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プロローグ:トラブル、それから自動販売機、そして……雪山?

「急げ!」

 深夜のオフィス。課長からの檄が飛ぶ。

 サーバーのマザーボードと周辺のハードウェア、つまりは思いつく限りの故障原因をダンボール箱に詰め込み、俺は駆け出した。一年目の新人システムエンジニア(というのも烏滸がましいが)にできることなど、驚くほど少ない。俺に今できることは、この荷物を運ぶことだけだった。

「ハルアキ、こっち」

「ジュネさん、お待たせです」

 サクシード――うちの社用車だ――を通用口に回してきた彼女、先輩社員で指導係の『樹音』に答えた俺は急いで、その荷台へと荷物を積み込む。そして俺が助手席に滑り込んだことを確認するやいなや、樹音はアクセルを豪快に踏み込んだ。


 わが社の命運を握る、といっても過言ではない大規模鉄道運行システムの、明日が稼働初日だ。親会社でもある大手私鉄に納品したばかりのソレは、すっかり臍を曲げてしまっていた。ベテランの先輩エンジニアたちが、こぞって原因切り分けに奔走し、ようやく原因と思わしきサーバーの故障を特定したのが、つい先刻だった。

 すでに日付が変わって、かなり経ってしまっている。始発が動き出すまで、もうあと三時間もない。


「飛ばすよ」

 樹音の声に体を強張らす。このプロジェクトチームに配属されて以来わずか三か月で、彼女のドライビングの激しさは嫌というほど、俺の身体に叩き込まれていた。

――キィィィィィ! 

「んぐをぉぉっっ」

 樹音がステアリングを右へ回すと、派手なスキール音が響き渡る。それに合わせて、俺の体はドアパネルへ押し付けられる。

――キュイゥィッッッ!

「ぬぉあっ」

 続けて左。激しく切替される車体。大きく上体が振り回され、俺の頭は樹音の胸元へと急接近する。

「もぅ、こんな時に大胆なんだから♡」

……をぃ、まて。まだ届いてないだろ。

 俺の頭は惜しいところで空を切っていた。

「ジュネさん、、残念ながらエアバッグは動作しなかったようです」

「なんだとぅ!」

 コーナリングの鋭さが一段と増した気がした。


 樹音は会社でも、ひときわ目を引く存在だ。すらりと整った肢体、アップにまとめた赤みがかった金髪、アーモンド形に大きく見開かれた目に、こげ茶色の瞳。そのあたりに数多いるアイドルなど裸足で逃げ出すレベルの美女だといえるだろう。快活な性格もあって、男女とも樹音のファンは多い。

 ただ一つだけ気になる点があるとすれば。残念ながら。


 たわわでは無かった。それだけだ。


「……気にしてたんですね。エアバッグ」

「レディにそんなこと確認するんじゃない」

「あぁ、えっと……なんか、いろいろスミマセン」

「あやまるなぁ。よけい傷つくじゃないか」

 不貞腐れた声色で、樹音が答えたのと、サクシードが目的のデータセンターに到着したのはほぼ同時だった。


「すまん、助かった」

 先輩エンジニアは疲れた顔でパーツを受け取る。どうやら始発電車が動くまでには復旧させられそうだ。上司の首が飛ぶ事態は回避できただろう。このあと暫くは、今回の後始末に追われそうだけど。


 二月の未明、まだ暗いデータセンターの駐車場に戻ると、樹音は温かい缶コーヒーを投げてよこした。かじかんだ指に染み渡る温かさが心地よい。

「お疲れさん」

「ジュネさんこそ、お疲れ様です。……オレだけじゃ役に立ちませんでしたから」

 何もできなかった。只々、それが悔しい。

 俯いて、剥がれかけた駐車枠の白線に視線をさまよわす。


 ぺーぺーの俺ではシステムエンジニアとして戦力にならない。それは、重々に分かっている。さらには運転免許も持っていないのだから、なおさらだ。体力だけには自信がある。だけど、それだけじゃ、な。


「いい経験したね。ハルアキ」

「え?」

「ここまでのトラブル、なかなか無いから。きっと良かったと思う時があるよ」

……まったく、樹音にはかなわないな。

 ずいぶんと先にいるんだと、そう感じている俺がいて。

 樹音の優しさに、嬉しさと、悔しさが混ぜこぜになって溢れる。

「……はい」

 気付かれないよう、そっと空を見上げ、答える。その声は、ほんの少しだけ震えていたかもしれない。


 空は、うっすらと白みはじめていた。


   ◇


 先日のトラブルから一週間。ようやく後始末も落ち着きつつあった。

 俺の所属するチームにも、休暇が与えられるという。翌々週の週末とくっつけて三連休になるらしい。


「やっぱり長野でしょう」

「いや、ショータ。長野の良さは俺も認めるところだが、質は北海道だろ」

 自動販売機前の休憩スペースで二人、舌戦を交わしている。

 長野派と思わしきは、わが同期にして、自称『世界に羽ばたく太いヒト』こと翔太だ。自称する通り、ふくよかな体形におっとりとした雰囲気を醸し出している。だが、ことシステム構築に関しては同期でもずば抜けている男だ。


「確かに。そこについては、ケイスケさんの主張を認めざるを得ませんが」

「だろ? やっぱ北海道だよ」

 北海道派は、俺の配属されたチームのリーダー、啓介である。ビジネススーツの上からでも明らかに分かる、がっちりとした体形。システムエンジニアというより体育会系の営業マンといった方が信じてもらえそうだ。とはいっても、営業になられては困る。わが社のエース技術者なのだから。


「でぇ、どこにするか決まったんですかぁ?」

 自動販売機の脇から、締まらない感じの声が呼びかける。


 俺、晴明の所属するチームは五名。

 リーダーの啓介。一つ年下でサブリーダーの樹音、それから新人が三人。

 俺と翔太。それともう一人、先ほどの締まらない声の主、あゆみ。

 コロンとしたマッシュルームのようなショートの黒髪。小柄ながら、女性らしい丸みが樹音とは対照的。とは言わないでおこう。樹音にも、あゆみにも、ね。


 翔太とあゆみには啓介が、俺には樹音が、指導係として付いている。

 啓介チームで教育しているんだから、会社は君たち三人に期待してるんだよ。と、樹音は言っていたけど、どこまで本気なんだろうか?

 俺には、いま一つ分からないけど。


「お、すまん。つい道産子の血が騒いでな。まぁ、そんなに長い休みじゃないから、長野方面でいいだろう。ショータはどうだ?」

「僕は異存ないですよ。白馬か、信越か。それとも木曽方面か。天気と相談して決めましょうか」

「そうだな。宿は会社の保養所で決まりだから、そこから行ける範囲で考えるか。アユミ、それでいいか?」

 翔太の提案に、啓介が同意し、あゆみに答える。

「りょーかい。ん~、楽しみぃ」


「ジュネさん、ショータたち、何の話してるんでしょう?」

 休憩スペースの一角。缶コーヒーを自動販売機から取り出した俺は、隣でペットボトルのミルクティーを飲んでいる樹音に問いかける。

「ん? お山の病院でしょ。雪山で心のリハビリ」

「病院? 三人で??」

「あれ? ハルアキって、スキーしたことない?」

「ないですね」

「え、ボードも?」

「えーと、話の流れからいうと、スノーボードのことですか?」

「そう、スノボ」

「ああ、こないだのオリンピックで見ました。トリプルコークって凄いっすね」

 瞬間、樹音の表情が固まった、気がした。目が点になるとはこういう事か。


「ジュネさん、よく聞いてくださいね。俺の出身は南九州です。雪はテレビの向こうにしかないんです」

「……たしか日本最南端のスキー場って、近くにあったよね?」

「ああ、何年か前にエッチなコマーシャルが流れてましたね。親と見てて固まった覚えがあります」

「そのスキー場、行ったりしないの?」

「まわりにスキーする人もいないし、道具も売ってないし、話題にも上がりません。そもそも、スキーって最初にどうすればいいのか、楽しいのかも判らないから」

 と、樹音が何か決意するかのような表情で、突然立ち上がった。


「ケイスケ! そのツアー、飛び入りできる?」

「ん、大丈夫だが。珍しいな、ジュネが雪山の話に入るなんて。俺たちはボードだけど、お前はスキーだったろ?」

「チェリーなんだって。ハルアキ」

……は? 樹音、突然何を言い出すんだ?


「まっ!」「まっ!」

 あゆみと翔太の声がユニゾンする。右手で口を隠すポーズまで同じだ。

「ほう」

 啓介の口角が悪そうに上がっている。


「じゃあ決まりだな。来週の金曜の晩に集合。詳細は追って伝える」

「「「サー、イエス、サー!」」」

 俺以外の声が揃った。いや、何がどうなってるんだ?


 おい、翔太、あゆみ。

 お前らの、にまにまとした笑顔に不安しか感じないんだが。


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