしてよく似た美女(幼女含む)が並んでいるのを見ると、まったく、三姉妹にしか見えないな。


 それに引き換え。

 俺が三姉妹に近づくと……

 コユキは、俺をそっと上目遣いに見上げてきて……と言うと、頬を赤らめて恥ずかしがっているかのような表現だが、実際のところは。

 三白眼で下から俺をねめつけてきていた。背景の書き文字は『ああんっ』だな、などと思ってしまう。もちろん、喘ぎ声ではなくヤンキー声の方で。

 どうにも警戒が解けないようで、俺に向けて鋭い視線を浴びせ続けている。

 まあ、リベットだらけの上着を脱いだら、その下から、さらに全身プロテクター姿が出てきたら警戒もするだろう。

 コユキはその視線で、ネージュと樹音を守ろうとしているようだ。

 しかしなぁ、樹音にはそんなにデレデレなのに。俺にもデレてくれる時が来るのだろうか。

 俺はちょっと離れて。

 敷物の端っこから、なかよし三姉妹を見守るしかできなかった。少し寂しい。


――ことこと。

 暖炉の前に置かれていたケトルが湯気を吐く。

 ネージュは、すっと立ち上がると壁際の棚から大ぶりなカップを二つ取り出し、ケトルの中身を注ぎ入れた。

 そして、ケトルを暖炉の前に戻すと、俺と樹音にカップを手渡す。

「どうぞ。温まりますよ」

「ありがとうございます」

 俺は両手で、ネージュからカップを受け取った。受け取った両手にカップの熱が染み込む。

……ああ、温かい。

 気付いていなかったが、ずいぶんと指先が冷え切っていたようだ。樹音も同じように、両手でカップを包み込んでいる。

 カップからは、シナモンだろうか、甘い香りがゆらりと漂ってきた。

「あ、おいしい」

 さっそく口を付けた樹音が感想を漏らす。ん、確かに美味い。

 温かい林檎の果汁にシナモンの香り、少しだけ柑橘系の酸味がアクセントになっている。

 温かく甘い液体はのどを滑り、胸から胃の腑、そして身体の隅々までを、その熱で満たしていった。


 冷え切っていた手足に熱が戻ってくる。人心地つくと、俺はふと思い出して訊ねた。

「ネージュさん、電話お借りできませんか? 仲間が心配しているといけないので」

 ん? といった表情を浮かべたネージュは、紅色に染まった唇を開く。

「あの、《でんわ》とは何なのでしょうか?」

「え⁉」「え⁉」「え⁉」

 思いもよらない答えに、俺と樹音、そしてネージュの声までもが重なる。

 コユキだけが、ぽかんと樹音を見上げていた。


 俺と樹音がネージュから聞いた話はこうだ。


――この家には電話が無い。

 その反応からも推測できたが、そもそもネージュは電話自体を知らなかった。


――この家には電灯が無い。

 あまりにも違和感が無くて気付いていなかったが、灯りはすべて油を使ったランプだった。

 それだけではない。見渡すと、暖房は暖炉だし、電気ポットもテレビもない。電化製品というものが、一切この家には無かった。


――この付近にスキー場は無い。

 というか、スキー場という言葉も無いようだ。

 スキーは生活のために必要な道具で、このあたりでは、子どもの時分に身に付ける技能なのだそうだ。その他に、騎士や兵士は行軍のためにスキー訓練をするらしい。

 どうにもスキーだけを楽しむということが、ネージュには理解できないようだった。


 そして。


――ここは日本では無い。

 日本という国をネージュは知らなかった。

 それどころか、ネージュのいうこの国は、俺も樹音も聞いたことの無い名で。

『シエネシュルト王国』

 日本にある自称国家でもなく、アジアにも、欧州にも無く。学生のころの地理を思い出しても、そのような国は無く。それは樹音も同じようで。


 それはつまり。


――ここは地球上では無い。本物の『異世界』だ。

 俺と樹音は、そう結論付けるしかなかった。

――ひやり。

 どこからだろう。冷たい隙間風が、首筋を撫でたような気がした。


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