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約束の遺産

作者: 緋島 奏

以前書き溜めておいた短編小説です。

1話完結なので気軽に読んでいただければ幸いです。

 彼女とは高校生最後のクラスで同じだった。


 この学校は部活動に力を入れていて、運動部も文化部もどちらもいい成績を残していたから、新入生は皆それぞれに好きな部活動に入って卒業まで続ける。


 そんな中で彼女は放課後にいつも一人教室に残っていた。窓際の自分の席で教科書や問題集を広げているときもあるが、単行本に目を落としている方が多かった。


 クラスの友人の数人と部活動の話をしていたことがある。何気なく彼女のことを聞いてみたら、自分と同じでどの部にも所属していないらしい。


「何読んでるの?」


 それが初めの会話だった。返答として彼女が言った本のタイトルはよく知っている作家のものだったから、気が合うのかもしれない、と思った。もっと話してみたい、とも。


 数日間、放課後に連日彼女と話しているうちに彼女の好きな本のジャンルや趣味などを知った。そこでわかったのは彼女の意外な一面。授業の間の休み時間もいつも自分の席に座って誰とも一緒にいる様子がなかったから、彼が話しかけてみると彼女は思ったより気さくで話しやすく驚いた。


 とはいえ彼女、沙耶はやはりクラスの中では地味だったと思う。教室内のあちこちでにぎやかに会話の輪が作られ、花開く中、ずっと自分の席に座っていたから。


 そんなわけだから、沙耶という少女のことに興味を持つ人間はいなかっただろう。彼、拓海以外。


 


 沙耶のことを知れば知るほど、放課後に話す日の間隔も一日一日と短くなっていた。一週間に一度話すかどうかだったころから、今では予定が何も入ってない日はほとんど毎日だ。


「早く家に帰ろうとは思わないの?」

「誰もいない教室のほうがゆっくりできるから。ほら、あたし本とか読んでるけど、家じゃ家族が居て集中できないし。勉強するにしてもやっぱりここのほうが静かだから…」


 おとなしくしているけど、しっかり話すことができる。そんな小さな、沙耶のギャップを知れたことが拓海にはうれしかった。


「そういえば、おすすめの本ってある?」

「おすすめ?」

「うん。本の話とかしてる時とかあったけど、実は最近読んでないからさ。話してるうちに何か読んでみようかなって思って」


 これは素直な気持ちだった。昔はよく新しい本を片っ端から読み漁っていたが、今ではそんなこともしなくなった。そして最近沙耶に感化されかけて再び読んでみようという気を起こしたというわけだ。


「じゃあ、今度の週末本屋にでも行く? 話すより実際に行った方がいろいろ教えられると思うし」

「…いいの?」

「いいのって、あたしが誘ったんだけど」

「あ、うん。じゃあ…」


 きっと沙耶はわからないだろう。この何気ないつもりで言った誘いが、どれだけ拓海を舞い上がらせたかを。


 


 太陽が傾く夕暮れ。あたり一面が緋色に染まる中、二人の影はゆっくり歩いていた。歩いているだけで会話は無い。


 予定の日は明日にまで迫っているが数日前に行く、と決めただけでそれ以上は何も決まっていなかった。沙耶からの誘いで決まった話なだけに拓海の方から切り出すことが出来ずにいたのだ。


 しかしそのことについては、沙耶はもちろん分かっていたりする。今まで放課後になるたびに何かを言いかけてはやめ、を繰り返していたからだ。――そして今も。


「み、南島」


 拓海の呼びかけに沙耶はびくりと肩を上げて一瞬だけこちらを見る。身長差があまりないために、沙耶が顔を戻してもどんな表情をしているかがなんとなくわかる。迷っているのだ。


「俺こっちだけど…」


 交差点をまっすぐ突っ切ろうとする沙耶に拓海は右手の道を指さした。


「…うん」


 聞こえるかどうかの小さな声でそう呟いてから沙耶は立ち止まった。


 まだ何かを考えているようだった。予定をどうするか迷っているのか、それとも誘ったことを後悔しているのか。


 まだ親しくなってから間もない。加えて、付き合ってすらいないのだから後者の可能性も十分にあった。そうはいっても、もう少し親しくなる絶好の機会でもあるから、拓海は期待はしながらも、不安を抱えていた。


「…明日のことなんだけど」


 数分後。沙耶が口を開いた。


「…あなたの家まで迎えに行っていいですか」


 言葉からは強い意志に不安、大きな二つの感情が込められていたように思えた。


「理由をきいてもいい?」


 沙耶の目を見てそっと尋ねる。


「だめって、言ったら?」

「その時はさすがに無理して聞かない」

「そう…」


 そこまで言って沙耶は顔を少しそらしてふっと微笑んだ。何を思っての微笑みか全くわからなかったが、この時見えた表情は少し吹っ切れたような表情をしていた。




 朝十時ごろに家の呼び鈴が鳴った。拓海はそれと同時に座っていた椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。


「おはよう」


 玄関を開けたところでそう声をかけられた。


「うん。おはよう」


 後ろ手に扉を閉めながら、沙耶のほうに向きなおる。


「まず、どこ行く?」

「少し行ったところにいろいろ入ってるから、そこに行こう」


 沙耶の口ぶりから、目的地は隣町にある大型のショッピングモールだと推測できた。


「あそこの本屋、新しくなったらしいから結構種類もあるんじゃないかなって思ったの」

「へえ。知らなかったな。南島はあそこよく行くの?」

「最近は行ってないよ。前は買い物とか家族で行ってたけど。…あ、そういえば…」


 沙耶は歩きながらこちらを向いた。


「本勧めるとか言って好きなジャンルとか聞いてなかったね」

「そうだったかな。うーん、好きなジャンルか。基本なんでも読むからな…」


 目的地までの道はまだ遠い。


 真っ直ぐに続く道の先を見据えながら拓海は「勧めるものなら何でも」と、少し悪いかなと思いながらそう返事をした。


 交通機関もあったがそれは使わなかったため、ゆっくりと話す時間はたくさんあった。学校では話せなかった日常的な会話は全く終わりが見えず、到着するまで終始しゃべりっぱなしだったほどだ。


「時間的に昼近いけど、どうする?」

「一度本見に行こっか」


 数えきれないほどの多くの店舗が並ぶショッピングモールの中を通り抜けて、端に位置する大型書店を目指す。


「あまり来ないうちに結構変わってる」

「時間があったらあとで見て回る?」

「そ、そうだね」


 さすがに馴れ馴れしすぎたか。沙耶の方からも若干の驚きを感じたために、拓海は自分の言動を焦って見直した。


 この時は嫌われないように、と、できるだけ悪い印象を残さないことばかり考えていた。




 数十分後、モール内にある、落ち着いた雰囲気のカフェに入った。


「どう? 何か気になるのあった?」

「やっぱり、一番最初に勧められた恋愛系かな。今まで読んだことない設定みたいだったし面白そうだったから買ってみようかなって思って。…南島が一番推してたよね」


 本の説明をしていた時の沙耶の様子は鮮明に覚えている上に、その時の言葉も一言一句とまではいかないがしっかり覚えていた。


「あたしも結構気に入ってるの、あれ。読んでしまったら今度感想聞かせてね」


 聞き間違いではないだろうか。そう思えるほどにこの言葉は魅力的なものだった。


 沙耶のほうは今度も何気ない気持ちで言ったものだろうが、拓海にとってはとても大きな言葉となった。嫌われていないことが確認できたからだ。


 カフェで頼んだホットドックの味は全く分からなかった。




「あ、ここ寄っていい?」


 再び書店へ向かう途中、文具店で沙耶は立ち止まった。


 拓海に気を遣ってか、遠慮しながら中へと入っていく。陳列棚の商品を見ながら歩き、沙耶は立ち止まった。


「…行こうか」


 こちらを振り返って沙耶は言った。理由はすぐにわかった。体で隠れた沙耶の後ろの陳列棚の一画。そこが売り切れだったのか空だった。


「ちょっと待ってて」


 拓海は無意識のうちに、沙耶を残して早足で行動した。


 拓海は数分で戻った。


「これ?」


 手に持っているのは先ほど手に入れた、薄い青色の一つのレターセット。


「うん…。で、でもどうして?」


 沙耶は驚きが隠せないようだった。


「店って、たまに商品棚に補充していない時があるから。…だから店員に在庫確認してもらった」


 最後の方は気恥ずかしくなって、目をそらす。


「あ、ありがとう」


 沙耶はそっと拓海からレターセットを受け取った。


「じゃあ、行こうか」


 文具店を後にしようとする拓海を沙耶が呼び止めた。


「えっと、お金…」


 戸惑ったように沙耶はつぶやく。


「…それは別にいいから。そんなに高くなかったし」

「で、でも悪いし…」


 買いたかったから。


 心の中で思っていても、告白するようで恥ずかしく、その一言がどうしても言えなかった。


「な、なら本を…」

「えっ」

「霧島君が買おうとしてたあの本、あげる」

「それこそ悪いよ」


 本をあげたら南島が読めなくなるじゃん。


「じゃ、じゃあ貸す。返すのはいつでもいいから」


 沙耶の提案に、うまく断る理由が見つからず仕方なく了承した。






「これ返すよ」


 数週間後、拓海は沙耶と出かけたときに借りていた本を返した。


「で、どうだった?」


 沙耶は目をきらきらさせながら、待ってましたとばかりに聞いて来た。


「南島が推すだけあって、かなり面白かったかな。特に、主人公とその相手。そして周りの登場人物のやり取りとか他のじゃ、あんまり見られないものだったし。…残念だったのは…」

「二つの物語で必ず主人公もしくはその相手が亡くなるところ、だよね」


 沙耶も同じ、思うところがあったのだろう。拓海の言葉を引き継いだ。


「恋愛、ていうジャンルで収めちゃいけないよね」


 拓海がつぶやいた言葉に、沙耶は驚いたように目を見開いた。


「それ、あたしが読んだ後に全く同じことを思ったよ」


 何かを言おう。そう思ったがその言葉以降、言葉は続かなかった。


「…そろそろ日も沈むし帰ろうか」


 座っている公園のベンチからまっすぐ見える夕陽を見ながら拓海は言った。


「うん…」


 沙耶は動かなかった。


「どうした?」


 そこで初めて沙耶があの時の表情をしていることに気づいた。


 何かを迷っている。


 そう感じたからこそ、拓海は黙ってその何かを待っていた。


「――ずっと、言わなきゃいけないって思ってたんだけどね」


 沙耶は決心したのかどうかもわからない、ただ考えたことが口から出ているだけ、と思えるような虚ろな声で話し始めた。


「今日で数回一緒に出かけてるわけだけど、今日話す決心がついたから言うけど…」


 この時の沙耶の言葉に大きな感情が宿っていることを、拓海は感じていた。


「この数回あたしが霧島君の家まで迎えに行ったよね。そのことを初めて言ったときに絶対疑問を抱いたはずなのに聞かなかったよね」

「それは…言いたくないことを詮索したら悪いかなと…」

「あれで優しさを感じたの。それにそれから後も何も聞こうとしなかったこともあったし。理由は言いたかったけど言えなかった…」


 沙耶の声がだんだん小さくなって聞き取りづらくなったが、拓海は黙って聞いていた。


「…小学校の頃の話。その頃にあたし、嫌がらせを受けててね。仲良くしてた友達だったんだけど、遊ぶ約束をしたある日にその子が待ち合わせの場所に来なくて…。一日くらいなら用事が入ったとかあるだろうからしょうがないと思う。だけど、その日だけじゃなかった。頻度はだんだん多くなって、不自然に思った日にその子の家に行ったら他の子とあたしのことで笑っているのが聞こえた…」


 沙耶は当時のことを思い出してか、声に嗚咽が混じり始めていた。


「今思えば、いじめだったのかなって。――それで、あたしはその日から人との約束っていうものが信用できなくなって…」


 今までの、たまに見せる沙耶の不自然な言動。それらが頭の中を巡り、すべてが一つに繋がった気がした。


「…どうして、霧島君が泣いてるの?」

「えっ、ああ…」


 拓海は慌てて、無意識のうちに流れていた涙をぬぐう。


「ありがとね。…実のことを言うと今ではあたし霧島君なら信用していいかなって」


 赤くなった目をこすりながら続けた。


「…霧島君の気持ちは前からわかってたの。とてもうれしかったけど過去のことがあって言いだせなかった。そういえば――」


 大事な会話だった。しかし後の言葉は内容も、彼女の表情も何もかも頭から抜けてしまった。


「…話が逸れちゃったけど、一週間後、今の曖昧な関係を終わりにしよ」


 それは、今言える沙耶の精一杯の告白だった。




 それから一週間後の週末を迎えるこの日まで拓海はほかのことを全く考えられなかった。


「それじゃ三十分後、学校の隣の公園で」


 学校が終わると同時に沙耶は、顔を紅潮させながらそう言い残して立ち去った。


 高ぶる感情を抑えながら学校から直接公園に向かい、到着したのは約束の時間の十五分前。


長かった。そう思えるほど拓海は待ち続けていたのだ。


「まだか…」


 腕時計を見ながら時間が過ぎるのを待った。あと十分、九分…。一分一分がとても長く感じた。


 ――しかし、約束の時間になっても彼女は姿を現さなかった。
























「嘘だ…」


 時間が止まっているかのような静かな病室。


 嘘だ、と自分に言い聞かせていないと彼はその場に崩れてしまいそうだった。


 どうして今なんだ。どうして彼女なんだ。


 目の前の彼女を見るたびに、絡み縺れた運命という名の糸がほどけていく感覚に襲われた。


 前日、公園に向かう途中だった彼女は大型トラックと接触した。何事もしっかりしていた彼女に限って、トラックが接近していることに気づかないわけがなかった。しかし、こうなってしまったということは――


 あとから彼女の母親に聞いた話によると、彼女はずっと考え込んでいたということだった。何を、と聞く必要はなかった。待ち合わせの場所で、何をどう伝えるか、彼をずっと考えてくれていたのだ。しかし、そのせいで注意が散漫になってしまった。


 これが、先日来なかった。否、来ることが出来なかった理由だ。


「霧島君」


 突如名前を呼ばれて顔を上げた。


「え?」


 隣にいた彼女の母親が何かを差し出してきたのだった。渡されたのは、彼女の名が書かれた見覚えのあるレターセットの封筒。ところどころ折れ曲がったり破れたりしてぼろぼろになっていたが、見間違えるはずがなかった。


「この子が昨日大事そうに持っていたものよ。あなたの名前が書いてあったから…。事故の瞬間もこれを必死でかばったって…」


 気づけば彼はその場で封筒を開けていた。


 中には青縁の紙が一枚。











わたしは過ぎゆく時間を眺めてる


時の動きに呑み込まれ されるがままになっていた


だけれど




あなたが流したその涙は


生きる世界に流れ落ち




あなたが発したその声は


生きる世界に響き渡り




あなたが翔けたその空は


生きる世界に広がって




わたしは過ぎゆく時間を眺めてた


時の流れに逆らって 自分の運命にあらがった




そして 遠くに遥か向こうに見つけた


わたしの自由を 幸福を 


そしてあなたを
















 それは詩。詩だった。


 そして思い出した。忘れてしまっていたあの日の会話を。あの日の約束を。


 また、これは約束という名の遺産でもあった。遺産というと大げさに聞こえるかもしれないが、少なくとも彼にとってはそうだった。


 約束の品。詩と言う名の彼女の生きた時間の結晶。彼女の残した彼への遺産――約束の遺産。






「…そういえば、私ね、詩を書いてるの。」


 あの日の記憶。彼女がそう切り出した。


「詩?」


「うん。まあ、と言ってもまだ書き始めたばかりなんだけどね…。あ、そうだ。完成したら、初めの作品見てくれる?」


「え? うん。まあいいけど。」


「…それじゃあ、約束ね。一週間後に完成させてあなたに見せる。そしたら――」



 これ以上はやはりあまり思い出せない。しかし、目の前にいた少女はその時、確かに笑っていた。



ここがこうだったら、anotherエンドも募集しています。


厳しい意見も含めて感想をいただけるとモチベにつながります。

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